探究について47
今日は探究と自己伝の話をします
今日は自己伝の書き方説明会を行った。
戦略としては、斎場ベルコさんとコラボでの開催
ベルコさんは互助会の集客として
弊社はオリジナルノートと自己伝受注となる
70歳、80歳を想定していたが、思う以上に若かった。
50代、60代、70代ぐらいの方が7名参加
第1回目になりテスト形式とすればこんかなものかと。
60分の時間と決めていたので、挨拶から講師としてスタートした
今回はワークショップがメインになる。
7段階に分けて、幼少期時代〜現在・未来までを説明。
幼少期時代から質問形式をつくり、グループごとでその質問に対して回答やその当時を置き換えて議論したり、思う以上に盛り上がったいた。
もう一つのグループは女性ばかりであったが、段階で話してくださいと言っているのにも関わらず、戦争時代を語っていたようです。
まさに今回の意図した自己伝は、子どもの探究学習や自己肯定感が低い傾向からのアイデアになる。
今の時代は何も不自由なことはない。さらに保護者は子どもに対して世話をしすぎることから、昔はどんな日常生活をしていたか。
五育として、日常生活からの色々な学びを形に引き出せないかと思った。
何もない時代、女性は好きなことができない、子育ては女性のみそんな時代を生き抜いた背景を聞いてみたいと素直に思っている。
そのような身近な学びを、持っているのは勿体なすぎる。
子どもや孫など色々な方に読んでほしいと思わないか。
1億人いれば一億人の生き方があって普通です。
その生き方は今の時代だからこそ、道徳含めて必須になると思っています。
探究学習と同じで、なぜそこまで苦労して生きぬけれたか。
それぞれ回答は違うとは思うが、共通しているとすれば無我夢中で生きて、子育てしていたと思う。
若い方には特に読んでほしいのいは、今の時代は普通に起きていると感じてるが、普通ではない。
昔と今は何が違って、考え方もどうだったのか。
まさに探究として各自の家庭での自己伝ができると知らない世界が学び、その有り難さと感謝になるだろう。
今思うと、私の母も手帳を書き残している。
親父がそれをみた時に、これは全て燃やして処理をすると言っていた。
両親も今は亡くなっているが、その手帳だけは残っている。
それをみるにはかなりの勇気がいる。
なぜか、どんなことが書かれているのかが不安だからだうと。
親父がその手帳を焼却すると言った手帳。
かなり意味ありです。
それが自己伝のような形であれば、亡くなった後であればよめると思う。
しかし、17年ぐらいになりそれを読んだ時に、そのような事を考えていてくれたなど考えると、精神的にもたない可能性があるから見れないんだ。
この話は一つのストーリーにもなるかと感じている。