感想:加藤治郎『岡井隆と現代短歌』
加藤治郎『岡井隆と現代短歌』短歌研究社 令和3年7月10日 印刷発行 定価本体2500円(税別)
1・はじめに
読了しました。充実した岡井隆論の誕生を、喜びたいと思います。印刷発行の7月10日は、師の岡井隆の一周忌にあたります。その日に捧げられています。弟子のやさしい配慮を感じます。
私がここに書くことは、書評というような大それたものではなく、読後の率直な感想を、少しだけ記したものになります。
岡井隆は、塚本邦雄とともに前衛短歌運動を推進した歌人です。昨年の7月10日にお亡くなりになりました。その短歌は、最後まで自己を客観視し、創造力と遊び心を失いませんでした。見事な最期でした。
岡井隆は1928年の生まれですから、享年は92歳。笛地静恵のツイッターの読者には、何名かの塚本邦雄ファンがいるだろうと推察しています。その方々の視野に岡井隆は、入っているでしょうか。塚本邦雄と同様に謎に満ちた巨大な存在でした。『岡井隆と現代短歌』を読んでもらいたいのです。あえて紹介することにしました。
著者の加藤治郎は、1959年に名古屋市に生まれました。1983年に未来短歌会に入会します。以来、岡井隆に師事することになります。そして、2020年7月11日午前11時に師の突然の死の知らせをききます。受け止めることができません。「悲しみと空虚を抱え込む」198頁 ことになります。濃密な師弟関係が、背後にあります。短歌の結社で、こうした関係を築くことができた、あるいは最後の世代となるのかもしれません。
加藤治郎は、岡井隆について書いた自身の文章をまとめていくことで、この困難な時期を乗り越えようとします。その意味で、この書の主題は追悼です。しかし、二人は師弟という関係にあります。単なる友人・知人ではありません。悼むだけでは充分ではありません。悲しみを克服し、師の死によって生じた空虚を、弟子は埋めていかなければなりません。
加藤治郎は、師の岡井隆が直面していた現代短歌という大きな問題と、あらためて正面から対峙することになります。加藤には「岡井隆こそ現代短歌である」という認識があるからです。
この本は、マスコミの嘱に応じて書かれた文章を、集めたものです。一気に書かれた長編の評論ではありません。時間的な幅もあります。もっとも古い「抽象という技術」が1989年。大半が21世紀に入ってから書かれた文章です。二十年以上という時間が経過しています。しかし、加藤の主張には、強い一貫性があります。ぶれていません。
加藤治郎は「口語に拠り、大衆社会の一員でありながら革新を志向するという風変わりな歌人」199頁 として自己を規定しています。なぜ風変りなのかといえば、彼自身が現代短歌を次のように定義しているからです。同199頁
① 革新という近代の原理から自由になったこと。
② 口語の短歌形式への定着。
③ 大衆社会状況の受容。
加藤治郎は、②と③には従いつつ、①については、異なる志向の持ち主なのです。
ただ「革新を志向する」といっても、文章を読む限りでは、生来、移動と変革を志向した岡井隆とは、異なる性格の方ではないかと想像します。生き方を選び取るという態度に、加藤治郎の意志の強さが表現されています。
「岡井隆と現代短歌に巻き込まれながら歩いてきたのである。」199頁
この本は、加藤自身の軌跡を辿り直す行為でもあります。
2・師 岡井隆
現代短歌は、塚本邦雄の愛読者でしかない一部外者として遠くから眺めていても、台風のような巨大な混沌です。しかも、目は一つではありません。どうやら無数にあるようです。百眼の怪物です。しかし、短歌の未来を見極めるためには、この怪物の正体を調べる必要があります。加藤は暗雲に飛びこまなければなりません。果敢に実践していきます。
加藤は未来短歌会の結社の選者として、岡井の身近にいました。
