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2023年7月の文蹟

蹟:あしあと。行いやことがらのあと。=跡、迹

文蹟とは、本を読んだ私の足跡のこと。
誰かの道標になればと思い、生み出した造語です。


7月の文蹟
【1位】この夏の星を見る(KADOKAWA)
【2位】災害で卵を失ったドラゴンが何故か俺を育てはじめた(双葉社)
【3位】読者はどこにいるのか(河出書房新社)

文芸


それでも僕は前に進むことにした

目が見えなくなる。自分の好きな仕事から死刑宣告されたも同然のことにどう向き合うか?私は誰かの夢を支えている脇役ではなく、自分自身が主人公なのだという気づき、それを機に病と正面切って向き合う姿勢に感動。私も近視がひどいため、自分ごとで読むことができました。


【1位】この夏の星を見る

私が一番大好きな作品からのスター・システム‼︎  うみかという女性のセリフが心に響きました。好きなことが向いてないとしても、苦手なことだとしても「好きなままでいていい」。就活中なら響くでしょうね、自分の好きな業界に受からず別の会社に行ったとしても好きなものから離れなくていいというセリフは力強いです。


傲慢と善良

辻村深月さんは本当に痛いところを突いてくる。だけどその痛みに塩を塗って終わりじゃなくて、その痛みと闘ったらば報われるということも信じられるのがいいですね。書店さんは本書の隣に『高慢と偏見』置くと売れるのでは?そして辻村さんに帯をかいてもらったら最高。


東京會舘とわたし

上下巻。特に下巻で涙はらり。大正から平成までたくさんの人の物語があって、必ずしも彼らは直接関係してるわけではない。けれど時代を超えて彼らのつながりが感じられる温かい物語。大正時代の隣に平成があるくらいに歴史を生に感じられました。


島はぼくらと

これを読んだ時、私も島で青春を送っていたという存在しない記憶が流れました笑。島の閉塞感と開放感が両立されていて、そして汚い世界とか人間臭いこととかも隠さないで描いているんですね。そこに辻村さんの魅力があります。なんというか、これからオトナに向かっていく高校生などティーンと辻村さんの作品は相性がいいです!


闇祓

辻村さんには少年冒険活劇(小学生向け)とかを書かせたら強いと思います。出版社の方、お願いします。辻村さんはおそらく少ない主人公を動かす方が得意なのでは?ということを感じる一作。これをもうちょっとコミカルにしたら朝日新聞のナゾノベルでも通用しますよ。とにかくシリーズ化を期待。


本日は大安なり

いわくつきのカップル4人のドタバタ喜劇は最後、一つの大団”縁”を結ぶのか⁈ 序盤は読みにくいです。というより辻村さんの多人称作品は色々混乱するのは私だけでしょうか。でもやはり辻村ワールドと言いますか、最後に温かい終わり方になるんですよね。特に子供の一人頑張る姿とかは、おばさん泣いちゃいますよ。


家族シアター(再読)

1992年の秋空は2020年の夏空へ! うみか・はるか姉妹の素直になれない家族愛。互いを思い合ってるのにツンケンしちゃうの私もありました。けどここには親子と違う、姉妹だけの聖域的な関係があるんですね、それが美しい。そして彼女の夢は叶うのか?それは『この夏の星をみる』で。


社畜男はB人お姉さんに助けられて

これグルメ小説です。ラグコメは副菜。タイトルが勿体無いよ、なんだよB人って。タイトルを変えて、イラストの塗りや線の細さで透明感ある感じにしたら今でも売れると思いますよ。そこをどうにかするのが編集者でしょう? そして冒頭がちょっとご都合主義なのと、最初はヒロインの正体を隠した方が面白いと思います。読者はヒロインの正体に気づいてる状態でただ物語上はまだネタバラシしないって感じのほうがいい感じにすれ違いが生まれるし、読者を焦らせていいと思います


エリィ・ゴールデンと悪戯な転換1-8(再読)

無職転生が好きなら絶対オススメです。キャラデザも最高だし主人公の成長が目に見えているのも本当に良きかな。ビジネス書でできる人間は「建設的」かどうかが大事だと説いていましたが、この主人公もそうなんですよね。さすが前世がトップ営業社員だけあります。無意味な後悔や嘆きをせずに、これからの最善策はどうすべきかで行動する爽やかさは、最近の鬱屈した異世界転生では味わえません。作者さんにはぜひエタらないでほしいですが……。単行本にして無職転生の隣に面陳したら効果的かと。


