月下奇譚

2002年9月22日公開。「こっそり月見雑文祭」参加作品。


 満月の夜になると思い出すのでございます。
 今の貴方様にはかような昔話を聞くのはお厭かもしれませんが、なにとぞ年寄りの繰り言と思し召してしばらくおつきあいくださいまし。
 まだ妾(あたくし)が尋常小学校へ上がる前のことでございますので、時代が昭和に改まって間もなくのことでございます。妾は今でこそこのように老いさらばえたお見苦しい姿をお目にかけておりますが、その時分はほんに可愛らしい子どもでございました。自分で申すのもおかしな話でございますけれど。ほほ。
 妾の家は古くから商売をしておりまして、奉公人も数多く雇うておりました。それも戦争ですっかり焼けてしまい、このようなあばら家住まいの今となっては夢みたようなものですございますけれども。
 そうそう、昔話でございますね。
 その晩は今日と同じ中秋の名月の晩でございました。
 何の用向きでしたかもう覚えてはおりませんが、妾は奉公人の佐吉という男と、とあるお家へ使いに出かけておりました。手代でもない奉公人と年端もゆかぬ子どもの二人きりでございましたので、商いの使いではなかったようでもございます。先様には妾と同じ年頃のお嬢さんがいらしたのでお月見に誘われただけでしたかもしれません。
 その帰り道のことでございます。
 子どものことですので夜更かしはできません。それでも月見の膳をお呼ばれしての帰りですので、日はとっぷりと暮れてあたりは真っ暗、空の上には大きな満月が白く丸く輝いておりました。。
 お若い貴方様には思いもよりますまいが、当時の夜道は本当に暗うございました。瓦斯灯電灯の類などは繁華な目抜き通りにあるきりで、たいていの夜道は月明りだけが頼りだったのでございます。ただ、その日は満月が晧々と、ずいぶん明るうございました。お若い方には月明りの有難さもご存じないでございましょうね。
 妾は途中で歩き疲れて佐吉の背に負われておりました。佐吉の肩越しに、提灯の火が揺れているのを不思議なような気持ちで見ておりました。
 城下をぐるりと廻る大きな川のそばにさしかかった時のことでございます。不意に佐吉が申しました。
「お嬢様、お月様がきれいですなあ」
 なにせお月見の帰りでございます。そんなことは先からわかっております。
 妾は佐吉があまり好きではありませんでした。ずんぐりとした背格好に疱瘡面で、小狡そうな細い眼は、いつも旨い話はないかと探し回っておるようでございました。
「お嬢様、お月様にはうさぎなどおりませんのですよ」
 妾はお月様にはうさぎが住むと信じていた年頃でございます。佐吉の意地悪げな物言いが癪に障りました。
「うそ。お母様がそう教えてくだすったわ。」
「うそではござんせん。お月様とは実は物の怪、お化けの住み処」
 川端で揺れるすすきが急に薄気味悪く感じられました。
「いやいや。そんな話はいやです」
 妾の怖がる様子が余計に佐吉を喜ばせたようでございました。
「年に一度は月見団子をお供えしましょうが。あれは本当は、月のお化けが、人間様の目玉を取りに来ぬようにとのおまじないなんです」
「やめて佐吉、やめて。そんなのうそに決まってる」
「本当ですて。月のお化けは、本当に人間の目玉をえぐって食らうのが大好きで、毎年のお月見の晩には月からやって来よるのです。だからお化けが間違うて持って去ぬように、団子をばこしらえて……」
 行き交う人もおらぬ真っ暗な夜道のことでございます。幼い妾はとうとう泣き出してしまいました。それでも佐吉は下卑た笑いを顔に貼り付けたまま、話をやめようとはいたしません。
「八月十五日に夜道を歩いておりますと、物陰から急に、毛むくじゃらの太い腕に長い爪を光らせて、『目玉を寄越せーっ』」
 佐吉の大声に、妾は身を反り返らせるようにして悲鳴を上げました。錯乱状態とでも申すのでしょうか、妾は佐吉に負ぶわれたまま、後ろから頭を叩くわ引っかくわ、子どもの振り回す人形のように暴れ出したのでございます。
 怖いやら憎たらしいやらで佐吉の顔を掻き毟りましたら、どこがどう当たったものか妾の両の爪が目玉を傷付けでもしたのでございましょう。佐吉はアッと叫んで妾を放り出すなり、大きな声を上げて両手で顔を抑えたのでございます。その上、どうした拍子か取り落とした提灯の火が袂に燃え移り、佐吉はあっという間に火達磨になってしまいました。奉公人らしい唐桟の木綿の袷がそのように燃えますものかどうか、今でも不思議なのではございますが、見る見るうちに佐吉は人の形の火柱となってしまったのでございます。
