軟骨肉腫日録[転移篇]1 転移見つかる
2012年の秋に軟骨肉腫の診断を受け、翌年1月にO大学病院に入院、手術を受けました。手術後、当初は3ヶ月ごとに、その後半年ごとに定期検診を受けてきました。
手術から3年7ヶ月が経った2016年の夏、肺への転移が見つかりました。
2016年
8月28日
今まで順調な回復ぶりだったので、今回も楽観していました。
主治医のStar(仮名)先生の手術前の説明でも、成人の軟骨肉腫は転移・再発することが少なく、比較的性質のよい腫瘍だということでした。
ところが、今回撮ったCTでは左肺に腫瘍らしきものがあると。大きさは1㎝ほど。早速同じ大学病院の呼吸器外科が紹介されました。
8月30日
呼吸器外科のMoon(仮称)先生は「たぶん腫瘍だろう」と。場所が比較的奥なので、表面的な切除ではなく、肺の一部分も切り取る「普通の肺の手術」になるだろうとのことでした。手術は2時間前後、入院は10日ぐらい。
実は、そのCT画像は患肢の左上腕を中心に撮ったものでした。ある意味たまたま、左肺まで映っており、それで腫瘍が見つかったと言えるかもしれません。映っていない右の肺も診ておく必要があるとのことで、CTを撮り直すことになりました。
9月7日
呼吸機能のくわしい検査と造影剤を使った両肺のCT撮影。
呼吸機能の検査の合間に技師さんのパソコンの画面が目に入りました。肺活量がおそらく4リットルぐらい。後で調べたら、成人男性としては多い方でした。後日のMoon先生の説明でも、呼吸機能は十分あるから、術後の回復でてこずることはないだろうということでした。
9月14日
1週間前の両肺のCT撮影の結果が知らされ、今後の治療方針が説明されました。
やはり右肺にも腫瘍がありました。2.3㎝。
また、それ以外にも小さい腫瘍らしきものがあるが、腫瘍かどうかは判断しかねるということでした。
2週間前の方針が変更され、まずは右肺の腫瘍を切除することになりました。
からだ全体の負担も考え、最初に見つかった左の1cmのものは、切除ではないラジオ波焼灼法という方法で処置することになりました。比較的新しい方法で、同病院の放射線科のサイトにこの方法についての説明がありました。
ここまで来ると、更なる転移が心配されました。PETの検査をすることになりました。
主治医のStar(仮名)先生は「検査してスッキリしましょう」と言ってくれましたが、わたしには「からだ全体に広がっていたら……」という不安が生じました。
9月21日
PET検査の結果が出ました。
他の場所への転移は見当たらないということでした。
まずは、最悪の事態は免れました。
呼吸器外科の主治医Moon先生から9月30日入院の指示がありましたが、どうしても動かせない所用が10月2日にあり、とりあえず日延べしてもらいました。
今から思い出しても、今回転移を告げられた時は青天の霹靂でした。転移・再発のきわめて少ない腫瘍だと聞いていたこともあります。
ただ、前回の経験もあり、自分自身が死ぬかもしれないという不安はそれほど強くありませんでした。
わたしの父は、わたしが生まれて3ヶ月の時に胃ガンでなくなりました。42歳。
母は、わたしが30歳の時に脳腫瘍で亡くなりました。67歳。
今のわたしが59歳ですから、早いのやら遅いのやら。今回の手術を終えると、もうしばらく何年か刻みで生き延びていくのかなぁという心境です。腫瘍かどうかわからない小さな病変もあるようなので、状況が急変することもあるかもしれませんが。
一番気がかりなのは家族に迷惑がかかるなぁということでした。新たな腫瘍の発見と処置を何度か繰り返しながら、最後はもう手段がなくなって死んでいくのでしょうが、その間家族はいろいろと心配をしてくれるのでしょう。「申し訳ない」という気持ちがあります。
父のことを思いました。乳飲み子のわたしを含めて4人の男の子と妻を残して42歳で亡くなっていった父は無念だったと思います。そんな人生もあるのだなぁと思いました。
今回も中井久夫氏の「ガンを持つ友人知人への私的助言」(『臨床瑣談』)を取り出して、読み直しました。
「……では、どう話すか。
相手によっては、ガンとはどういうものかから話すことにしている。
いわく、ヒトの細胞は生涯にわずか四、五〇回しか分裂しない。……例外は…ガン細胞である。…機能を分担する能力がなくなっていて、その代わり無限の寿命のある細胞である。
といっても、無敵ではない。むしろ、弱点の多い細胞といってよいだろう。
実際、ガン細胞は一日に何万個かの単位で私たちの体内に発生している。私たちみんなにだ。しかし、圧倒的大部分は除去される。…とにかく、毎日できるガン細胞のごくごく一部だけが生き残る。だから、みんな、変な細胞を抱えている。そして、二〇年ぐらいの間には細胞が少しずつ増えだす場合もある。一ヵ所に一億個ぐらいになると、一種の要塞として存続する。三億になると一部が血液の中に出ることがある。これは転移が発見されるよりずっと前に起こっているらしい。ところが血液の中でたいていはやっつけられる。……
ガンは決して正常細胞より強い細胞ではない。ガン細胞は健康細胞より熱に弱い。エネルギーを生み出すシステムも低能率のシステムを使っている。それに、ガン細胞の塊の中には毛細血管しか入っていけない。大きな血管が栄養を与えることはない……
闘病という考え方もあるが、『闘う』といって気負い立つと、交感神経系の活動性が高まりすぎる嫌いがある。『ガンも身の内』という見方もどこかにあってよいように思う。実際、多くのガン細胞は日々生まれては消えているのだから。…」