災害で卵を失ったドラゴンが何故か俺を育てはじめた1-2

異種交歓の物語。TS転生した主人公がドラゴンに育てられながら、喪失した前世の記憶を探しに行く。特に1巻は涙なしに読めないんですよ。【以下ネタバレ注意】主人公が実は育ての母であるドラゴンと敵対していた事実を前に主人公は怯んでしまうんですね。合わせる顔がないのです。それなのに母は優しく彼女を包みこんでくれたとき、ああそうか、「あの時感じた嬉しさとか、暖かさとか、そういのまで全部嘘だってことにはならない」と気づきます。過去は時に残酷で変えられないものだけれど、逆に言えば〈何があっても変わらない〉ものなんです。たとえ過ちや後悔に襲われることがあったとしても、あの時の過去がなくなるわけではありません。過去はなかったことにならないし、してはいけない。あとは自分がそれをどう解釈していくかなんです酸いも甘いも、後悔も感動もその過去は本当なものだから、そのままを受け止めればいいのだと。そこが本当に心を打って(書きながら涙が……)。あと、他のラノベと違ってドラゴンと人間の両者に対等な目線を主人公が持っているのがいいんですね。こういうラノベだと人間中心主義みたいになったりして、人間側に合わせるみたいなプロットが多いのですが、彼女はドラゴンの倫理を尊重してその枠組で生きている(街に繰り出す場面や、ドラゴンの成人通過儀礼を受けるときなど)。人間の倫理も持っているけれどそれによってドラゴンの倫理を侵すことはないのです。その関係性が芯の強さを感じさせます。そしてだからこそ、他の人間と関わった時に理解できない部分があったりする。同時に母(ドラゴン)の倫理に理解を示せないときがあります。でもそこでどちらがただしいのジャッジを保留するんです。それは逃げではありません。理解できないものを、自分の価値観で征服しようとせず、理解できないことを理解しているのです。これって実は人間同士の関係にも敷衍できる学びのある物語というわけです。私は一時期日本語教師をしていましが、やはりムスリムと交流すると納得のいかないこと、相手とぶつかることも多いのですが、そういう国際的な人間関係を体験してきた私が学んだことも実は、「相手を完全に理解しなくていい。大事なのは正解を判定するのではなく、理解できないものをそのままにしておける強さだ」と実感していたのです。だからこそこの作品はワタシ的に「そうだよな~」と頷きながら読んでしまいました。


最強陰陽師の異世界転生記1-5(再読)

ごめんなさい、特に心を打つ場面とかはありません。ないのですが、陰陽師の作品は本当に私のツボです。仕方ないじゃない、厨二病が治らないのだから。陰陽師が出る作品はそれだけで高評価。リーファちゃんかわいい(唐突)


氷の令嬢の溶かし方1-2(再読)

もう、タイトルで最高。氷の令嬢を溶かす、この時点で展開が読めます(いい意味で)。きっと、何か過去のトラウマで心を閉ざしたヒロインを主人公が溶かしていくのだろうなあ…とわかります。私こういうジャンルに弱いんですね。というのも私が子供の頃は父の転勤が多く、そのせいでいつの間にか人と関わらないようになってきました。別れが悲しいから。ならば誰とも深く付き合わなければいい。そうしたら土地や友人に未練なくいられるから。そして本作の主人公もおせっかい。正直、うざいくらい。だけどそのおせっかいにどれだけ救われたか。時に無理やりなお節介が誰かを救うことがあるのだ、と。そういったところが良いのです。実は私もなんですよね。5度目の転校。私は新しい学校では誰とも話さず、むしろあえて嫌われるような冷たい態度をしていました。それなのに何度も話しかけてくれるクラスメイト。どうしてそんなに優しく? でもその御蔭で今があるんです。彼が私にライトノベルという世界を教えてくれました。それからは世界が一気に広がる感じでした。だからこそ、わかるんです。ときには強引なお節介がその人を救ってしまうのだと。


また同じ夢を見ていた(再読)

