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大震災を【記念】せよ!~ジャック・デリダの亡霊~

記念日化する震災


お正月に石川県を襲った能登半島地震から1年。
阪神・淡路大震災から30年。

多くの方が被害に遭い、大切な人を亡くした人もいるでしょう。家が倒壊してしまった人、二次避難から戻れずにいる人……

辛い記憶を早く忘れてしまいたいという当事者も多いことでしょう。テレビや新聞が、節目の年を迎えるたびに特集を組むことに疑念を抱くひともいるかもしれません。

たしかにその通りです。精神分析の父・フロイトは「喪の作業」というものを提唱しました。死者や悲劇に固執するのではなく、それを忘れてしまうことが適切な生者の心の働きであると考えていたのです。「こんなに悲しんでいたら天国のお父さんも悲しんじゃうよ」というように死者の気持ちを都合よく解釈することが正常であるとしています。これが失敗するとメランコリー(鬱)に陥る異常な精神病者になってしまう。

でもそれは本当に正しいことなのでしょうか。
死者を忘れることは遺された人々にとって「ラク」なことでしょう。


しかしデリダは「喪の作業」を「健忘症の良心」として批判しました。死者を忘れてはならない。死者は生者にとって都合よく解釈される存在ではない、と。その亡霊は必ず回帰する。我々はかの亡霊の叫びや批判を受け続けなければならない。

震災を、死者を、忘れることはあってはならない。
いや、忘れることなどできないのだ。
なぜなら震災はカレンダー(日付)の力によって、
毎年「1.1」「1.17」のコードと共に訪れてしまうのだから。

震災は記念日である。記念日にしなければならない。
それがデリダの回帰する死者への応答責任なのだ。

記念日を意味する anniversary は、ラテン語「annus」と「vertere」に由来する。それは、年に一度 annus 回帰する vertere するものである。

それでは、デリダの日付論を詳しく見ていくとしよう。

ここでは、『シボレート』(岩波書店)を種にしたい。デリダは『シボレート』で、日付の構造的可能性と不可能性を論じている。


喪の作業

本題へと入る前に、先ほど説明した「喪の作業」についてデリダの見解を整理してみたい。

デリダはフロイトの正常な喪の作業を「健忘症の良心」と批判してメランコリーにとどまり続けることを主張した。喪の成功はありえない。喪の作業は決して完成しない。

フロイトは精神分析の知見から「喪の作業」とは他者を「食べる」行為だとした。それは他者を口から取り入れて体内化する=内面化する試みである。内面化された他者はもはや自分の支配下に置かれており、抗議の声をあげることもできない。

しかしデリダは他者を他者を内面化することは避けられないことだとしても、他者を我有化するのではなく他者を尊重しみずからのうちの他者へ差し向けて語りかける態度が必要だと主張する。それは他者の他者性を忘却しないことでもある。むしろそれこそが、もはや現実世界に現前しない死者を、自分の中で生きながらえさせる行為なのだ。死者を食い殺すフロイトと、死者が他者として生き続けるような場所を己の中に用意するデリダ。これこそが死んでしまいもはや現前しない彼らを尊重するための方法であり、私達が求められる倫理である。

だが実際、そのような倫理は可能なのだろうか。可能だとして、それを可能にするのは何であろうか。それは亡霊である。何度もわたしのうちに回帰する亡霊が、我々に倫理を要請する。


亡霊論とデリダ

デリダの主著『マルクスの亡霊たち』はこのように始まる。

 私が、幽霊〔……〕、すなわちわれわれの前にも、われわれの内にも、われわれの外部にも現前しておらず、現在生きていないある他者たちについて、これから長々と話そうとしているのは、正義の名においてである。〔……〕その他者たちがすでに死んでしまったにせよまだ生まれていないにせよ、もはやここに現前して生きていないあの他者たち、あるいはまだここに現前して生きていないあの他者たち、その他者たちの尊重を原理として持たぬいかなる倫理あるいは政治学——その政治学が革命的であろうとなかろうと——これらのいずれもが可能とも思考可能とも正しいとも思われない限りにおいて、幽霊について話さねばならず、ひいては幽霊に対して話さねばならず、さらには幽霊とともに話さねばならない。〔……〕よっていかなる正義も、何らかの責任=応答可能性の原理なしには可能ないし思考可能には思われない。一切の生き生きとした現在の彼方における責任=応答可能性、生き生きとした現在の節合をはずすものにおける責任=応答可能性、まだ生まれていない者もしくはすでに死んでしまった者たちの幽霊の前での責任=応答可能性なしには。

