①じぶんは男としても女としても、不良品だと思っていた笛美。
私は、20代から30代にかけてのあいだ、
自分は男性としても女性としても、不良品だと感じていました。
さらにその時期、私はあきらかに女性嫌悪をしていました。
どのように私は女性嫌悪に陥っていったのか、
そして抜け出そうとしているのかを振り返りたいと思いました。
2000年代の「痛い女」のメシウマとして、
ご覧いただくのも一興かと思います。
●負けることのできない 愛されねばならない戦いがそこにはあった
広告代理店の花形と呼ばれるクリエイティブ。(少なくとも2000年代初期はそうでした。)
憧れの部署に配属された新人の私は、希望に燃えていました。
私のいる場所は、他にも来たかった人がたくさんいる、恵まれた場所。
ただでさえ仕事のクオリティの低い新人なのだから、
せめて企画の数をたくさん出さなければいけない。
すべての打ち合わせで、すべての案だしで、
自分の案こそが勝たなければいけない。
自分の全てをさらけ出して、
かわいがられる存在になりましょう。
きっと私にはできると思っていました。
●仕事自体はとても楽しかった
私の職場は、男性の総合職がほとんど、
女性総合職は数名、あとは派遣社員さんという職場でした。
先輩たちは9割が残業をしており、会社に住んでいるような人もいました。早く帰るおじさんも居ましたが、やる気ない人と言われていました。
みんなで夜ごはんを食べにいって、会社に帰ってまた仕事をする日々。
私は会社というより家族っぽい感じがうれしくて、
残業も進んでやっていました。
先輩に案をテーブルから落とされたりとか、シビアな争いがありました。
でも、いっぱい企画を出すことも、企画が形になっていくのも、
とても楽しかったです。
●広告の影響
広告が心に及ぼす影響には、いま思えば計り知れないものがありました。
あの頃、お母さんの献身を礼賛する広告に、感動して涙していました。
おばさんがダメ亭主をバカにしてる広告に笑ったり、
男性のやんちゃさを描いた広告にクスッとしたりしました。
よくあるな〜と思ったのが、女の子が生まれて、女子高生になって、
OLになって、結婚して、お母さんになって、そこから一気におばあちゃんになる広告。あと、その男バージョン。
私は女性だったので、女性むけの商品を担当することが多かったです。
でも女性向けの商品は、あまり業界で評価されることが少ないように見えました。やんちゃだったり、テクノロジーを使っていたり、アーティスティックだったり、思い切りネタにふった広告の方が、業界ウケもするようでした。私もそんなかっこいい面白い広告を作って、名前をあげようと狙っていました。
●セクハラは気にならなかった
セクハラのようなことも、いま思えばありました。
顔や体型や服装について言われたり、恋愛経験がないことを揶揄されたり、金曜日の夜に仕事をしていると「終わった女」と言われたりしていました。出張中の先輩が忘れ物をしたというので、ホテルの部屋について行ったら、「セックスするために来たんでしょ」と言われたこともありました。酔っ払ったプロデューサーに、背中やお尻を触られたこともありました。
そういうのも笑顔で受け流すのが、いい女だと思っていました。当時、女性の同僚との関係がうまくいかなかったこともあり、だからこそ味方を作っておきたいと思ったのかもしれません。
いちど男性の先輩が、私が飲み会でされていたセクハラを見かねて
「大丈夫?止められなくてごめんね。あれはひどいセクハラだよ。」
と言ってくれたことがありました。
「大丈夫ですよ!ぜんぜん平気です。」
とニコニコして返しました。職場の人の仲間でいられなくなるよりは、ぜんぜん平気なことでした。
●居場所が職場にしかなかった
私は会社に入ったことで、地元の親しい友達と離れることになりました。
そして会社だけが、世界の全てになっていきました。
早く結果を出したくて、認められたくて、
みんなの仲間になりたい私に、休んでいる暇などありませんでした。
土曜日も、日曜日も、会社に来ていました。
会社に来れば、いつも仲間や先輩がいて、
「がんばってるね」と言ってもらえました。
楽しいことや、ラクをすることを自分に禁じました。
お風呂に入ったり、平日にぐっすり寝たり、友達と遊ぶことは、
自分にはふさわしくないと思いました。
孤独な心を紛らわせるために、浪費をしました。
友達は約束しなければ会えないけれど、
商品はお金を出せばいつでも買うことができました。
朝の通勤ラッシュの街と、深夜の誰もいない街。
それだけが私の見る外の世界でした。
スーパーも銀行もお役所も、仕事が終われば閉まっていました。
それは、まともな日常生活ができないということでした。仕事が忙しいという理由で、免許も落としました。
徹夜をして会議室で寝ていたとき、朝5時くらいに警備員のおじいちゃんが見回りに来ました。
「若い女の子が、こんなに働いちゃいかん。何か思いつめてないかい?」
はりつめた心が溶けて、涙が出ました。
「大丈夫です。私は平気です。」と言いました。
そんなおじいちゃんも、2年後には定年で居なくなってしまいました。
黒歴史②キャリアと出産のダブル時限爆弾を抱えた20代の笛美。