あばづれさん、おばあちゃん、南さん。皆さん誰の物語が好きですか。私は南さんの話が一番好きです。初読のときは顔がぐしゃぐしゃになりました。私は、過去はなかったことにはできないという厳然たる事実を提示するところが好きなんですよね。南さんは家族と喧嘩別れした後悔を抱えている。いくら後悔しても止まない。もちろんそのような辛い事実だけだと、悲しい。私はこの本を読んだ後、親孝行したくなりました。私は3.11で喪失を体験してそれを5年くらい引きずっていたんですね。その間に私が変われたか、というと何も変わらなかったんです。何が言いたいかというと、過去はなかったことはできない。そこにこだわっている限り、なにも始まらないと。そういった体感があったからこそ南さんに共感しました。一方で物語の良さは、時間を遡及可能にできることです。本書でも南さんの過去を主人公がうまく精算してくれました。そこで初めて南さんは救われたのですね。本書は訳ありのあばづれさんやおばあちゃん、南さんが、主人公と出会ってやり残したことや後悔を彼女に託します。それが解決できたときにおばあちゃんたちは消えてしまうというストーリーラインです。消えてしまうのは、彼女たちが過去(つまり主人公の時代)から解放された証拠なのです。読者はそこによって南さんが前を向きはじめたのだと示唆されます。これと似たのが『西の魔女が死んだ』ですね。これも加納まいという主人公がおばあちゃんと喧嘩別れしたのですが、ある〈魔法〉によっておばあちゃんと仲直りします。こういうのに弱いんですよね。年かなぁ。


あの日、マーラーが

面白がわかりませんでした。これを良かったと思った方いたら教えてください。文学的強度も弱く、またエンタメ性も薄いんですよね。ただこれが震災後あまり時を経ずに書かれたことだけは、評価しなくてはなりません。そのうえできるだけ早い段階で。


想像ラジオ(再読)

震災を「売る」のか。そういう批判を恐れない「蛮勇」のもとに書かれた作品だけあって、震災文学としての真剣さを感じます。そして震災後文学としての傑作であることは間違いありません。そしてこういった誹りを受ける可能性を呑んで出版に至った河出書房新社さんにも尊敬します。そして文学は死者に語らせることができるわけです。死人に口無しは現実の話。だけど本作は津波で死んだ人たちが無念をユーモアで希釈しながらラジオに乗せて発信します。ラジオは徐々に混線して震災前の死者にも伝わり、生者にも聞こえていく。ここで我々は一種の自己非難の正当性を与えられます。震災に当事者はいない。なぜなら究極の当事者は死者だから。だからこそ私達はサバイバーズ・ギルトに悩まされ、死者からの非難を望みます。私がそうでした。しかし死人に口無し。そのジレンマから解放してくれたのが本作です。擬似的に想像ラジオによって私は死者からの非難を受けることで、現実の当事者のジレンマから解放されました。その意味でこの作品は将来起きる震災と震災後の被災者にも読み継ぐべきなのではないでしょうか。


やり込んだ乙女ゲームの悪役モブですが、断罪は嫌なので真っ当に生きます1-2

これももったいない作品です。タイトルとイラストから女性向けだと思うでしょう? これは絶対に男性向けだと思いますよ。食わず嫌いしていたらもったいないので、ぜひ読んでみてください。出版社の編集者とか営業の人はターゲティングしっかりしているのでしょうか。面白い作品なのですからより広まってほしいですね。あとたまに校閲ミスがあります。


コミック

タイムスリップオタガール1-8(再読)

7巻、8巻の展開は本当に素晴らしいといえます。オタクで母親からは漫画を禁止されていた中学時代。そして中学生にタイムリープ後はなんだかんだオタク癖を母に隠したままでした。しかしついにバレて、怒られてしまう(7巻)。だけどそこで放った彼女の一撃がかっこいい。「たとえ母さんの期待を裏切ってしまっても、私が選択した未来で生きたい。どうか私に自分で選んだことを挑戦させてください」。ここに痺れる憧れる~!!。そうなんですよ、好きなことに蓋はできない。私は就活生だったころに感じたことです。そしてオタクは常に冷たい視線にさらされながらも、「好きなこと」にだけはどれだけ封印しようとしてもできない、と。だからこそ彼女のセリフに叱咤された気分でした。翻って私は彼女のような生き方をできるか?、と。オタクだからと自己を卑下して「好きなこと」にやましさを感じて、何もかもを諦めてきました。でも彼女が言うように、「私が一番変えたいのは本当にやりたいことを選ばなかった自分」なのです。そこだけは譲ってはいけないのです。それを再認識させてくれました。オタクよ、堂々たれ!!!!


