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「感性」の対局にあるものとは
先日、感性と知性についての記事を書いておりました。
感性と知性は、性質の違うものだと思うのですが、どちらか一方を選ぶというものではないし、対局にあるものとは違うと思っています。
では、その対局にあるものというのは何か?と、浮かんだのは「社会性」です。
社会性とは、周りの人の存在を意識できることで、自分を客観視できること。それは、「人目を気にすること」でもあると思います。
無我夢中で描いていた小さな子どもが、ある時、人の評価を気にしだすようになり描くのをやめてしまった。
というのはよく聞くエピソードだと感じますが、それが「感性」が違う何かに置き換わっていく過程だと思います。
社会性は0か1で存在を評価できるものではないと思いますし、社会性があるから感性を働かせることができないわけではありません。それに社会性も大事。
ただ、大切なときや、大切な場所で、感性が使える自分でいられることが大切なポイントではないでしょうか。
例えば自分の進む道を決めるときなどに「感性」(=こっちに進めばいいと直観すること)よりも、「社会性」(=多くの人はこっちがいいと言うこと)を重視することで、花開く方向とは遠ざかってしまうこともある。
大人になって感性を働かせ、或いは働いているのだけど、それをちゃんと聴いてあげるのは難しいし、怖いことだと思います。
その怖い気持ちが溶けていくのには、楽しさ・高揚感のようなものと、「絶対受け止めてもらえる」セーフティネットのような安心感の両方が必要。
アート(高揚感)と対話(安心感)の組み合わせって、とてもいいなと、我ながらちょっとした気付きでした。
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