「筆先三寸」日記再録 2003年1月~2月
2003年1月4日(土)
新年明けましておめでとうございます。今年もご愛顧のほどを。
今年はむやみやたらと休みが長かったので、実家でゆっくりさせていただきました。
以上、正月の話題でした。
そうそう、今年もらった年賀状で一番かっこよかったやつの話。
なんちゅうか猫も杓子もパソコンで年賀状を作る時代になったようで、子どもの写真やら凝ったイラストやら全面フチなし印刷やら、自分のことを棚に上げて言うのもなんだが、もうええて、もうわかったて、という気分になる。
そんな中で目についたのが、宛名もボールペンで書かれた一枚。裏には手彫りらしき羊のスタンプに、これまたボールペンで長文のコメント。思わずなごんで差出人を見ると、学生時代の友人である。しかも本職のプログラマー相手にプログラミングを教えるほどのプロ中のプロ。
こんなん見せられると、PC&デジカメで凝りに凝った年賀状なんて恥ずかしいというのか、うれしがってるだけに見えます。
よーし、俺も来年は筆ペンと木版画じゃー、と思ったまではよかったのだが、私の場合はそんなことすると絶対、「こいついまだにパソコンさわられへんねや」と思われるのがオチということに気づいて、ちょっとしょんぼり。
2003年1月5日(日)
文中リンク促進週間ということで、年末の買い物の感想などを。
▼「TVサイズ テレビまんが主題歌の歩み1&2」
CD一枚に、50曲も昔なつかしいアニメの主題歌が入ってて、こりゃもうお買い得。正月は移動中というものずっと車でかけていたので、子どもたちもあらかた覚えてしまったようである。鼻歌でも、「ゆっけーゆけーハッチー」だの、「あれはーだれだだれだだれだ」だの、「タマゴたべたらタマゴン」だの歌いまくり。見たこともないのに。
学校でそんなアニメのを話しても、誰も知らんぞー。
▼「ジレット マッハシンスリー ターボ」(3枚刃の安全カミソリ)
これまで使ってた2枚刃のやつの替え刃がなくなったので、思い切って本体ごと買い換えた。
なんとこれがカルチャーショック。刃が一枚増えただけなのに。ぶつぶつ付きのしゃもじを買ったとき以来かもしれない。
今までのは、「剃ってるー、刃が当たってるー」という感じだったのに、これはただ単に肌をなでてるだけみたい。それでいて十分以上に深剃りができる。おおお、ちょっとこれは気持ちいいぞ。肌にもよさげだぞ。
男子はもちろん婦女子の方々にもおすすめしておく。あんなとこやこんなとこの毛を剃っても、きっと今までほどヒリヒリしませんよ。
▼「ブラウンの電動歯ブラシ」
歯ブラシ型のヘッドがぶるぶるするやつじゃなくて、丸いブラシがぐるぐる回転するやつ。早い話、鉄工所のおっちゃんがサビ落としに使うグラインダの小さいやつである。
これも値段が高いわりには、それ以上の満足感。手動歯ブラシ(それが普通か)じゃ磨きにくい、奥歯の向こう側みたいなところまでガシガシ磨けるし、落ちにくかった歯の裏の歯石みたいなのも3回使うだけで激減したし。歯茎を傷つけることもないし。
どうせ、と思いながら買ったのだが、これまたうれしい誤算である。
当然、失敗した買い物もあるのだが、それはまた後日。今日はひとまずネタフリということでひとつ。
2003年1月7日(火)
「やぎさんゆうびん」と「森のくまさん」がせっかく本に載ったというのに、それをきっかけに来てくれた人がいても、新作がないというのはあれなので、大急ぎで新しいのを仕上げました。
今回も原稿用紙で50枚近くと無駄に長いですが、長いのもネタのうちということでご勘弁ください。笑うとこもあんまりないですが、それもご勘弁ください。オチのためにかなり無理してるところもありますが、それもご勘弁ください。読むだけ読んでも何のためにもならず時間の無駄ですが、それもやっぱりご勘弁ください。
とにかくいろいろご勘弁ください。
2003年1月12日(日)