「執着のない人だった。自らの仕事には徹底的に拘るが、あっさりしたところがあって、次々にあらゆるものを放擲する。好奇心が強く、新しいものを好むが、すぐ飽きて次に行ってしまう。周りの人々は右往左往することになる。」16頁
簡潔な素描ですが、生き生きとしています。説得力があります。岡井の歌集や評論を読んで来た自分の印象とも、ぴったり合います。彼は前衛短歌運動からも、塚本邦雄からも飽いたようにして遠ざかっていきました。
特に岡井の評論やエッセイは、無数の問いの巨大な堆積物です。一時的な答えは与えられるとしても、すぐに次の問いの追及が開始されます。一か所に留まりません。変化していきます。読者は時に置き去りにされます。茫然とします。
加藤も、師の岡井隆の疾走の速度に、右往左往する人々のひとりであったのでしょう。
もともと岡井隆は、
「一個の人間とは総合的な存在ではない」11頁
と見極めた人です。分裂を内包しています。図示するとすれば、多面体でしょう。複雑な師の仕事を検証していく加藤の作業は、多面体であった師のひとつひとつの側面の検証となっていきます。そして、現代短歌と関係する岡井隆の重要な面の選択において、本書は成功しているのではないでしょうか。
3・弟子 加藤治郎
この本は、三部構成になっています。Ⅰが岡井の死の直後の文章、Ⅱが短歌作品や歌集などに対する文章、Ⅲが現代短歌とは何か、ニュー・ウェーブとは何かという問いの文章になります。それぞれに読み応えがあります。
特に印象に残った文章が四編ありました。「短歌形式の現在 ――その死まで」(125~126頁は、加藤治郎という歌人を了解するために、必読の文章です。「前衛短歌という栄光」の塚本邦雄の「革命家作詞家」の短歌の読みまで一貫します。革命家作詞家を塚本自身と捉える加藤の読みには、迫力があります。今回は、『岡井隆と現代短歌』を読む場所であるので、割愛します。)「叱つ叱つしゆつしゆつ 岡井隆におけるリアリズムの展開」「第二芸術論の後にーー岡井隆の現在」「岡井隆と現代短歌」等々。いずれも加藤にしか書けない文章でしょう。
「第二芸術論の後に」の結語は以下のようなものです。
「この「最終駁論」で頼みにしたものが唯一、五七五七七という詩型だった点において、岡井隆は一人の「アララギ」だったのである。」90頁
この指摘は重く、「ああ、やはりそうだったのか」と了解させるところがあります。塚本邦雄と別れた、根本的な理由はここにあるでしょう。塚本は、斎藤茂吉についての大分な評論を書いてはいますが、「アララギ」そのものとは、遠い場所にいました。ついに異質だったのです。しかし、先を急がないことにしましょう。
4・四つのエポック
加藤治郎は「岡井隆の歌集」で、岡井の仕事には、四つのエポックがあると分類しています。28頁
Ⅰ 前衛短歌期 一九五六年~一九七八年
『斉唱』『土地よ、痛みを負え』『朝狩』『眼底紀行』『天河庭園集』(国文社版)
Ⅱ ライト・ヴァース期 一九七五年~一九八九年
『鵞卵亭』『歳月の贈り物』『マニエリスムの旅』『人生の視える場所』『禁忌と好色』『α(アルファ)の星』『五重奏のヴィオラ』『中国の世紀末』『親和力』
Ⅲ アノニム期 一九九一年~二〇〇〇年
『宮殿』『神の仕事場』『夢と同じもの』『ウランと白鳥』『大洪水の前の晴天』『ヴォツェック/海と陸』『臓器(オルガン)』
Ⅳ 多様性期 二〇〇一年~二〇一八年
『E/T』『〈テロリズム〉以後の感想/草の雨』『旅のあとさき、詩歌のあれこれ』『伊太利亜』『馴鹿時代今か来向かふ』『二〇〇六年 水無月のころ』『家常茶飯』『初期の蝶/「近藤芳美をしのぶ会」前後』『ネフスキイ』『X(イクス)ー述懐する私』『静かな生活』『ヘイ龍(ドラゴン)カム・ヒアという声(こゑ)がする(まっ暗(くら)だぜつていふ声(こゑ)が添ふ』『銀色の馬の鬣』『暮れてゆくバッハ』『鉄の蜜蜂』
