「新サクラ大戦 the Stage ~二つの焔~」最高の舞台だったからこそ言いたい3つのこと -倫敦華撃団が負けた日-
※本記事は舞台「新サクラ大戦 the Stage ~二つの焔~」並びにゲーム「新サクラ大戦」のネタバレを含んでいます。
前回の『二つの焔』感想記事はこちら。
初めに
私はアーサーが好きです。
新サクラ大戦(ゲーム)発売前からずっと好きです。世界一かわいくてカッコいいよ……見た目も中身も声も全部丸ごと愛してる……
このテンションをずっと維持したままゲームの発売から二年が経とうという時期に舞台『新サクラ大戦 the stage』の続編として『二つの焔』の上演が決まり、愛するアーサーもその舞台で登場することが公表されました。
そうして実装された舞台版の、楓さん演じるアーサーは本当に本当に最高の人でした。
この世の全ての美を集めたかのような美貌に立ち姿、凛々しく澄んだ声は歌うとどこまでも伸びやかで麗しく、優雅な微笑みと柔らかで理知的な語り口は英国紳士を思わせ、剣を振るう姿は勇敢な騎士であり民を先導する王でありました。
こんなにも完璧な人が実在したのかと今でも信じられない気持ちです。
演じているのは女性の方だと頭では理解しているのですが、舞台の上に立っている人はどこからどう見ても完璧な貴公子で、私にとっては王子様にしか見えませんでした。本当にずっと、舞台でアーサーの姿を観ている間中、現実を忘れて完全に夢中になっていました。
本当にこんな完璧な、最高のキャスティングで世界で一番愛しているキャラを現実に顕現していただけたことに心から感謝しています。どれだけ感謝しても足りないですし、2.5次元舞台化に関する運を今後の人生分全部今回で使い切ってしまったのでは??と本気で考えてしまうくらい私は恵まれていると思わずにいられません。
(中の人のお人柄や2.5舞台に取り組む姿勢なども本当に素晴らしくて涙したんですけども、ここでは割愛いたします)
また、パンフ上のインタビューなどでも触れられているように倫敦に関する演出プランや殺陣などは終始とにかく格好よく付けられていて、そういった面でも私好みで大変ありがたかったです。一瞬たりとも解釈が合わないな…と感じる瞬間がなかったので。セリフも、それを語る表情から仕草、会話における間の取り方まで全てが完璧でした。
こうした素晴らしいキャスティングや格好良さを突き詰めた演出プランのおかげもあり、倫敦華撃団の2人の魅力を改めて世に知らしめることができたのだと思いますし、倫敦を応援するファンがたくさん増えたことも心より嬉しく思っています。
本当に最高のアーサーをありがとう。この点においては舞台版に感謝の言葉以外ありません。
……ですが、一方でセリフ回し以外の根本的な脚本部分や演出面において全く不満が無かったと言えば嘘になります。
これは私が原作の強火のオタクであり、しかも細かいこだわりが多くて面倒臭いタイプの厄介オタクに類する人間だからというのは勿論あると思います。なので細かい揚げ足取りであったり、一部逆恨みに聞こえる部分もあるかと思います。
出来るだけ感情的になりすぎないよう、努めて冷静に文章を書くつもりでいますが、お見苦しい点があるかもしれません。先にお詫びしておきます。
それでは、最高の推しをありがとうという感謝の気持ちと、ファンに対してこんな酷い仕打ちってある?と涙に暮れたい気持ちの板挟みで本当にもうどうしようもなくなってしまった、ある一人の哀しいオタクの話を聞いてやってください。
あまりにも多勢に無勢だった倫敦華撃団
今作『二つの焔』の売りであり、最大の見所として制作側からもファンからも語られることの多いのが激しい戦闘シーンでしょう。
パネルに直接霊子戦闘機のビジュアルを投影したり、台の上に搭乗者を載せたままアンサンブルである芽組の手によって縦横無尽に舞台上を駆け巡ることで霊子戦闘機に搭乗して戦う戦闘シーンを表現する手法は今作でも健在でした。
台の上に乗ったまま戦ったり、かと思えば台から下りて戦っていたりと臨機応変に使い分けられているのですが、不思議なもので特にそこを不自然に感じることもなく自然に受け入れて鑑賞することができました。
倫敦も花組も、どちらも殺陣自体の動きはとても格好が良く迫力もあって、見栄えのする内容だったと思います。
…でも、さすがに花組ちょっと人数多すぎね?