デリダ『マルクスの亡霊たち』

死者はわれわれのうちに、記憶のなかで完全に体内化されるわけではない。そのような亡霊はわれわれのもとに、あの地下埋葬室(crypt)から再来する。cryptとはまさに、死んだ他者を他者のまま生きながらえさせるための、あの空間である。ちそれこそが憑在論である。では、憑在論のうちにどのような論理が作動しているのか。デリダの主張をさらに追ってみる。

 反復でありかつ初回でもあること。これこそが、もしかすると幽霊の問 いとしての出来事の問いなのかもしれない。幽霊とは何であるのか。亡霊の現実性あるいは現前、すなわち仮象におとらず非現実的で、潜在的で、頼りのないままにとどまるものの現実性あるいは現前とは何か。そこ、すなわち物自体とその仮象のあいだの対立関係は妥当でありつづけるのか。反復かつ初回は、同時に反復かつ最終回でもある。というのも、いかなる初回も、その初回の特異性ゆえに、最終回でもあるからだ。毎回が、まさしく出来事そのものなのであり、初回なるものは、最終回でもある。まったく別の回なのだ。歴史の終焉のために演出された回なのだ。これを、憑在論と呼ぶことにしよう。この憑在の論理は、単に存在論もしくは存在の思惟〔……〕といったものよりも広く協力であるばかりではない。それは、それらを内包=理解しているが、ただ内包=理解しないという様相においてそうしているだろう。事実、どのようにして〈終焉の言説〉もしくは〈終焉をめぐる言説〉を内包=理解すればよいのか。極限の極限は、はたして内包=理解されることができるのだろうかそして、to beとnot to beとのあいだの対立は? 『ハムレット』からして、死んだ王の回帰を待ちうける場面からはじまっていた。歴史=物語の終焉に、精神=霊は再来する形で=再来霊としてやって来るが、それは再来する死者の形象をまとうと同時に、その予期された回帰がいくたびも反復される幽霊の形象をまとっているのである。〔……〕反復の問い。すなわち、亡霊はつねに再来霊=再来する者である。その往来を管理することができないのは、亡霊がまず再来することからはじめるからである。(強調は引用者)

デリダ『マルクスの亡霊たち』


日付の言説

デリダによる「喪の作業」と亡霊論を眺めたあとで、ようやくデリダの日付論に入ることができる。
おさらいしておくと、デリダにとって喪の作業は達成不可能なものである。我々は他者を都合よく体内化するのではなく、彼らを体内化しない場所(crypt)を我々の内に用意しなくてはならない。それはまるで人類の細胞の中にミトコンドリアDNAが保存されているような……。
その場所に彼らは存在しつづけ、そして常に彼らは亡霊として再来する。

反復。再来。回帰。亡霊論によるキーワードだ。
そして回帰の構造はつまり苦しいメランコリーの回帰でもある。
毎年の1月1日に、1月17日に、亡霊は戻って来る。なぜならば、日付は、「喪の作業と呼ばれるものに、なおも場を与えることができた」(デリダ)からだ。

『シボレート』は次の一文から始まる。

   ただ一度——割礼は一度しか起らない。

ジャック・デリダ『シボレート』

 そしてこのように続く。

 割礼が一度しか起らないとしたら、その一度はしたがって同時にà la fois , at the same 時を同じうしてtime en mēme temps最初la première foisにして最後のもの la dernière foisである。見かけはそのようなものとして——つまり起源論かつ目的論であるものとして——あるかもしれない。その見かけのまわりをわれわれは、ちょうどそこに素描され、切りとられ、浮き出る環のまわりをまわるようにしてまわらなければならないだろう。この環は指輪、それも結婚指輪と、その記念の日付そして年の回帰とをいっしょに保っている。私はしたがって割礼とたった一度l‛unique foisについて同時に語ろうと思う。換言するなら、回帰してただ一度として自らをしるしづけるもの、時として日付と呼ばれるところのものについて