▼せっかくがんばって長いの書いたのに、あんまし反響がなくて淋しいなあ、とか思ってたら、昨日突然、「お笑いパソコン日誌」や、「hardでloxseな日々」や、あまつさえ「俺ニュース」にまでリンクしてもらって、一気にアクセス数が数倍になりました。
瞬間最大風速みたいなものとはいえ、ちょっと(ていうかかなり)うれしいものがあります。
▼てなわけで、年末年始のお買い物シリーズ(下)。
▽「docomo P504i」
薄い。めちゃめちゃ薄い。もうそれだけで十分。ズボンのポケットにもスパっと入って、ゴロゴロ感なし。
カメラなんていらねー、というわけで、今や旧機種扱いのわりにあんまり安くなってなかったけど、これを入手しました。
ところが、モバギで前のケータイをつなぐのに使ってたTDKのPCカードが使えない。ドライバあるのかなあ。今さら新しいカード買うのもバカみたいだし(それなら新しいPDAとか、モバイルノートとかを買う。金ないから当面は無理にしても)。
せっかく出先でテキスト書くついでにメールチェックできたりして便利だったのに。ちくしょーくそー。
▽「CONBAT DigiQ タイガーI型」
これはヒット。大き目のマッチ箱くらいの戦車が、自由自在にラジコンで走る! コタツの上で遊ぶのに最適。当然キャタピラを履いてるので、レゴでいろんな起伏を作ったりして、その上を走らせるのが楽しい。で、みかんで遮蔽物を作ったり、エンピツでコースを作ったりしてると、時間なんてすぐに過ぎる しかも、なんと赤外線で撃ち合って対戦できるらしい。。
なおちゃんには、「お父さん、また自分のおもちゃ買うたん? 自分のばっかりやん」と眉をひそめられてしまいました。ともちゃんは、「おとうさんのやから、ともちゃんほしいてゆえへんねん」と、聞き分けのよいところを見せておりました。ちょっと感心です。
結局、なおちゃんもともちゃんも指を加えて見ていましたが、お父さんのですから、専らお父さんが一人で遊びました。ちょっとしかさわらせてやりませんでした。へーんだ。
しかし、遊べば遊ぶほど対戦したくなってきます。すると最低でもあと2台買わないといけません(1台だとけんかになる、もしくはなおちゃんが泣かされるため)。うーむ。
▽「ODN-ADSL 12M」
えー、今まで1.5Mで、650bpsくらいしか出ていなかったのですが、マイISPであるODNが12Mサービスをはじめるというので早速変更しました。料金もあんまり変わらないし、これで劇的に速度が速くなれば(せめて3Mbpsくらい)万々歳です。
まず、モデムが新しくなりました。今まではルータ機能つきでセキュリティも安心だったのですが、今回は電源ボタンすらない素のモデムが送られてきました。ちょっと遺憾に思いました。
次に接続ですが、工事日も特に関係なくつながりました(どっちにしてもADSLなので)。ひと安心でした。
そして肝心のスループットですが、いろんな速度計測サイトを利用して計ってみたところ、これまで650bpsくらいだったのが、なんと650bpsくらいになったようです。まったくいっしょやがな。
それはそれで劇的かもしれませんけどね。そんなオチはいやじゃ。
▼もう13日になっちゃったけど追加更新。
なんとまあ「ブレネリさん」が、とうとう「カトゆー家断絶」やら、「読我新聞」でまで、取り上げられましたよ。雑文書き冥利に尽きるというかなんというか。特に後者は、「森のくまさん」までほめてくださってますよこれが。
カウンタのつけ方によっては、すっごい瞬間最大風速を記録できたかもしれません。
カウンタの回り具合とかリードミーの順位とかはどうでもよいのですが、それらニュースサイトの威力(マジすごそう)を実感したかったな、と。
2003年1月14日(火)
▼文中リンク促進週間は終了。本が出たとかうれしがるのも終了。「ブレネリさん」アップしたらどうしたこうしたの話も終了。
というわけで通常更新に戻る。
▼斉藤美奈子『読者は踊る』(文春文庫)
