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タイパ・コスパへの違和感
先日、サンキュータツオさんがラジオで
辞典は工芸品と同じだと言っていた。
数千円で買えるものだけれど、
それを作るためにどれだけの人たちの長い検討があり、
製作する手間ひまもかかったことか、と。
ヤマザキマリさんは、
スマホでコンマ何秒でスクロールされるマンガのシーンに対し
「そこ描くのに2時間かかったのに…」という世界だとおっしゃっていた。
楽器を奏でるのだって同じで、
ただ楽譜を見て弾くこともできなくはないが、
作曲家の生涯、曲に込めた思い、
スコアリーディングをして他のパートが何をやっているのか理解して
演奏したほうがずっとずっと楽しい。
何かをつくりあげることは
タイパ・コスパとは真逆にある。
一般企業で働いていると、評価基準は
「どれだけ効果が高いことを短時間にたくさん実現できたか」。
何十年働いてもここに違和感を感じる自分は、
徹底的に組織人向きではないと思う。
メールマガジンの執筆という
少しクリエイティブな仕事をさせてもらうことで
なんとか自分の中で均衡を保っているが、
これだってAIに書かせたほうが効率的で質がいいと言われてしまったら
それまでだ。
人生は有限だけれど、
それでも、コスパやタイパが悪い
たくさん時間をかけて本当にいいものを生み出すことがしたい。
身体が動かなくなる前に。