ジャック・デリダ『シボレート』


 「時を同じうして最初にして最後」。これは先に挙げた「反復かつ初回は、同時に反復かつ最終回」(『マルクスの亡霊たち』)との類似によって憑在論との接続が示唆されている。しかしより注目したいのは、一つの逆説が与えられているということである。割礼はたった一度の経験である。しかしそれは「時として日付と呼ばれる」(デリダ、『シボレート』一九九〇)、つまり「記念の日付そして年の回帰」(デリダ)という円環構造に巻き込まれている。一度しか起らないことが回帰する。これはどういうことだろうか。さらにデリダの主張を追っていこう。

 例えば——一月二十日というのがあった。このような日付は唯一無二の、反復を免れたものとして書かれ得たということになろう。とはいえ、この絶対的な固有性は同時にまたその絶対的な特異性において転記され、輸出され、流刑に処され、接収され、再私有化され、反復されもするのだ。そうであるべきなのだ。たとえそれが自己を晒し、読解可能性において自己を喪失する危険を冒さねばならぬにしても。(デリダ)

 また、こうも語っている。

 七月十四日は記念式典一般の標識となる。その際それは、過ぎ去った、あるいは来るべき政治上のそして革命の記念日一般すなわち、革命的なものの記念日、つまり別の言い方をするなら回帰を、それも公転周期ごとの回帰を象徴しているのである。〔……〕これらの記念日[反復する七月十四日の複数性]は、ただ単に、必ずしも同じ起源の七月十四日を示しているというわけではない。多かれ少なかれ秘められた他の諸々の記念日が、他の環、記念日や同盟が、つまり他のもろもろの分有が、同じ日付をたぶん互いに分有し合っているのである。

 七月十四日とはフランス革命の日である。これはデリダに依ることもないだろうが、そういった大きな出来事はそれを記念する代表的な日付になる。フランス革命という偉大なる出来事、唯一無二の絶対的に特異性をもった出来事が日付に刻印されている。おそらく西欧にとって七月十四日という日付は、フランス革命という固有の出来事を、「唯一無二の、反復を免れたものとして書かれ得たということになろう」(デリダ)。しかし、それだけではないのだ。毎年毎年、七月十四日は回帰するたびに、「秘められた他の諸々の記念日が、[……]つまり他のもろもろの分有が、同じ日付をたぶん互いに分有し合っている」(デリダ)。西欧においてその日付がフランス革命という固有な出来事を示すことができたとして、日本の七月十四日はどうなるだろうか。またべつの、例えば個人的な誕生日だった場合はどうだろう。これらは七月十四日に刻印されないのか。そうではないのだ。七月十四日は回帰の構造により、あらゆる場所の、あらゆる過去のあるいは未来の、そして秘められた事柄さえも、分有しているのである。

能登半島地震の1月1日も、阪神・淡路大震災の1月17日も、それは唯一無二の出来事で同じことは二度と起こることはない。
しかし毎年、1月1日を迎えるたびに我々はそれを思い出す。しかしそれは、同じ別の出来事も保存している1月1日なのだ。過去におきた1月1日のすべての出来事を抱え込んだ1月1日が再来する。

 ではなぜそのようなことが可能になるのか。それは日付が、当該出来事の固有性をはく奪するからである。日付は唯一無二の出来事を記念しながら、その出来事の唯一無二性を「除去」しているのである。

われわれは「1.1」というコードを見た瞬間に、2024年1月1日に石川を襲った地震を想起できる。それは日付が「絶対的な特異性を賦与ないし供託」(デリダ)しているからだ。しかしデリダの先ほどの主張に忠実にあろうとするならば、我々は忘れてならないとスローガンが建てられているあの「1.1」の特異性を失ってしまうのではないか。つまり、たった一度の固有な経験である大地震は、「流刑に処され、接収され」(デリダ)てしまうのだろうか。そうである。どれほど大切な、あるいは忘れるべきではない凄惨な固有性も、その固有性は失われてしまうことを認めなければならない。それが日付の掟である。