ナンシー関亡きあと、切れる(笑える)批評コラムの最右翼である。
この本では、相変わらずの底意地の悪さで、(当時の)ベストセラーをばっさばっさと斬っていく。言うまでもなくおすすめである。
中味はもっと面白いのだが、引用すると長くなるので、各節のタイトルを少し書き出してみる。
「芥川賞は就職試験、選考委員会はカイシャの人事部」
「マニアなのかマヌケなのか。クラシック音楽批評の怪」
「アダルト・チルドレン人口をそんなに増やしてどうするの」
「死ぬまでやってなさい。全共闘二五年目の同窓会」
「近代史音痴の国で起こったお笑い歴史教科書論争」
「哲学ブームの底にあるのは知的大衆のスケベ根性だ」
意表をついた切り口や表現で、論証という手続きを経ずに読者の共感や納得を得つつ、以後の読者の「ものの見方」に大きな影響を与える。ここにナンシー関の影響を見ることはたやすいが、やはり両者は決定的に異なっている。
ナンシー関は、テレビという窓から見えるバカバカしさやあざとさや醜さを、笑いながら、訝しみながら、それらと自分の視線が不可分であることを熟知していた。自分の文章が読者の共感をつかむことを承知していたにせよ、そこで書かれるのは常にナンシー関個人の感性であり実感である。
一方、斉藤美奈子は、同じように対象のバカバカしさやあざとさや醜さを、笑いながら、訝しみながら、そして自分の文章が読者の共感をつかむことを承知しながらも、自身の実感を書くそぶりで「自分の喝破した世間の実感」を書こうとする。
わかりにくい書き方しかできずに申しわけないが、端的には、ナンシー関は「内部」にいて、斉藤美奈子は「外部」に立つ、という言い方もできるかもしれない。
どちらがよくてどちらが悪いという話ではない。行き着くところは、コラムニストと批評家の違い、などというものかもしれない。
もちろん私は、両者ともデビュー当時からの(←おっさんの役得)ファンである。
▼そういえば、昨年ナンシー関が亡くなったときの、似非文化人連中の反応はちょっと気持ち悪かった。なんかみんな悼みすぎ。持ち上げすぎ。お前ら生前にちょっとでもそんなこと言うてたか、という感じで。誰とは言わんが、パクリ元が死んで困ったとか書くべき奴ほど、その傾向が著しかったように思う。
まあ、いくら惜しんでも過ぎることのない存在だけれど。
2003年1月16日(木)
▼ともちゃんの通う保育園には、「おとうばん」というものがある。どうやら日直のようなものらしい。
まず、朝一番には、ごあいさつの号令をかける。
「あしをそろえてください。てをよこにしてください」(気をつけの指示)
「はじまりのうたをうたいます」
そして、ちっこい連中が揃っておうたを歌うのである。
終礼時にも当然同様の仕事がある。
「おわりのうたをうたいます」
こういうものらしい。
昼は昼で重要な役割がある。給食のおばさんに当日の出席人数を報告するのである。
「おとこのは8にんです、おんなのこは9にんです、おやすみはふたりです、ごはんは0にんです、たまごはひとりです、せんせいはひとりです」
ちなみに、「ごはん」とは主食も保育園で用意する必要のある子ども、「たまご」とはアレルギーのある子どものことである。
「おとうばん」の日は、これらを家で実演してくれる。
「ともちゃん、きょうおとうばんやってん」と。
ちなみに、今日の「おとうばん」は、たっちゃんとまりんちゃんだったそうである。
▼先日の休日のことである。
サイと私は並んでコタツに入ってテレビを見ていたのだが、どうも必要以上にくっついていたらしい。
ともちゃんはそれを見て、なぜかうれしそうに(で、半分照れくさそうに)、
「あー、けっこんしてるー」と言った。
しかしなぜお前が照れる。
我々はそれで一瞬身体を離したのだが、その様子がおかしいので、またぴったりとくっついて見せた。
すると、ともちゃんはやっぱり、
「またけっこんしてるー」と囃すのである。
面白がってそんなことを繰り返していると、とうとう、