ひかるインザライト

私が弱いジャンル3選——夢、家族愛、自己肯定。本作は「夢」に当たります。アイドルものって、型があると思っています。①最初は自分に自信がないけれど、②好きなアイドルになりたいという思いで行動し、③自分なんかが……という自己否定にぶつかりながらも、④自分の弱さも巻き込んで自己肯定へと繋がる。そして本作もその型を辿っていくのですが、物語の最後ひかるはインタビュアーに将来の夢を問われます。恥ずかしいだいそれた夢だ。自分には抱えきれない野望だ。笑われてしまうかもしれない。だけど、「恥ずかしい夢なんてないよね」。ああ~、染みますよこのセリフは…!! 自分の夢さえ否定していた過去の自分を助走つけて殴りたくなるくらいに眩しいセリフです。レモン炭酸の青春ここにあり。


エッセイ

非常時のことば

震災後の高橋源一郎の文芸批評的な側面もあります。ただ、震災を前にして「ことばを失った」という陳腐な表現を作家でさえもしてしまったことの理由を考えたりします。あるいは震災後をいきる我々はは死者をどのように理解しようとしたのかについても書かれています。が、おすすめなのは語りかけるように書かれた文体の優しさに引き込まれるのです。読み物としても鑑賞に堪えるエッセーです。


学術、実用

読者はどこにいるのか

読書ブログを書く方なら必見の文学理論案内。そもそも近代以前は読者が存在しなかった、ということはどういうことかということから始まり、作家論→作品論→テクスト論と文学批評のパラダイムが変化したことをスッキリしたストーリーラインで示した名著。また読者の歴史から導かれるようにして生まれた、読者という曖昧な存在の問題提起へと続きます。この本をオススメできるのは、参考文献が豊富なことですね。この書籍が、より深い文学読解をたすける著作へと誘うナビゲーター的役割も果たしています。今以上に質と強度のある感想を発信したいなら読みたい一冊。


人はなぜ戦争をするのか(再読)

<<<光文社古典新訳文庫>>>
古典的名著を現代語でわかりやすく翻訳することに定評のあるレーベル。こういったものには岩波や角川、講談社も手をだしていますが、読みやすさという点で光文社の右に出るのは今のところないと思います。そして解説の豊富さ。哲学書はどうしても理解しがたい表現があったり高度な前提知識を要することもありますが、古典新訳の解説は頭の靄をすっかり払ってしまうのです。さて、内容に関してですがフロイトの代表的論文「喪とメランコリー」が収録されているのが必見です。これのためだけに購入しても良いです。


東日本大震災後文学論(再読)

んん~と評価が悩ましい。かっしりとした論文が収録されていると思いきや、なんというか試論的だったり問題提起の枠に収まってしまったなあという印象。目新しい指摘をあまりないのですが、「〈生〉よりも悪い運命」(藤田直哉)は示唆的でした。震災後の女流作家の動きを「生殖」という視点で切り取ったのは興味深かったです。


震災後文学論ー新しい日本文学のためにー(再読)

震災から時間を経ずに上梓されたということで、データベース的側面が強いことと文学理論としては体をなしていないことが残念。何より、筆者の言う震災後文学の定義や問題提起が彼女自信のイデオロギーに回収されているのはどうか。震災後文学と語ったときに、原発に偏りすぎていないか。津波や被災地外の人々の文学というのがこぼれ落ちた感がある。


その後の震災後文学論(再読)

前著の問題をうまく発展させて、震災後文学〈論〉として発信されているように思います。特に憑在論的メランコリーというのはその良し悪しはともかくも、今後の震災後文学を方向づけを示せたのではないでしょうか。ただ、何か問題含みな気はしますが……。私は文学研究者ではないのですからかもしれませんが、憑在論的メランコリーという理論とそれに従属する作品が特権化されすぎているような気がします。


幻想の未来/文化への不満

現在フロイトの精神分析はあまり支持されてはいないようです。抄録された「モーセと一神教」などは正直彼の妄想な気もしますね。けれどエディプスコンプレックスとユダヤを精神分析の視点から解釈したことは読み物として魅力を持っています。フロイトは無意識を発見したことで20世紀の三大発見に数えられますが、無意識なんて当たり前だと思いませんか。だからそれがすごいとは思えない、と我々が思ってしまうということ。つまり我々の常識のパラダイムシフトを起こしているというのがすごいことなんですよね。地動説という常識も我々の視点からすれば当たり前過ぎてなにがすごいのかわからない。そのすごさが常識になってしまうことこそ、その発見の価値を示しているのでしょう。


絶望の国の幸福な若者たち

シニカルでアイロニカルな文章で「若者論」を一刀両断する。少し喧嘩腰な筆致でかかれる「若者とは何か」は、エンタメ性のある新書だ。ひろゆきさんとか成田悠輔さんが好きな人なら、親和性が高いと思います。それでいてデータを用いて客観的・中立的でありながら意外性のある結論を出しています。

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