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⑤ 今更ながら、女性広告屋から見た#metooのことを話します。

前回、女性嫌悪に染まり、専業主婦をバカにしていた笛美。

30代を迎えるくらいのころ、
#metoo の動きが始まりました。

業界あるあるだな〜とは思いつつ、
ハラスメントをした男性たちには嫌悪感と、
なぜか少しの滑稽さを感じました。

でも、なぜ彼らの行いが悪いことなのか、
自分の言葉でちゃんと説明できませんでした。

声をあげた彼女たちに対しては、
なぜみんな黙っているのに、
自分だけ騒いでるの?

なんて思っていました。

そして彼女たちはメンタルの強い特別な人で、
私とは違うと思いました。

私の辞書に人権という言葉はあっても、
そのページにたどり着くことは
できませんでした。

彼女たちが言ってくれていることが、
どれだけ自分の悩みに直結しているか
気づいていませんでした。

自分だって女を使って
散々トクをしたんだろ。」

という批判の言葉も聞きました。

何を隠そう
私も「女を使った」と
言われたことがあります。

実際にそうだったのかもしれません。

じゃあ、なぜ女を使わなければ
いけなかったのでしょうか? 

刻々と迫っている、と思わされている
女性の人生のタイムリミット。
わずか数年で確固たるキャリアを
身につけなければならない焦り。

そんな中で早く結果を出すためには、
権力のある人と仲良くしたい、
無理なことも我慢しようと思うのは、
そんなに不自然なことでしょうか?

たとえ「おかしいな?」と思っても
逃げ出せたでしょうか?

本当におかしいのは、
女を使わなければと思わせる程に
女性を追い詰める不平等な社会
なのでは
ないでしょうか?

#metoo を脇目に、
職場にしか居場所を作れず、
婚活戦争に疲弊した私は、
ついに産業廃棄物と言われる年齢になりました。

もっと年上の人に失礼だと言われても、
ゴミの耳には届きませんでした。

一人、また一人と、
才能のあった女性が辞めたり、
一線を退いて行き
ました。

彼女たちが惜しいという気持ちと、
ひとり取り残される寂しさが募って行きました。

もう結婚も出産もすべてあきらめた私は、
しばらく外国に行くことにしました。


黒歴史⑥ 異国の地で、女ではなく人間として生きられる幸せを知った広告屋の笛美。