「おとうさんとおかあさん、4かいもけっこんしたー」と言われてしまった。
俺らはパンダか。
2003年1月19日(日)
▼松田道弘『クラシック・マジック事典』(東京堂出版)
久しぶりに買ったのマジックの本である(高いぞ)。スポンジボールやコイン・スルー・ザ・テーブルをはじめとする、近代マジックの看板のようないくつかのトリックについて、それぞれ歴史的な考察を含めて解説されている。文字通りクラシックな手順から継承者によるアレンジまで体系的に載っていて楽しいしためになる。
ダイ・バーノンやスライディーニという名前になじみのない人には勧められないが、バイシクルのライダーバックを新品で3組以上持っているような人、ハーフダラーを10枚以上持っているような人は必読。
ちなみに、著者は故松田道雄(岩波の『育児の百科』の著者。育児書は本当にこれ一冊でよい)の息子である。私は親子二代にわたってその著作にはお世話になりっぱなしであるといえよう。
▼このところ、どこで覚えてきたのか、ともちゃんはしょっちゅう「それがどーした」とぬかす。よくある憎まれ口であるが、どう言われても腹が立つよりおかしいので、今や我が家で局地的に流行している。
それをふまえて先週火曜日の話。
サイが、なおちゃんを連れてともちゃんを保育園に迎えに行った帰りのことである。
三人で歩いていると、なおちゃんの同級生であるこうちゃんとげんき君が帰宅するところに行き会ったという。
おかえりー、とサイが声をかけた。
「ランドセル交換してんねん」とこーちゃんが言った。
まあ、当事者の2年生にはちょっと面白いのであろうが、傍目には同じようなランドセルである。交換しようがしまいが、どうでもよい話である。
「ええなー」と感心することもできず、なおちゃんはあいさつに困って、「ふーん」とだけ言ったらしい。
すると、それを見ていたともちゃんが、わざわざなおちゃんの耳に口を寄せて、
「それがどーした、てゆい」と言った。
ほっといたれっちゅうねん。そんなこと言うたら、こうちゃんせっかく喜んでるのに気ィわるいがな。
なおちゃんはすかさず「なんでやねん」とツッコんだらしい。
だんだんとコンビの息も合ってきたようで祝着至極である。
2003年1月27日(月)
▼この土日は、職場の慰安旅行で温泉へ行ってきたわけで。昭和30年代みたいな職場である。
電車飲む風呂飲む食う飲む風呂飲む飲む飲む寝る風呂飲む食う飲む観光食う飲む電車という強行軍。
もうなにがなんだか記憶すらあいまいなわけですが、やる方も見る方も酔っ払いといういいかげんな宴会手品が受けたのはよかったかな、と。
しかし、なんでわざわざ私だけカップ&ボールなんてものまで持って行かんといかんのか。
▼今日は久しぶりにガチャガチャ屋めぐりを敢行したわけで。
なんばCITYの周辺には、ガチャガチャや食玩を単品やセットで売っている店が3軒固まっていて、とりあえず「福神根付」の持ってないのと、「ウルトラ怪獣名鑑3」のセットを購入した。前者のシークレット品である金色の宝船は、単品で2500円もしてびびったのだが、気合いで買ったら、別の店では2000円で売っていた。諸行無常である。
後者は1個200円のが10種中9種セットで2000円というお買い得ではあったが、あとの1種、シークレットのケムール人だけが単品で2000円もした。色即是空である。
▼なおちゃん&ともちゃんは、どうしても「ゲームボーイアドバンスSP」がほしいらしい。なおちゃんなど、お年玉を取崩してもいいからと、涙目で懇願する。
仕方がないので、サイは二人に向かって、いい子にする、勉強もする、お手伝いもすると固く約束させて、私が旅行に行っている間に、「3つ」予約したらしい。1個12,500円もするのに。よい妻である。私もいい子にするのである。
▼そんな私は今年前厄である。前途多難である。
2003年1月29日(水)
▼ 寒い。