上海戦では普通だったのに……
今回の戦闘シーンの演出について「前作より更なるパワーアップが求められるので」「花組の絆と団結力を表現するため」「花組5人だけでなく帝国華撃団全員で力を合わせて戦っていることを表現するため」といった内容が語られていましたが、実際その通りの光景が繰り広げられていたと思います。
そういった意味では確かに演出プラン通りではあったのでしょうし、それを支持するファンがいるのも全くおかしなことではありません。
でも、いくらなんでも多勢に無勢すぎない…?
この光景を演者側からではなく客席サイドから見てて誰もそこ不思議に思わなかったんですか?まことに…?
花組側がすみれさんやカオル・こまちの風組だけでなくいつきちゃんまで動員し、加えて選出メンバー以外の花組も参加して総出で花組の戦闘に参加していたのに対して倫敦はたったの2人。
いや正確にはパネルや台を動かす何名かの芽組の助力はあったのですが……でも戦闘時は黒子に徹している芽組しかいないのと、衣裳に身を包みキャラとしての存在を主張した状態の人物が何名も加わっているのとでは視覚的に受ける印象が全然違うじゃないですか。
視覚的には総勢9名 VS 2名の戦いだったんですよ。
……そこまでする必要、本当にあったんですか?
多勢に無勢で戦わされる倫敦が、そんな状態でも圧倒的な強者感を見せつけながら毅然と戦い続ける倫敦華撃団の二人が、本当に立派で格好良くて……ますます大好きになってしまったと同時に恨めしい気持ちをどうしても抱かずにいられませんでした。
百歩譲って花組5人の戦いならまだしも、非戦闘員である風組やいつきちゃんまで駆り出す必要が本当にあったのかどうか、正直私は強く疑問に思います。いつきちゃんに至ってはまだ月組バレをしていないので、あの時点ではただの熱心な花組ファンでしかないのに……何で戦闘のサポートに加わっちゃってるんですかね……
2対2の戦いであるはずなのに実質9対2の戦いを見せつけられるのは正直言ってかなり堪えました。戦闘中はペンラ振っちゃいけないという決まりが無ければ全力で青のペンラを振っていたでしょう。でも耐えることしか出来ませんでした。
しかし幸いなことに倫敦華撃団は強かった。
さくらが新機体を制御しきれていないという事情があったとはいえ、ランスロットは終始戦いを楽しむ余裕を見せており、アーサーに至っては完全に初穂を圧倒している有り様。戦いは倫敦華撃団のペースで進行していきました。
ここから先、更なる理不尽な艱難辛苦が待ち受けているとも知らずに。
強制敗北のボタンを押させられた倫敦華撃団のファン達
やがて倫敦戦はクライマックスを迎えます。
新型機・桜武の制御に一度は挫けかけたさくらですが、初穂からの熱い檄によって迷いを吹っ切り、「わたしは真宮寺さんじゃない」「わたしは自分自身の力で戦うんだ!」と叫びます。
闘志を取り戻したさくらの周りに帝国華撃団の面々が力を貸すイメージの表現でしょう、全員が集合しBGMにはゲキテイのイントロが流れ始めます。
霊力高回転設定による短期決戦、背水の陣で戦いを挑むさくらの姿を見守る花組達――
ここまでは良かった。熱い展開にマッチした演出だと思います。
ですが次の瞬間、耳を疑うような台詞がすみれさんの口から発せられるのです。
「神山くん、今ですわ!力を貸して!」
その声を合図に他の花組達も一斉に舞台前面へ駆け寄り、客席にペンライトを振るよう声をかけ促していきます。
客席は見る見るピンクのライトが灯っていき、その様子を私は「ああ、前説で言っていた合図ってこれのことか……」と思い出しながら茫然とする他ありませんでした。
こんなのって、あんまりだと。
まあ俗に言う、“プリキュアライト”ですよね。スクリーンや舞台上で戦う主人公たちを客席から応援するという、お馴染みの手法です。
わかります、観客参加型舞台の十八番だし、こういうの大好きな人達が大勢いることも。私だって普段はむしろノリノリで振る側の人間です。
でも倫敦華撃団は“敵”じゃないんだが…?
いつから倫敦華撃団は正義のヒーローが倒すべき“悪の敵”になったんですか?
