自分だけの感覚を大切にしたいと思った日。
例えば、話題の映画を観に行ったとき。
例えば、流行りの音楽をはじめて聴いてみたとき。
例えば、有名な絵画を鑑賞したとき。
こんな風に思ったことってありませんか?
「みんなが良いって言ってたけど…
あんまり面白くないなあ…」
ネガティブな書き出しですみません。w
私の場合は、映画でこれを思うことがめちゃくちゃ多いかもしれないです。
音楽でも絵画でも、コンサートやライブなどでもこの感覚になることがあります。
そして、周りのほとんどの人たちが大絶賛しているものに対してそのように感じてしまった時は、
「これを素晴らしいとか面白いと思えなかったのって、私の感覚がおかしいのかなあ?」
とさえ思ってしまいます。
SNSの普及によって、共通の趣味を持つ仲間を見つけやすくなったり、他の誰かと好きなものをシェアしやすくなったりした一方、
私はコレちょっと苦手だな…っていうのが言いづらくなったな、と感じます。
ただほんのり苦手を感じただけなのに、
その対象を好きな人たちからは「苦手=アンチ」のように見えてしまって、言葉の攻撃合戦が始まってしまったり。
でも冷静に考えると、これっておかしな話ですよね。
万人に好かれる人が存在しないのと同じで、何かを好きだと感じる人もいれば嫌いだと思う人がいるのも当然のことです。
もちろん伝え方には気をつけたほうが良いし、公の場でわざわざ言う必要のないことを言わなくて良いこともあります。
「K-POPって何がいいの?」といった具合に、全てを網羅したわけじゃないのに主語を大きくしてしまうのも問題の元。
だけど、自分の感覚はあくまで自分だけのもの。
「みんなが良いって言ってたから、これを良いって思わないといけないんだ…」と、
自分の感覚に対してまで空気を読む必要はないと思うんですよね。
この監督の、この作品は好きじゃなかったけど、別の作品は結構楽しく観れた、ということもよくあることなので、
一度嫌いと感じてしまった人やモノでも「食わず嫌い」をしたり、全部を一括りにして総合アンチみたいにはなりたくない。
逆に、自分が大好きなモノに対しても、盲目的な信者にはならないようにしたいです。
自分だけが盲信するのは別に良いと思うんですけど、同じファンの人たちにもそういう熱量を求めたりするのは違うというか。。
推し活をしているとよく遭遇するのは「ファンなら全部丸ごと好きであれ!!」というタイプの方。その熱量はとても尊敬するし、推されている側はシンプルに嬉しいだろうなと想像できます💭
でも、これは好きだけど、これはイマイチかな〜と感じるファンだっているのです。
これを好きと思えない私はファン失格なのかな…なんて、思う必要ないと私は思います。だって、心は人それぞれなんだから。
自分だけの感覚や感度を大切にしたい。
そこに嘘をつくことは、自分自身を傷つけているのと同じな気がします。
ゆえに、違う誰かの感覚も同じように尊重できるようになりたいなと思いました🌸