こうして分類することで、初めて見えてくる(言語化できる)ものがあります。(活動時期の分類などというのもは、ましてそれが岡井隆のように、時期が長く多種多様である場合にはなおさら、ある仮説という以上には迎えられず、叩き台となって修正される運命にあるものでしょう。それでも、だれかがしないではいられないことです。損な役割です。けれども、加藤はその先鞭を切ったということになります。)以下、思いつくままに。
Ⅰの前衛短歌期の歌集『斉唱』と、それ以前の初期作品「O」(オー)は、初期という別の句分がありえるのではないでしょうか。
Ⅱの『鵞卵亭』は、「一九七〇年と一九七五年のアマルガム」であると岡井隆の後記にあります。ⅠとⅡの二つの時期に跨る歌集でしょう。ただこの分類では、重心はⅡ期の方にあるでしょう。
Ⅲの時期をライト・ヴァース期と命名するのは、
「一九八五年、岡井は、新たな文学運動を起こした。短歌におけるライト・ヴァースの提唱である。」11頁
であるとするならば、一九七五年の歌集『鵞卵亭』から、それに含めることは、時期的な観点からは、大胆な提言であると言えます。『人生の視える場所』までは、塚本邦雄との関係も続いているのではないでしょうか。
加藤治郎が立場が鮮明になるところです。師の岡井隆は、まず自分から大胆な仮説を提示して、場に議論を喚起するという手法を取られていました。ここでは、加藤は師に倣っているのでしょう。加藤の問題提起が、スルーされるとすれば、哀しいことです。
私は、歌集『マニエリスムの旅』の先駆性が、浮かび上がるのを感じました。この歌集の重要性が増していきます。岡井隆が当時、流行していたマニエリスムという思想に、一時的に遊んだものと推定していました。けれども、以後のⅣの時期にまで継続される、岡井隆におけるマニエリスムの影響の射程の長さを考えれば、あるいはそうではないのかもしれません。変身の激しい岡井として珍しい事態です。岡井隆の短歌とマニエリスムの関係は、将来に考えるべき課題となるでしょう。
ライト・ヴァースを、加藤治郎のように「若者の口語による都市風俗泳」とだけとらえるのではなく、「成熟した精神で人生観・世界観を歌う大人の文学」とする 29頁 ときに、この呼称は、岡井の『宮殿』から『臓器』までの仕事に、重なることになります。ただⅣ期の作品も、そうした所産ではないかという疑問は残ってしまいます。
5・私と岡井隆
私は『神の仕事場』を最後に、岡井隆の歌集を刊行のたびに追いかけることを止めてしまいました。けれども、久しぶりに再会したⅣの『ネフスキイ』は、見事な歌集でした。読書をし、歌を作る岡井の充実した日々の活動が、感じられるからです。実に読み応えのある歌集でした。
現在の文学作品から、高齢者の充実した日常が窺われる作品は、稀少です。同時に、その巨大さには、塚本邦雄の『魔王』に負けまいとする意識があったのではないかと、ふと感じました。塚本ファンとして、あまりにも彼の存在を過大に捉えているでしょうか。
横書きのイタリア旅行の記録としての小歌集『伊太利亜』。あの小世界の幸福な明るさは、岡井が「歌集を未知の様式と考えたのである。」23頁という指摘への有力な証左となるでしょう。塚本邦雄にもイタリアへの旅行詠はあります。バッハへの愛好とともに、二人の晩年の共通点であったでしょう。
加藤によって、新たに光を当ててもらった岡井の短歌を、上げておきます。
「前衛」は畸形的(アノニマス)だと人は言へ疾(はし)れるものは奇とならむ常に『神の仕事場』
塚本邦雄の短歌で高校の教科書にも載っている
ずぶぬれのラガー奔るを見下ろせり未来へ向けるものみな走る『日本人霊歌』
を連想します。
抽象的に。しかし、明確に。
焦点に奉仕してゐる面積の楕円の上を花覆ひたる『五重奏のヴィオラ』
「抽象という芸術」での加藤治郎の
楕円しずかに崩れつつあり焦点のひとつが雪の中に没(ぼつ)して『朝狩』
との関係の指摘は、目からウロコでした。加藤治郎による『岡井隆百首』のような短歌の鑑賞の本があれば買います。