▼とはいえ、外気温はせいぜい零度前後だと思う。でもなんか死ぬほど寒い。ていうか、大阪名物ホームレスのおじさんたちは、ほんとうに今夜かなり死ぬんじゃないか。得意のワンカップをいくら空けたところで、酒でどうこうなるような寒さじゃない。そして、その凍え死んだ10人のうち8人は、この10年ばかりのスカタンな経済政策の犠牲者であると思ってもおそらく間違いではない。
▼でも、よくテレビで見る北国の女子高生(雪でも生足)とか、OL(パンスト1枚にうっすいコート)とか、あれはいったいどういうことか。氷点下十何度とかなのに。なんか人間も寒冷地仕様とかあるのか。とくに延髄あたり。
こちとら零度そこらで鼻水と咳が止まらないというのに。<それはたぶん風邪。
2003年2月2日(日)
▼30日、寒気に耐えかねて早めに帰宅すると、やはり38.6℃の高熱。適当に家にあった風邪薬を飲んで寝たが、31日は起きぬけから38.6℃。
金曜日は、どうしても出勤してするべき仕事もあったのだが、結局課長に泣きを入れて休ませてもらった。
布団の中でうなってると、午前11時には39.2℃てなことに。39度を超えるなんてのはいったい何年ぶりか。今世紀最凶最悪の風邪である。午後一番に、パジャマの上からダウンジャケットを着込んで近所の病院で診てもらったら、案の定インフルエンザとのこと。
とうとう今朝の今朝まで布団から起き上がれなかった。ほぼ60時間ほど布団の中で苦しんだ勘定になる。なんとか回復したのは、抗インフルエンザ薬「タミフル」のおかげである。
でも、最新最強の抗ウィルス薬のくせにかわいらしい名前である。タミフル。タミフルは野菊のような人だ。
「エクストリームウィルスバスタータミフレイドン28号EX」とかにすればいいのに。いいのか。
▼布団の中ではうなる以外にどうしようもないので、本を一冊読んだ。
石田衣良『少年計数機 池袋ウエストゲートパークII』(文春文庫)。
まだちょっとしんどいので、ちゃんとした感想は書けないが、高級ライトノベルみたいな感じである。よく立ったキャラクターたちとイージーなストーリー。リーダビリティの高い文体と、ナウなヤングの確かな呼吸音。
ただ、せっかく池袋育ちの人間が主人公なんだから、池袋の表層的な住民だけではなく、戦後以来の岩盤みたいな住民層が出てくればもっといいのに、と思った(これは池袋が表層的にしか描けてないとかいう意味ではまったくないので、念のため)。
2003年2月7日(金)
▼病み上がりのまま、なんとか激務週間を乗り切った。体調も週末に至ってやっと旧に復したところで、来週は超激務週間がやってくるのである。勘弁してください。
というところで、最近読んだ本から。
▼石田衣良『池袋ウエストゲートパーク』(文春文庫)
前回書きかけたけど、一冊だけじゃあな、ということで第一作から読んでみた。
うーん、面白いや。和範やラジオや崇やシュンや、いろんなキャラクターがみんな鮮やかで。池袋の空気も会話も生き生きしてて。
でも、これってヴァクスのバーク・シリーズを、若くして明るくして人があんまり死なないようにした感じだよなあ、と思ってたら、案の定、巻末の解説で池上冬樹が指摘してた(この解説は秀逸)。
ええと、その解説の真似みたいでけったくそ悪いが、このシリーズって(ていうか、主人公のマコトは)、実はハードボイルドなのである。ハメット型の原型はすでにないにせよ、性根はハードボイルド以外の何物でもない。矢作俊彦がヨコハマを舞台に書いていたような。
面白かったけど、私は「もうわかった」から、たぶん第三作(『骨音』)は買わない。
▼飯嶋和一『始祖鳥記』(小学館文庫)
『雷電本紀』、『神無き月十番目の夜』に続いて、やっと三作目の長編なのだが(何年かかってる)、文庫化を待って読んだ。
もう脱帽。すでに神。現存する中で、私が最大限の尊敬を払う作家の筆頭である。
三作ともだが、抜群に巧くて緻密な文章、膨大な史実と綿密な考証、そして腹の底が熱くなるような物語。
