軟骨肉腫日録3 一般病室へ

 手術して1週間が経ち、HCU(高度治療室)から一般病室に戻りました。

2.6(術後8日目)
「妻に差し入れとして梅干しと佃煮を持ってきてもらう。

 Hill(仮名)医師立ち会いの元、装備を改良。装備のパッドと体幹の間に挟んでいたタオル数枚もパッドにし、装具と体幹の一体感が増し、身軽な感じになる。

 ベッド上の移動や姿勢の変更も許可される。またStar(仮名)医師からベッドの操作も許され、ベッド内での自由度が増す。」

2.7(術後9日目)
「熟睡できる時間が長くなった。
 昨夜は9時頃にウトウトし始め、消灯の10時よりも早くベッドの傾きを平らにして眠りの態勢にした。
 今朝は6時の室内灯の点灯に気づかず、看護師の来訪で目覚めた。

 朝食ほぼ完食。黒糖パン3個、牛乳、チーズは2個のうち1個だけ残す。家から持参のヤクルト1本、リンゴを半個。

 排便。
 手術翌日を除いて毎日排便はうまくいっている。
 仰臥しかできない私はおマルを使う。ある日は女性の、ある日は男性の看護師にお世話になる。ほとんどは娘や息子の世代である。
ペーパーで便をぬぐい、ソープで肛門部を洗ってもらう。温水で洗い流してもらう。排尿のための管の入っている亀頭部も丁寧に。

 いよいよ『離床』。
 看護師の手を借りながらベッド脇に立ち、足を踏み代えながら90度角度を変え、寄せてもらった車椅子に坐る。
廊下に出る。屋内であるのにわずかに風を感じる。押してくれている看護師にそう告げても『そうですか』と言う。手術前には私も感じていなかったと思う。
 身体を垂直に立て、視線を水平に伸ばして、廊下を進む。
 視界を天井に覆われて仰臥するだけだった時のことを思い出す。
 左右に視界を展開できること。視線が遠くまで伸びていくこと。視点である自分が移動できること。『世界』の中を自分が巡っていけること。「世界」の中に自分の位置を確認できること。

 病棟の廊下をめぐり、談話室へ。
 短時間で自室へ戻る。30分ほどそのまま坐っていたが、次第にのぼせたようになる。

 Hill医師からCRPが3になったと聞く。手術直後は9か10だったという。白血球の値はなかなか下がらないが、内科的な全体の状態は順調に回復しつつあるということのようだ。点滴の頻度・量が目に見えて減ってきている。」

 一般病室に戻ってきた頃は、夜間目が覚める時がありました。その時どうしたかというと、まずは、眠ろうとします。それで眠れない場合はラジオ番組を聴いて気晴らしをしました。あるいは、意識してもの思いにふけりました。不安な気持ちはありませんでした。
 そのうち身体が眠りをほしがるという感じの夜も出てきました。手術直後はともかく時間が経つことを願っていましたが…。

2.8(術後10日目)
「車椅子でトイレへ。
移動に先だって着替え。」

 室外に出るのでもう少しマシな姿に変えようということになりました。これまでは、T字帯(いわゆるフンドシ)の上に浴衣を前から着るという変則的なものでした。浴衣の背中が胸側になり、背後で合わせるという着方をしていました。ほとんどがベッドの上で仰向けなので、これでよかったわけです。
 新しい身づくろいでは、下半身は大きめのトランクスパンツの上にトレーナーをはき、上半身は妻が手づくりしたものをかぶりました。バスタオルの真ん中に穴をあけ、そこから頭を通します。バスタオルは腹側と背中側に前後に垂れますが、脇に紐を付けて結べるようにしました。古代ローマ人になった気分(笑)。

2.9(術後11日目)
「昨日同様車椅子へ移乗。
 排便はベッド上よりもやはり便器の方がやりやすい。
 その後自室で30分ほど車椅子に坐ったままでいる。自律神経の調整が十分でないのか、ふぁーっとした感じになる。

 夕方、右下腿の装具を着用。腓骨のかなりの部分を切除したため今までは添え木で固定していたが、新しいものは伸縮性のサポーターを巻き付けるようなもの。何よりも固定がはずされた身軽さが心地よい。
 次第にさまざまな固定がはずされていく。身軽になった分だけ新しくできることが増えていく。とはいえ、できるかどうかはあくまで可能性であり、獲得できるかどうかは自分次第である。」

2.10(術後12日目)
「少しずつ両足で身体を支えられるようになる。
 起立性めまいもほとんどなくなった。

 義父が見舞いに訪れる。」

2.11(術後13日目)
「不眠ではないが夜間1時間ごとに目が覚める。そのままにしているとすぐ寝つくということを繰り返す。

 最近は時間が速く流れる。
 入院してから今日でちょうど2週間になる。
 最初の1週間の渦中にあった時は、ひたすら時間が流れることを願っていたが、今は身を任せるだけである。身を任せれば、思いが流れを淀ませたり滞らせることがなくなり、流れは速くなる。

 今日するべきことは車椅子に移乗し排便に向かうことだけだった。
 そのようにして一日は終わる。私の知らないところで私の細胞たちは回復・再生し続けているのだろうが。」

2.12(術後2週間目)
「いよいよ手術後3週間目に入る。

 ほぼ毎日のように(今日は2回)血液検査が行われ、内科的なデータから点滴が変更されていく。
 鎮痛剤は明日から1日3回のロキソニンの服用だけになっていくようだ。CRPはずいぶん下がったが、白血球の値がなかなか下がらないのだろうか。

 装具がむずかしい。
 上腕に移植した血管を圧迫しないように、脇にすき間をつくった状態で上腕の角度を維持する。
 ベッドの上に仰臥するしかなかった最初の1週間は、左脇に置いた枕の上に腕を置いておけばよかった。ベッドの上に坐り、立ち上がった時に血管を圧迫しないように、装具が装着される。
 一番の問題は就寝時である。身体と装具とベッドとの関係。身体と装具の間はわずかに身動きできるほどの余裕がほしい。装具の中で包帯も適度な緊密さで巻かれている。その余裕や適度な緊密さが、動きの中で、時間の経過の中で変化していく。装具と身体の間のすき間が変化していく。
 目覚めている時は気づきやすく、その場で修正しやすい。眠っている間にそのすき間が修正しがたいものになってしまう。装具と身体の間のクッションでもあったガーゼ・包帯がやや弾力性を失い、すき間がいびつに広がる。また、身体全体がやや傾きのあるベッドの上を時間をかけて足方向へわずかに滑っていく。わずかに5センチ、多くても10センチ。装具の中を身体が更にわずかに滑る。身体のある部分が内側から装具にあたる。痛みを生じることもある。

 トイレに行くのに、歩けそうだということで医師に見てもらいながら歩行器を使う。『歩行器を使わずに脚だけで歩いた方がバランスがいいのでは』という評価。明日ぐらいには排尿のための管が抜けるかもしれない。

 次兄が見舞いに訪れる。長期に滞在するつもりだったようだが、1泊して明日帰るという。
娘と電話で話す。2週間ぶり、手術直前以来。」

2.13(術後15日目)

「起床してすぐの点滴が今朝からなくなった。1日を通じて午前10時と就寝前10時の2度だけになるという。中味は抗生物質。
 排尿のための管が抜かれた。新たな自由が1つ与えられた。

 夕方、昨日に続いて娘と電話で話す。最初は『少し落ち込んでいる』と言っていたが、話しているうちに元気になる。

 夜、娘と3人の兄に手紙を書く。」

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