彼らは確かに帝国華撃団が倒すべき、戦って乗り越えていかなければならない壁であり障害です。でもそれは彼らが“悪”だからではなく、華撃団大戦という勝ち抜きトーナメント方式の試合における対戦相手だから。そこにあるのは負けられない戦いではあるけれど、勝っても負けても恨みっこなしの勝負であり、対戦相手は“敵”ではなく“ライバル”であったはずなのに。
正々堂々と戦い、お互い悔いのない試合をしようと公園でアーサーと語らったあの日を思い出すと胸が苦しくなります。
あんなに気持ちのいい若者の言葉に自分は報いてやることができなかったのです。観客席の応援がパワーになるというのなら私は倫敦華撃団に送りたかった。公平を期すためにも。
でも出来なかった。出来なかったんです。
すみれさんの声や、勝ち確演出のゲキテイBGMをあんなにも恨めしく感じることは恐らく今後一生ないでしょう。舞台上から何度も促され、周囲がピンクに染まっていく中、その同調圧力に屈してしまいピンクのライトを力なく振ってしまった自分の弱さを私は未だに後悔しています。
空気なんて読まなければ良かった、周りがどれだけピンクだろうが青いライトを振れば良かった。胸を張って堂々と青色を掲げ、振りたかった。
私はこんなにもアーサーのことが好きなのに、世界で一番応援したい人が今、まさに苦境に立たされようとしているのに、何もできなかった。元々客席からは応援することしか出来ないし、それですら歯痒いのに、一番つらい時にエールを送ることすら許されなかった。
大袈裟と感じる方もいるかもしれません、でも本当に私は頭が真っ白になるくらい辛かったし、今でもずっと後悔を引き摺っています。
時間を巻き戻すことができるのなら、『二つの焔』初日に戻りたい。
戻って今度こそは両手に青いライトを掲げて振りたいです。たとえ負けると分かっていても、最後まで諦めず全力で毅然と戦い抜いた倫敦華撃団の姿を応援させてほしかった。
逆恨みと言われても事実なので否定はしませんが、私は一生この演出を恨み続けると思います。
演出の道具であることを強いられるということ
その後、華撃団大戦第二回戦は帝国華撃団花組の勝利で幕を閉じます。
勝利に喜ぶ花組達の前に再びあの上級降魔――夜叉が出現し、帝鍵を渡せと襲い掛かってきます。
夜叉の圧倒的な強さに苦戦を強いられる花組でしたが、そこに応援に駆けつけたのは上海華撃団と倫敦華撃団でした。
神山隊長の熱い号令と共に三つの華撃団が力を集結し、ひとつとなって夜叉に戦いを挑んでいきます。
舞台オリジナルのシーンであり、クライマックスでしたが本当に胸が熱くなる展開で良かったと思います。
でもさ、あのプリキュアライト演出、やるならここでも良かったんじゃね?
……などと、ちょっぴり恨めしく思ったりしてしまいますが。
夜叉なら『倒すべき絶対悪』として相手にとって不足ありませんし、観客からも異論を挟む人は恐らくいないと思うので……。
ここで誤解をしないで欲しいので詳しく言及しておきますが、私は決して倫敦華撃団の敗北そのものに不平不満がある訳では決してありません。
そもそも原作ゲームでも不可避の展開ですし、新サクラに限らずスポーツ漫画やバトル漫画で主人公に敗北するライバルの姿にいつも涙しながらも作品を楽しむことが出来ています。
私が問題にしているのは、『観客として好きに作品を楽しむ自由を強制的に奪われた』ということなんです。
例えば漫画の場合、読者は作品の傍観者でしかありません。代わりにどんな目線で楽しむことも自由ですし、誰に感情移入するかも自由です。
ゲームの場合は逆に、ユーザーは主人公であるプレイヤーキャラを操作し、対戦相手を直接打ち倒すことになります。もちろん対戦相手のキャラをすごく好きだった場合は戦っていて辛い気持ちにはなります。でも一方で、それまでずっと主人公を操作し続けていることから自然と『主人公=自分』という自覚が生まれやすいですし、心を鬼にして戦わねばならない時もあるのだと状況を受け入れることができます。
ですが、舞台は違います。
確かに今作も前作同様、観客=神山隊長という図式は変わっていませんし、その前提を観客側も受け入れている人が殆どでしょう。