 しかし、ここでさらにデリダは新たな逆説を提示する。そもそも固有性が決して失われないような日付など可能なのだろうか。不可能である。なぜなら、「特異性はさもないかぎり解読不能で、無言で、自己の日付の中に閉じ込められたままに——非‐反復可能なものに——とどまる怖れがあるだろう」(デリダ一九九〇)。それは誰に伝えることも、後世に残すこともできないことを意味する。我々がその震災の悲惨さ、死者の忘却にあらがうためには、逆説的にもその固有性を妥協しなくてはならない。逆に、日付が特異性の固執を打ち捨てることによって、はじめて死者を語り、震災を語ることができるのだ。「日付は、日付という単純な出来事によって、つまり「記憶のため」の一つの符号を書き込むことによって、純粋な特異性の沈黙を破ったということになる」(デリダ)。またこうも表現される。「それらが目に立つものとなるのは、事実、それらの読み取り可能性が何らかの回帰の可能性を告げる範囲内においてのみなのである」(デリダ)。

これは「署名」に例えるとわかりやすい。
たとえば戦後、サンフランシスコ平和条約に署名した吉田茂を思い浮かべてみよう。そこでなされた署名は、「吉田茂」による「1951年9月8日」の「サンフランシスコ平和条約」にのみ有効な、そのためだけに効力を発揮するものである。この署名がたとえば、別の条約にも有効になることはない。

しかしそれが署名だと認められるには、署名が読解可能=複製可能でなければならないのだ。
なぜならば誰にも理解されない、読み取り不可能な署名(もはやそれは署名ではないが)は、実のところ無意味な線でしかないのだから。

我々がサンフランシスコ平和条約に吉田茂の署名を認められるのは、それを見たときに、それを読解可能であり、だからこそ「吉田茂が書いたものだ」と理解できるからである。

何事かを日付も署名も、そこに唯一絶対的な、一回きりの経験において現前とした今性が刻まれている。それは確かである。確かであると同時に、「或る劇的な、致命的な、致命的に両義的な潜勢力を備えている。絶対的な特異性を賦与ないし供託しつつ、それらは同時に、度を同じくしてà la fois、そしておのずから、記念[日]化への可能性によって除去‐刻印されねばならないのだ」(デリダ)。むしろ、日付こそ署名の本質でさえある。

その点において、日付と署名は似た性質を持っている。

本質的に、一個の署名はつねに日付がしるされており、それが価値を持つのはただこの資格においてのみなのである

 署名もまた現前性とその喪失の両方を備えている。むしろ署名が署名であるためには、その現前を消し去らねばならない。そこにきて署名ははじめて機能(=模倣可能性=反復可能性)する。日付も同様なのである。日付の現前性を担保するのは、その現前性の喪失によってのみなのだ。以下、「署名 出来事 コンテクスト」より二つデリダの言葉を借りる(強調は引用者)。

定義上、書かれた署名は署名の現働的・経験的な非‐現前性を含意する。だが署名はそれが過ぎ去った今において現在だったということも標記し保つのだ、とひとは言うだろう。そしてその過ぎ去った今は未来の今としてもとどまり続けるだろうから、したがって署名は今一般において、今性という超越論的形式において現在だったということを標記し保つのだ、と言うだろう。この一般的な今性は署名形式の現前的点性——つねに自明でつねに単独的な点性——のなかにいわば記載されピンで留められている。これこそがあらゆる花押の謎めいた独自性である。つまり源泉への紐帯が生産されるためには、署名の出来事および署名の形式の絶対的な単独性が保たれている必要があり、すなわち純粋な出来事の純粋な再生〔産〕可能性がなくてはならないのだ。