 佐吉の人間のものとも思えぬ叫び声は今も耳に残っております。そして佐吉は満月に向かって咆えるような悲鳴を上げながら、川に飛び込んでしもうたのでございます。
 妾は泣き叫んで駆け出しました。
 どのようにして家まで帰ったかは覚えておりません。
 気がつくとお屋敷の座敷でうなされておりました。気遣わしげにのぞき込む母の白い顔が今も目に浮かぶようでございます。
 佐吉の身体はとうとう揚がらずじまいでございました。
 それでも寝間でうなされておりました妾の目には見えておりました。川底の佐吉は、焼け爛れて膨れ上がった顔をしておりました。しかも左の眼窩はぽっかりと黒い空洞、右の目玉はだらりと垂れ下がり、変わり果てた姿で赤黒く焼けた腕を上げておいでおいでをするのでございます。
 妾はその幻にずいぶん苦しめられました。その後も佐吉は変わり果てた姿となって、幾度も幾度も夢に現れるようになったのでございます。ことに満月の夜には、必ずといってもよいほど妾を一晩中苦しめたものでございます。
 人の目玉を食らうという月の物の怪の話、私が傷つけた佐吉の目、悪夢に現れる佐吉の飛び出した目玉。妾はそれ以来、眼というのもに執着するようになってしもうたのでございます。もちろん団子と名のつくものは、一切口にできぬようになってしまいました。
 夕餉の膳に乗せられた尾頭付きの魚の目玉は、必ず箸の先で突き潰すようになりました。可愛がっておりました手乗りの文鳥も、妾が針で目を突いて殺してしまいました。蛙の目、鼠の目、鮒の目、亀の目、子猫の目、妾が親の目を盗んで針で突き刺し、小刀で抉り出した目玉はそれこそ幾十とも知れません。
 妾が佐吉の悪夢から逃れるにはそうするより他なかったのでございます。
 空襲で焼け出され、母が死んで後は、その癖も一層ひどくなってまいりました。
 常の月夜には小さな生き物を、満月の晩には、人をお相手にいたずらを繰り返すようになったのでございます。
 終戦直後は米や野菜を差し上げるなどと申しまして、多くの戦災孤児や未亡人を。秋波をちらつかせて殿方を手にかけたこともございます。
 おやおや、お顔の色がすぐれませんね。まだお体の方ははっきりといたしませんか。ほほ。
 年を取りましてからは、力ものうなりましたし、毎年の中秋の名月の晩に、昔ながらのいたずらをしてみせるのがせいぜいでございます。庭で丹精しておりますあれやこれやの薬草で拵えました痺れ薬なぞの力を借りましてね。お恥ずかしいことでございます。
 おかげさまで佐吉の悪い夢も此の頃はとんと見ぬようになりましたけれど、三つ子の魂百までと申します。この癖ばかりはこの歳になってもなかなか治まらぬようでございます。
 昔話はもうよしにいたしましょう。
 はい。これが畳針でございます。畳屋さんも少のうなりましたので、今はなかなか手に入りません。こちらは果物用の匙、ええ、縁にぎざぎざのついた。色々と便利でございますよ。あとは鋏やらなにやら。
 年寄り相手のお商売というだけで、たまたま十五夜の晩に妾の家にお見えになった貴方様には、本当にお気の毒みたいなものでございます。
 ああ。お暴れなさいますな。細い針金しかありませなんだので、括らせていただいた手足の肉が裂けて畳が汚れます。
 それではひとつお教えいたしましょう。妾が幼い時分から幾度も夢に見ました佐吉の目玉は、本当にまん丸で今宵のお月様のようでございましたけれど、人というものは不思議でございます。小さなお子たちも年寄りも、屈強な殿方もなよやかなお嬢さんも、姿形は違いますのに、妾の手で抉り出した目玉ばかりは、矢っ張り丸うございました。


こっそり月見雑文祭

 「Oasis in the desert」さんの主催で開催された雑文祭。

 今回の縛りは下記の通り。
 ○ テーマ : 秋や月見を絡める
 ○ 書き出し : 「満月の夜に」
 ○ 文中に、「すすき」「うさぎ」「団子」をいれる。(言葉の前に何をつけても可)
 ○ 文中に、月見に関した語の同音異義語(もしくは掛詞)を入れること。
 ○ 結び : 「やっぱり丸かった。」(語尾は変えるのも可)

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