ですが神山は舞台上に姿こそ見せないものの、『天の声』として彼のセリフやモノローグは阿座上洋平さんの声で流れてきます。完全に無言であり、客席に向かって頻繁にキャストが語りかけてくるスタイルの他2.5舞台などと比べれば、(いくらクラップLIPSがあるとは言っても所詮は二択ですし)『観客=主人公キャラ』という観劇への前提はあくまで『お願いベース』でしかないと私は思います。
『お願いベース』であることや、頻繁に神山隊長の声が天から聞こえてくる以上、当然『ただの観客』として舞台を楽しんでいる人も少なくないのではないでしょうか。
ただの観客であるということはつまり、ただの傍観者として作品を鑑賞しているということであり、どの目線・どの立場から物語を楽しむかは人それぞれ違って当たり前。現に私はもう最初から最後までずっと、『アーサー様の熱狂的なファンであり信奉者』として今作を鑑賞しておりました。
なのに突然、何の前触れもなく唐突にその自由を奪われたのです。
しかも舞台上のキャストに協力を呼び掛けさせるという、観客からしたら否応なく従う他ないという強引なやり方で。
物語の主人公は花組なんだから観客だって主人公サイドを応援するのは当然でしょ?と言いたいのは分かりますが、でも有名スポーツ漫画の他校ファンに対して同じことを言う人が果たしてどれだけ居るでしょうか。主人公サイドに罵詈雑言を浴びせるなどのマナー違反を犯さない限り、対戦相手をせめて心の中で応援する自由くらいは保証されてもいいじゃないですか。
多くを望んでいる訳じゃない、ただ心の中で倫敦を最後まで応援させてほしいだけなのに、それすらも『演出の意図』によって許されなかったのです。
そのことが、ただただ悔しくて悔しくて堪らないのです。
確かに観客参加型の舞台において、いかに客席を巻き込み、舞台に参加しているような感覚を観客に体験させていくかというのは大きな課題です。
その為に今回は物語のクライマックスにこういう演出を持ってきた、という演出家の意図はよく理解できます。おそらく一般的に見れば間違ってはいないのでしょう。
でも少しだけ、あと少しだけでいいから倫敦華撃団とそのファンのことを思いやって欲しかった。突然一方的すぎるアウェーの空間に倫敦華撃団を放り込むことを、そしてその空間作りに倫敦ファンを加担させるということの残酷さを、本当に分かっていてやったことなのか。それともそこまで想像力が働かずに軽い気持ちでやったことなのかを問いたいです。
後者はあまりにも想像力が欠如していて話になりませんし、わかっていて承知の上で決行したと言うのなら一部の倫敦ファンから一生恨まれることも受け入れる覚悟をしてくださいねと言う他ありません。
観客だって人間なんです。原作や舞台版新サクラ大戦のことは愛しているし新サクラの為なら何だって出来るという気持ちは本物ですが、かといって作り手側から都合よく利用されるだけの存在になるつもりもありません。
演出の道具として、まるで物のように便利に都合よく扱われたと感じたら、私はこれからも異議を唱えていくつもりです。踏まれたら痛いし、涙だって出ますので……
いかがでしたでしょうか。
ここまでご清聴ありがとうございました。
おそらくここまで読んでくださった方の中には「粘着質な繊細オタク、面倒臭いし怖すぎだろ…」と感じた方もいらっしゃるかと思います。私も自分でそう思います。恨みつらみのパワーをもっと他の事に有効活用した方がいい。
でも最後に一つだけ、これは公式サイドにもお願いしたいことでもあるのですが、こういった熱量の高いオタクのことをどうか嘲笑わないでやってほしい……そう切に願います。
熱量の高いオタクというのは厄介なもので、すぐに泣くしお気持ち表明して暴れるし、あーだこーだと身勝手で口煩い存在です。なのでオタクにいちいち媚びる必要はないです。ファンの為を思うのなら、とにかく良い物を作り続けてください。(オタクに振り回されて迷走する公式や、中の人をこれまであちこちで見てきたので…)
ただ、熱量の高いオタクが作品の展開によって本気で傷ついたり、泣いたり怒ったりすることを「たかがフィクションにムキになってバカじゃねえの(笑)」と嘲笑うことだけはしないでください。「なるほど、こういう風に受け取るオタクもいるんだなと参考までに心の片隅に留めてくれれば、それで充分なので……。
以上、オタクのお気持ち表明文でした。
あと最後にもう一件、二つの焔についての記事を書くつもりですので、もしよろしければお付き合いいただけましたら幸いです。