署名が機能するためには、言い換えればそれが読解可能であるためには、反復可能な、繰り返し可能な、模倣可能な形式をもつのでなければならない。すなわち署名はそれが産出される際の現前的かつ単独的な意図から解き放たれうるのでなければならない。署名の同一性と単独性を変質させることによって署名の封印を破り割るのは、ほかでもない署名のもつ同じものという性質〔=同性〕なのである。

ジャック・デリダ「署名 出来事 コンテクスト」


ではこのような、出来事の特異性(オリジナル性)を奪い取ってしまう日付とはネガティブなものなのだと思われるかもしれない。
しかし、われわれはこの運命を祝福すべきなのである。どういうことか。それは、このはく奪にこそ、倫理の可能性が開かれているからである。この祝福されるべき諸効果とは以下の可能性への開かれである。先に結論を言おう。私は日付の効力を3つに分けられると考える。

㈠    その唯一絶対一回きりの出来事を書き、話し、回想することができる。むしろ固有=特異性がはく奪されないかぎり、反復=回帰不可能性に留まる
㈡    そのうえ私たちはその出来事を〈他者へ〉向けて語ることが可能になる
㈢    その固有性を経験しなかった、知りもしない人にも、責任を連署させられる。

 特に(三)のもたらす諸効果は力強い。それは当事者性の彼岸で、新しい倫理への、新しい記憶の可能性である。よきことであれ悲惨なことであれ、記念する当の出来事はすべての人類が経験できるものではない。それは割礼と同じである。当然、未来の来るべき人類さえも経験することはない。しかし経験できないからといって、その責任から完全にまぬかれることはできるのだろうか。デリダの日付論はそこに倫理を要請できる。
ありきたりな言説だが第二次世界大戦の当事者性と戦争責任は今も問題になっている。しかし日付論は問題に新しい光を投射する。つまり、あの戦争の虐殺やホロコーストの日付が回帰する限り、「わたしの世代ではない」「わたしの知る限りではない」という責任回避は許されないのである。なぜなら、日付はそれを経験しなかった今そして来るべき未来の人々にも連署を迫るからである。これは震災の当事者性の彼岸でも、震災への応答責任があることも示している。これこそ、喪の作業にもとめられる倫理ではなかろうか。

 さて結論を急ぎすぎてしまったが、あえて日付論の地平を先に示したのは、これが本論文の結論にもあたるからである。日付がもたらす諸効果は右に挙げた通りだが、その根拠について、あらためて『シボレート』から日付論の言説を追っていく。

 まず(一)についてだが、これは先に示した通りである。つまり、かりにある事柄が完全な一回きりの特異性を保っているならば、その限りそれを語ることはできないということである。なぜならば、言語という記号に頼るならば、言語が記号であることからして純粋な再現前などありえなく、つまりはなんらかの固有性が切り捨てられてしまうということだからである。「記号は、とたとえそれが算出された瞬間が取り返しのつかないほど失われてしまったとしても、またいわゆる作者‐書き手がそれを書いた瞬間に、言い換えれば記号をその本質的な漂流状態に打ち棄てた瞬間に意識や志向のなかで言わんとしたことを私が知らないとしても、権利上読解可能であり、このことはもともと記号に属しているという事態である」(「署名 出来事 コンテクスト」)。
記憶もそうである。記憶も有限である以上、完全な再現などは不可能であるがために、記号を必要とする。「したがって記憶は、それが必然的に関係する非‐現前者を思い出すために、つねにすでに記号を必要とする」。そのようである以上、我々は語るにしても回想するにしても記号を頼らざるを得ないのであり、その限りにおいて日付は「純粋な特異性の沈黙を破っ」(デリダ)て、当の出来事を語らしめることができるのである。それだけではない。(二)が示すのは以下のことだ。日付は回帰の構造をとる。毎年、同じでありながら異なる日付と出会う。それが日付の分有という特徴だった。では、どのような出会いが可能なのか。デリダは二つの価値があるという。それは、まったく別の経験との、他者との出会いである(これは署名にも言えることだ)。デリダの言葉を見てみよう。

