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感覚を整えておく。センサーを働かせて、自分の必要なものをちゃんと選ぶこと。

今朝、次女さんを保育園に送り届け、駅に向かうまで、
”今日noteに書きたいこと”
を覚えていたのに、いざパソコンに向かったら、すっかり忘れて「あれ〜?」っとなってしまいました。
(歩きながら考えていたので、少し歩いて動いたら思い出しました^^;)

以前、ある方に「ひろみさんのように、センスが良い方は、困り果てた結果出会った、とかじゃなくて、良いものがすぐにわかるんですよね」と言われました。

「センスが良い」って、そういう使い方は自分ではしないのですが、あぁ、確かに、そうとも言えるかもしれないなと。。

私も、少なからず着る服や家具なんかにはこだわりますので、「センスが良い」という言葉は、いわゆる「おしゃれな人」のことを指すのが普通でしょうけれど、

センスがいい=センサーがよく働く

ということならば、そうやって自分にとって良いもの、本当に価値があるものを見極めることができる人のことかもしれません。

そうしたものが、いわゆる「感性」を働かせて生きているかどうか?
ということでもあります。

センスが良いと、周りにいる人も、自分の心と身体の状態も、自分にとって心地が良く、「幸せだなぁ」「ありがたいなぁ」と感じられるようになります。

では、どうしたらセンスが良くなるのか?
というのは、はっきりとまだ整理しきれていませんが、、

これは絶対外せない、というのは身体を整えること

その他には、例えば自然や芸術に触れるというのもあるでしょうけれど、私にとって「これ」というのは、人生の濃淡や感情の起伏を受け入れること。

大変なとき、深く傷つくような体験をしても、閉じてしまわずに、何かしらを受け止めようとすること。閉じていけば、楽になっていくかもしれませんけど、きっと、大切なことも感じられなくなってしまう。

最近は、”何もなくて幸せ”って、本当には存在しないような、本物ではないような気がしてしまいます。

そして、大変な想いをするとき、その状況に、どう向き合うか?
ということも、とても大切です。

巻き込まれすぎないで、どこかで自分を客観視して、

「この大変なひとときは、人生の道のりの中の、どのあたりなのかな?」

と感じていられる自分が、少しでも存在していること。
(自分を守るためにも、とても大事)

そんなことを繰り返していくうちに、私のセンサーはびよーんと成長したのでしょう。

今日も大切な友だちがいて、いい情報と、自分にはいらないものをちゃんと選択しながら進んでいます。(もちろん、ときには実験して、失敗しながらです。)



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