6・岡井隆という問題
岡井隆は、短歌と詩の越境を果たしました。
「短歌を拠点として様々なジャンルと渡り合うこと。それが岡井隆のスピリットなのだ。」25頁
そうなのでしょうが、前衛短歌の時代からの同伴者であった塚本邦雄が、詩や俳句、小説と実に多能の人であったことも、彼の活動の要因になっているのではないでしょうか。岡井隆と塚本邦雄の短歌の外の世界での活動の意義というのは、大きな問題として残っています。
戦後の文学者と政治活動について。「この政治と短歌という古くて新しい問題は、現在進行形である。」74頁
岡井と政治との関係を見定めるためには、なお時間という最良の審判者の力を借りる必要があるでしょう。もう少し時間的な距離をとらないと、見えないものがあります。判断を誤る危険性があります。
「さらに『歳月の贈り物』以降、詞書きを大々的に採用されたこともポイントだ。」29頁
この「詞書き」のついた短歌作品群については、現代詩などの他の詩形からの読解があるべきでしょう。私も塚本邦雄や岡井隆の代表作として、たとえば詞書のある短歌を引用することに、どうしてもためらいがあります。短歌単体の作品を選んでしまいます。詞書まで暗記しているぐらい好きなのにそうなります。好きな詩の二行を挙げるのと同じことだと思いますが、踏み切れません。この躊躇いは、多くの人に共通しているのではないでしょうか。詞書の意義が曖昧のままだからです。
口語自由詩の詩人たちは、短歌という定型詩との対決を、迫られていることになります。同時に歌人たちは、歌集『マニエリスムの旅』の再読を求められているでしょう。
加藤治郎は「ニューウェーブの中心と周縁」で「現代短歌におけるライト・ヴァースの再定義を試みる。」194頁 として次のように記しています。
1 私の苦を負わない歌
2 機智に溢れる成熟した歌
3 知的に洗練されたレトリカルな歌
4 風俗的で口語文体を基調とした歌
このように書かれるとき「1 私の苦を負わない歌」が、岡井隆とは異質であったことが浮き彫りになります。彼は「人生という重い衣装」を歌ったのです。それゆえに、多くの読者を獲得していたでしょう。私も『鵞卵亭』以降の岡井隆を楽しみに読んで来たのです。岡井隆の全歌集を収めた緑と黒の装幀の『岡井隆歌集』(思潮社版)は、つねに手元にありました。『神の仕事場』で別れてしまった理由も、これで納得できましたが。
6・おわりに
岡井隆は闇です。特に生涯のいくつかの転機で、彼が何を考えていたのか、いくつかの短歌や詩が、ヒントとして残されているにしても、外部からは明確にうかがい知ることができません。やがては、彼の伝記が書かれることでしょう。
しかし、この書物を読み終わった人は、暗いトンネルの向こうに、ほんのかすかなものであったとしても、光を見出すことでしょう。岡井隆その人が、その道を行き、加藤治郎も、それに続いているからです。加藤治郎は、口語に依拠する短歌を、大衆社会の一員として生きつつ、追及していくことでしょう。革新の火を心に絶やすことなく。
時代の闇を潜り抜け、光を求めた人間たちの記録です。
『岡井隆と現代短歌』には、歌人たちによって、すでに多くの文章が書かれていることでしょう。岡井隆と塚本邦雄の短歌に親しんで来た、一愛読者の気ままな感想に過ぎません。
『岡井隆と現代短歌』のnext door designの光沢のない黒地の用紙に銀の文字の装幀は、鎮魂の書物としてまことにふさわしい意匠と言えるでしょう。意匠は変化していくかもしれませんが、本書は同時代の岡井隆論として、長く読み継がれていくことでしょう。
「現代短歌ってえのは複雑な奴である。とりわけ岡井隆は大いなる混沌である。読者が思考を止めない限り、それは現在進行形の謎である。現代短歌とは〈現代短歌とは何か〉を問い続けることなのである。現代短歌は終わらない。」「岡井隆と現代短歌」103頁
写真/青木詠一