この作品は、江戸時代に、手製の羽根を背負って空を飛んで罰せられた表具屋の話である。だからどう、という物語ではない。でも、多くの人に読んでほしい。こういうのが本当の小説だと思うから。
▼白石一文『僕のなかの壊れていない部分』(光文社)
売れているらしい。宮台真司あたりは、『海辺のカフカ』なんかよりはるかに高い評価を与えていた。
でも保留。新しいかこれ。時代認識には突き抜けたものもあるけれど、私はこんなくだくだくだくだ屁理屈型モノローグの多い小説はやだ。それなら太宰読み返しとくって。
一冊でケチをつけるのはいまいちフェアじゃないような気もするので、いずれこれもすごく評判のよかった前作、『一瞬の光』を読んでから考えることにする。
▼今週は仕事のせいで、さっぱり子どもの起きた顔を見てないので、なお&ともの話はありません。私が残念です。
2003年2月11日(火)
バレンタインが近い。チョコなぞ、ここ数年サイ以外にもらってないのだが、それはともかく。
月曜日のことである。サイが冷蔵庫から小さな箱を取り出して言った。
「これな、バレンタインにあげようと思て買ってんけど、一個食べていい?」
お前が食うんかい!
2003年2月15日(土)
▼ともちゃんこのごろめっちゃかしこい。ほっといたらいつのまにかひらがなも全部読めるようになってるし、カタカナも大方は読める。本人は「ともちゃん、かんじもよめんねんでー」と言ってるが。それは漢字やないっちゅうねん。
しかも、ひまなときには、「じゆうがちょう」に字を書いてみせたりするのである。ぎこちない手つきで鉛筆を持って。むやみに力を入れてぐりぐりと。
それになんとこのごろは、おかたづけやおてつだいまでする。夜、寝る前には茶の間に散らかした本やおもちゃを片付けるのである。びっくりするったらない。
ともちゃんに話を聞いて謎が解けた。かしこくしてないと、4月からゆりぐみさんに上がれないと思っているらしい。
「がんばりしょうのシールはってもらえへんくなるもん」
ということらしいのである。
そうなのか、がんばりシールをはってもらうために、ゆりぐみさんに進級したいがために、突然いい子になったのか。いいぞいいぞ、なんだっていいぞ。がんばれがんばれ。お父さんとお母さんは助かるぞ。
でも頼むから、朝はすっと起きてくれ。
▼昨晩のことである。
2月14日とはいえ、バレンタインどころの話ではない。ゲームボーイアドバンスSPの発売日ではないか。
私は仕事もそこそこに切り上げて(課長すんません)、速攻で帰途についた。それでもここが長時間通勤の悲しいところであるが、何とか閉店間際に、自宅近くのショッピングセンターへ飛び込んだ。
おもちゃ売り場のカウンターに、朝からサイに預かった予約券を叩きつけた。
「あの、この、これ、その、3つ、予約の、えと、3つ」
あせりすぎである。
ともかく、無事に3色手に入れた私は、大急ぎで帰宅した。
子どもたちの喜びようったらない。どうやら本日中の入手はあきらめていたようで、とくになおちゃんなどは、「ありがとうありがとうありがとう」と、しつこいほど繰り返してくれた。
それには実は、この日の夕方、サイとの間でこういうやりとりがあったそうなのである。
「なおちゃん、お父さん、ゲームボーイ買ってきてくれるかなあ」
「うーん、むりやと思うで」
「買ってきてくれたらどうする」
サイの言葉で予感がしたのか、なおちゃんの顔が一気にゆるんだという。
「めっちゃうれしい。ありがとうありがとうってなんべんでも言う」
「ほんま?」
「ほんまやって。めっちゃありがとうって言うねん」
もうグニャグニャである。そこでサイが重ねて聞いた。
「チューしたる?」
するとなおちゃんは急に真顔に戻って、
「それは男どうしやからようせん」
そりゃそうだろうけど。
2003年2月16日(日)
▼で、ゲームボーイアドバンスSPなわけですが。
