探究について75
今日は探究学習と自己伝
明日、ベルコ苅田で自己伝の書き方の第2回勉強会開催を行います。
私は、講師として参加
なぜ自己伝か。
以前も少しお話しさせて頂いていたかと思いますが。
そもそも約16年前に母親がなくなり、その時に遺品としてあったのが手帳が数冊。
その手帳を父親が読み、これは焼くか誰にも特に子どもには見せれない。
そう聴くとより見たくなるのは人間だ。
人間の心理はそうしたものだけど、そう言いながら親父も5年前に亡くなった。
残るには手帳だけですが、中々みれないのが現状。
なぜみれないか?
普通であれば母親が書いたものだから見たいのは本音はある。
しかし、書いている内容では、タイムスリップするのが怖い感じもするんだ。
その時に、そのように感じて苦労させてたとか思ってしますと、精神的にやられる可能性はある。
これが、元気な時に「自己伝」として残っていれば、思い出の1つとして残せます。
このような形として残していくのはありかと思う。
当時の時代を生き抜いてきたことは、歴史としても知る必要はあるし、それを継続していくのが道徳でもある。
今の時代は、このような道徳心が欠落していると思われる。
現在では墓終いや散骨、樹木葬などさまざまな形として変わってきている。
ここで何がいいたいかと言うと、先祖を忘れがちになることが大きい問題になりそうだ。
私は毎月墓掃除にいっている人間からすると、とても危機感を感じる。
誰も手を合わす人がいなくなる少子化問題なども考えると理解はできますが、この問題は深いことはわかりますが、形がないでも敬う気持ちがあればいいのかとは思いますが、人間はどうしても楽してしまうとそれに流されるのが人間だからね。