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社会とつながる

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僕は学者でもコメンテーターでもないけれど、社会の中で生きるひとりだ。 それなら僕も、社会について思いを馳せることが必要だと思う。
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#ぼくの倫理

日本人は人権を知らない

アメリカの人種差別に反対するデモがすごいことになっている。 こうした状況に言及して「日本では差別というのは身近ではないかもしれないが……」というような発言をいくつか目にして、僕がふと思い出したのは「人権標語」のことだった。 日本全国のさまざまな自治体で「人権標語」を公募して、受賞作を看板にして街頭に立てたりしている。特に田舎で多いような気がする。名目は「人々の人権意識を啓発しよう」。 ところがこの「人権標語」の受賞作を眺めてみると、日本の社会に「差別から必死で目を背けようと

視野を広くもつと、生きづらい、かもしれないけれど。

ちょっと偉そうで嫌味な言い方かもしれないんだけど、最近どうも、「視野が狭い方が生きやすいかもしれない」なんて思ったりする。 でもそれでも僕は、視野が広い方がいいな、できる限りでも。 例えば僕がよく言ってる、自分なりの倫理とか、Don't Be Evilとか、是々非々とか、ダイバーシティとか、そういう考え方って日常生活と同じ高さの層(レイヤー)では考えられないことなんだと思うんだよね。 そういうのを考えようとすると、自分のことを空から見下ろすような、一段高い層が必要になる。

白黒つけない勇気

現代の社会では、多くの人が「白黒つけたい」という欲望に抗えないでいる。 本当はあらゆることはイチとゼロの間にあって、白黒つけることなんてできないのに、人は曖昧に耐えられない。 だから極端なことを言う人がもてはやされて、思慮深い人は顧みられない。 本屋に行ってベストセラーになっている本のタイトルを見れば、根拠もなく強い口調で断言しているものばかりが売れている。 ネットやテレビで人気になる人や、インフルエンサーと呼ばれる人たちも、「極端な発言をする人」が多い。彼らは必ずしもみん

いつまで「ムラ社会」をやってるつもり?

結局のところ僕が違和感を覚えるもの、 打破したいと思っているものは、 いわゆる「ムラ社会」というやつに他ならないのだ。 僕の考える「ムラ社会」の特徴は、 1. 世界を「身内」と「よそ者」に二分割する。 2. 「身内」には同質化を強要する。自分たちの「常識」から外れないようにさせる。 3. 2を前提として、「身内」を盲信的に信頼できるものとみなす。 「何があっても(何をされても)裏切らない」ことを美徳とする。 その一方で、「よそ者」に対しては強い警戒心(あるいは敵対心)を