こりゃいいや。折りたたむと、ちょっと前のポータブルMDプレイヤーぐらいのサイズしかないというのももちろんですが、フロントライトがついてすっごく見やすくなってます。暗がりでも逆光でも、ばっちり見えるというのがこれほどありがたいとは。
私がそれで何をするかというと、いまだに「風来のシレンGB2」なんですけど。
いや、これ、ほんまに面白いねんて。システムも通勤にピッタリやねんて。一生もんでっせほんま。
「逆転裁判」買うまでは、これ1本で行きたいと思います。
でも、もともとゲームボーイカラー用のソフトなので、カセットがSPのスロットから半分以上はみ出すのが、なんともかんとも不細工で悲しいです。
トルネコはアドバンスで出てるのにー。リメイクでいいから、チュンソフトはそこのところ考えてください。
▼今日は、なおちゃんは一人で、半日おでかけしてしておりました。
残されたともちゃんに、「お兄ちゃんいなくて、さびしい?」と訊ねると、
「ううん。おにいちゃんのほうがさみしいとおもうでぇ。ひとりやから。ともちゃん、おとうさんとおかあさんがいてるもん」
とのことでした。
質問に対する返事なら、「ううん。おとうさんとおかあさんがいてるもん」で十分なはずなのに、とっさに「おにいちゃんのほうが」と出るとは、ともちゃんにもなかなかやさしいところがあるようです。
▼あちこちで利用されている「はてなアンテナ」ですが、先月あたりから、うちのトップページの更新には反応しなくなったようです。なぜかはわかりませんがそういうことなので、うちのトップページを登録してるという奇特な方がいらっしゃいましたら、日記の方へアンテナを張りなおすのがよろしいかと。
2003年2月22日(土)
▼やはり知的モテ系の当サイトとしては(JAROごめん)、時事問題などにも言及したいわけで。
小泉だか国連大使だかなんだか知らないけど、こないだ国連でアメリカの尻馬に乗っちゃって、イラクに対する武力行使方向での国連決議を求めたとか。
アメリカのジャイアニズムもたいがいだが、日本のスネオニズムもここに極まれりである。
ここまでアメリカの肩を持つということは、アメリカが国連をコケにして戦争をはじめても、日本は支持すると言明したに等しい(ま、全世界が予想してたといっても、公式にはっきり言い切るのとはまた別)。
となると、そんな支持を表明するってのは、日本国民をテロの前面に押し出すということでもある。テロリスト(イラクのじゃなくってね。いろいろいそうな反米の)は、当然、金持ち腰巾着「日本」も自分たちの敵だと思うだろう。
さあ、テロリストはどっちを狙うだろう。日米の、国民の危機意識と、危機管理能力と、カウンターインテリジェンスと、警察力と、報復のための軍事力を比べて。「てめえら、あっちにつくってんならこうなるぜ」なんて、見せしめにもなるだろうし。
まあ、それは最悪のケースにしても、武力行使を「今即座に」という理由がさっぱりわからない米英の肩を、「今即座に」持つ日本の意図がもひとつよくわからない。これなら、相変わらず無能呼ばわりされながら、ごにょごにょ言を左右にしてたほうがよかったような気がしなくもない。
でも、イラク国民を殺すなもいいけれど、みんななんで、日本外交のおかげで今度は自分がテロの標的になるとか思わないのだろう。
もっと怒ってもいいんじゃないの。
▼ともちゃんが、私に向かって何度も何度も「ばか」とかぬかすので、注意してみた。
「おまえ、父親に向かって、なんべんもバカバカとは、どういうこっちゃ! お父さんはなあ、バカていうても、ちょっとだけじゃ!」
叱られたと思ったのか、それでともちゃんは反省したようです。
でもまたあるとき、「めっちゃばか」とかぬかしやがったので、眉をつり上げて「なにィ」とすごんでみせると、ともちゃんは、びくっとして背筋を伸ばしました。
「おとうさん、めっちゃばかちゃうし。ちょっとだけやし」
自分でまいた種とはいえ、なんかこう、激しく不満です。
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