人の成長を待つということ
大人とはどんな人かと聞かれたら私は「待てる人」と答えます。
例えば、
部下の成長を待つ
任せた仕事の成果を待つ
子供の成長を待つ、など。
そこには自分以外の個人の経験が伴います。
人が経験することを見守る。もしくは人が経験する機会を提供(依頼)してあとは邪魔することなく完成を待つ。
そこには「人を信頼して時を待つ」というちょっとした忍耐が必要で、自分自身の心の余裕が問われてきます。
例えば新入社員に初めての仕事を任せた場合、いくら最初に説明したとしても慣れていないので仕上がるまでには時間がかかるでしょう。
もし自分が精通していることなら自分でやってしまった方が早いですよね。
しかし経験するチャンスを与えることは成長する時間を与えることであり、どんなに小さなことでも将来のその人にとっては大きな財産になり自信につながることである、と思います。
いずれ遅かれ早かれその新入社員も自分と同じくらいに精通する日がくるし、経験するのが早ければ早い程その人は早く慣れて楽に仕事ができるようになり、その結果一緒に働く自分も早く楽になります。
人のために経験と時間を提供したつもりがそれが自分に恩恵となって返ってくる。こんなにいいことはないですよね?
だから私は「今は投資の時期だ」と思って慣れるまでバックでフォローしようと決めています。
他にも、例えばあなたが父親、もしくは母親で自分の子供がちょっと難しそうなことや手のかかることをしないといけなくなった時どうしますか?
客観的に観察してみて、この間まで小さい子供だったけどちょっとお兄ちゃん、お姉ちゃんになってきたから出来そうかな?ちょっと後ろについていて任せてみるか、そう考えることはきっとありますよね?
成長具合を見極めるというのも自分の才覚を問われているような気がします。任すタイミングを計れるかどうか、その後の様子を見て適切に物理的、心理的フォローまでできるか?
これも育てているようで実は親自身の成長を促進させる機会になると思います。
双方にとって役に立つ。ムダってないんだな、と思います。
「やってあげる」ことは一律に良いことという思い込みがあることも事実です。
しかし、子供だからって、新入りだからってなんでもかんでもやってあげることは果たして良いことなのでしょうか?
私はそうは思いません。
今忙しくて手が空いていないから手伝うというのならいいと思います。
でもそうでないなら、それは人の経験する機会を奪うことと同じだと考えています。
やってみたらとチャンスを与えることこそ人の成長を考えた思いやりのあるプランだと思います。
もし私が何のために生まれてきたの?と聞かれたらこの世でいろんなことを経験するため、と答えるくらい経験は大切なことだからです。
「良かれと思って」と行動する前に、「それは本当にその人の為になるのか?」と考えてみる。
信頼して任せて自分は時を待つ。
気づかぬうちに自分の両親や上司たちもそうしてきてくれたのだなと思うと感謝の気持ちが溢れてきます。
私自身もこれからそんな心の余裕を持つ素敵な大人の一員になっていければいいなと思っています。