この譲渡不可能なものは他者について語らねばならず、かつ他者にそれは語りかけねばならない。[……]そのようにその同じ日付の未来、換言すれば何かもうひとつの日付へのその回帰の未来から召喚されて。

出会いrecontre——このフランス語の単語においては、それなくしては一個の日付が決して生起しないであろう二つの価値が出会っている——つまり、或る時une fois、これこれの時刻、これこれの日、これこれの月、これこれの年に、これこれの土地において、一つあるいは一つならずの出来事を封印する[=印璽を施す]僥倖、幸運、偶然、めぐり合わせとしての出会い、——ついで他者との、一つの詩がそれから出発し、かつそれを宛先として語るあの避け難い特異性との出会い。その他者性とその孤独(それはまた「ひとりのもの」で「孤独な」詩のそれでもある)において、それは同一の日付の巡り合わせに住まい得るということ。

ジャック・デリダ『シボレート』

 そして(三)の他者性はどのようなことを可能にするのか。それは、当の出来事を「解読できない」(デリダ)他者であったとしても、そんな彼らにも語り掛けることができる可能性だ。「1.1」(能登半島地震)を知らないような他者に語る可能性。そして、そんな彼らに連署を求めることができる可能性だ。

同じ日付としてのまったく別の日付になり、他のものについて、他者、つまりそれが刻印する出来事に絶対的に閉ざされたしかじかの日付——墓——を解読できない者に語りかけることが可能なものになる。

詩は知savoirというものの彼方で語っているのだ。つまりそれが知の彼方に己れを差し宛て、あるいは己れを差し出し=運命づけているということである——日付や署名の数々の書き込み、人がそれらに出会い、何に日付をしるし、何に署名しているのかの全てを知ることなしにそれらを祝福することができるように。

ジャック・デリダ『シボレート』


 われわれは回帰する構造に依拠するためという意味で、日付を必要としていたのだ。人は回帰する日付と亡霊によって、回帰のエコノミーに取り込まれている。毎年訪れる記念日によって我々はそのたびごとに喪失とメランコリーを何度も体験する。これはフロイトの言う、喪の作業では説明できない。むしろデリダがガダマーの死に際してそうしたように、「メランコリーを抱く」かのようである。そこで要請されていたのは、他者を忘却しないことであった。物理的には死んでしまった、しかし我々の心の内で完全に体内化されることはない〈生き延びている〉他者を、他者のまま受け入れて、他者について語るのではなく、他者と語ることの必要性が説かれていた。それを可能にするのが日付なのではないか。日付が、我々に死者の再来を待ち合わせてくれるのではないか。これは今までの憑在論とは少し異なるかもしれない。ここで新しいのは日付という亡霊を認めたことだ。日付とは、「二度と再び帰り来ぬものそれ自体の亡霊的再来」、「日付とは亡霊なのだ。だが、不可能な回帰のこの再来は、日付の中に刻印されている、それはコード——例えばカレンダー——によって保証された記念日の[指]環の中に封印され、明記されている」。

 日付によって可能になるのは、単に忘れないことではない。その死者への応答責任を、閉じられた関係だけではなく、すべての人に語り、すべての人と関係づけることへの倫理だ。

最後に忘却の問題に立ち返る。日付が当該出来事の固有性を剥奪するなら、それは当の出来事のたとえば1.1としての能登半島大震災の忘却にもなりえないかという疑問が残る。
デリダはこれに答えているが、残念ながら忘却にさらされていることは認めなくてはならない。しかし、デリダの考えるフロイトの「喪の作業」とは異なる。フロイトのそれは「他者を忘れることだということを忘れる」ことだが、日付の理念性は忘却にさらされながらも忘却の記憶は残り続けるのだ。


日付は回帰する。
そのたびに忘却にさらされながらも、回帰のたびにそれに抵抗できるチャンスを与えてくれるのだ。
また、その日付をもってしても忘却から逃れられないからこそ、主体の能動的倫理が必要になるのではないか。

