広げた風呂敷を丁寧に畳むこと。

最近いろんな作品が「勢いに乗っているうちに急いで出す」ことにこだわりすぎて、完成度を高めることが疎かになっている気がする。「面白くなりそうな設定」だけを匂わせておきながら、全く回収できずに風呂敷広げたまま放置、みたいなことが多い。

ジブリの映画も、ハウル、ゲド、アリエッティとかすごくそんな感じだった。原作の偉大さに比べて、ちゃんと回収できる能力が足りていなかったのだろう。

僕が、伊藤計劃や上橋菜穂子、九岡望を尊敬しているのは、広げまくった風呂敷を、丁寧にちゃんと回収するから。
広げるのはわりと誰にでもできるけど、回収する努力って結構地味で、丁寧さと根気を求められる。それができるかどうかが、僕にとってのいい作家の条件かもしれない。
吉田直も、生きていればきっと回収してくれたんだろうな。

乙一は、たぶんこれまでは「丁寧にきちんと回収するために、初めから風呂敷を広げすぎない」というポリシーでやってきた人だと思う。すごく誠実。そして彼が新しく挑戦しているファンタジーの「Arknoah」は、実力がついて「今なら回収できる」と思ったからこそ、風呂敷を広げたんだろうな。
続きにすごく期待している。

風呂敷を丁寧に畳むことは、手間がかかる割にはウケることが少なく、現代のマーケティング的に言うと非効率なのかもしれない。
でも、作品は未来に残る。作品は「今売れるもの」で終わるのか、「後世に残したいもの」になるのかは、そのあたりにかかっているのかもしれない。

そういう意味では、映画版の「ロード・オブ・ザ・リング」は風呂敷の畳み方の丁寧さも、完璧だったなぁ。

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文月 煉
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