だから我々は、そのたびごとに大震災を記念しなくてはならない。
それが遺された人ができる、他者のための倫理なのである。

この理念性〔日付——引用者〕はその記憶の内部に忘却を宿している。だがそれはこの忘却そのものの記憶すなわち忘却の真実なのだ。〔……〕日付はこうした有為転変のなかで互いに置き代わるのだ。一切の保証人が不在であるがゆえに忘れられかねぬ事柄を記念しつつ、日付はその宛て先、あるいはその本質そのもののなかで、己れを外へと置く。つまり日付は消滅の危機に晒されている〔……〕。

デリダ『シボレート』





「署名 出来事 コンテクスト」について。
唯一にして一回きりの純然たる過去の回帰などありうるのだろうか。そのような事態は可能なのだろうか。そうではないのだ。純粋で完全な回帰というものは不可能である。これは本論で後々示すことになるのだが、デリダが「署名 出来事 コンテクスト」で言わんとしたこととは、まさに〈唯一にして一回きり〉の回帰不可能性である。一見逆説的に思われるかもしれないが、われわれがあるものを反復できるのは、当の〈もの〉の特異性がはく奪されるからであり、そうでないかぎりいわば〈もの〉は反復不可能性に留まる。これは、過去からの〈回帰〉にも当てはまることであろう。デリダは読解可能性は反復可能性=誤読可能性であると証明した。デリダは反覆という表現をすることもある。同じものの〈反復〉なのではなく、意味がひっくり返ってしまう可能性を許容する〈反覆〉である。そしてここで言う回帰の構造は差延の運動とも無関係ではないだろう。差延とは常に「時間かせぎ」(ジャック・デリダ「差延」『哲学の余白(上)』、法政大学出版局、二〇〇七年)による差異化であり、そこに唯一の根源を求めない。まさに、遅れてやってくる回帰の構造に近似する。デリダの「亡霊」や「回帰」という構造をとらえるには、唯一絶対の現前を想定してはならない。なぜならデリダが批判したものは現前のの形而上学だからだ。脱構築されるべきは、「存在を現前と不在の二者択一でした思考できないその「拘束された」スタイルそのもの」(森脇透青『ジャック・デリダ「差延」を読む』、読書人、二〇二三年)にある。ゆえにデリダの思考としての「回帰」構造をとらえるとき、唯一絶対的な現前との回帰したものとの一致度合いに拘泥するべきではないと、少なくとも本論において私は考えている。そこに拘ることは、現前‐不在の二項対立的思考に陥る危険性もある。また、唯一絶対の現前を見出そうとする動きは、デリダが「亡霊」ということばで表現しようとした、現前していないが存在するという奇妙な在りかたを無視してしまうことになりかねない。この長い注を閉じる最後に、デリダの「差延」論文を引用する。

[差延とは―引用者]一切のコード、一切の送り返しシステム一般が諸差異の織物として「歴史的に」構成される、そうした運動のことである。「構成される」「産出される」「創造される」「運動」「歴史的に」等々の語は、そのあらゆる含意とともに形而上学の言語に捕らえられているが、ここではそうした形而上学の言語の彼方でこれらの語を理解しなければならない。[……]いずれにせよわれわれがそこに巻き込まれているように見える円環そのものを介して理解されることになるのは、ここに書かれつつあるような姿での差延は発生論的でもなければ静態論的でもなく、歴史的でもなければ構造的でもない、あるいはそのいずれでもあるということだ。

ジャック・デリダ「差延」『哲学の余白(上)』、法政大学出版局、二〇〇七年

 

記憶の肯定としての回想(メモワール)にデリダは「環」を見いだしている。彼が「環」という言葉を使うとき、それは始まりも終わりもないような無限の回帰の構造である。つまり、回想それ自体に、無限の回帰、終わることのない送り返しの構造があるのである。「環は指輪、それも結婚指輪と、その記念の日付そして年の回帰」(『シボレート——パウル・ツェランのために——』)である。記憶=指環=日付なのだ。なぜなら、他者の記憶とは、「当の他者の記憶としてのいくばくかの記憶——この記憶は他者から到来し、他者へと戻っていく」(ジャック・デリダ『メモワール』)亡霊の、回帰の、構造なのだから。