軟骨肉腫日録5 退院へ
手術から1ヶ月が過ぎ、日常生活への復帰が少し見えかけてきた頃だったでしょうか。からだへの処置が少しずつ減っていき、身軽になっていきました。気持ちの面ではどうだったのでしょうか。自信や覚悟はまだまだ手の届くところにはなかったように思います。
3.1(術後31日目)
「いよいよ3月。
外部から携帯への電話がある。おそらく退院していると思ってのことである。そういえば、まわりの人々には『2月いっぱい入院』という言っておいたように思う。
特に何事もなく。手術痕からの浸出液が、昨日は多かったが、今日は少なかった。」
3.2(術後32日目)
「左腕の安静を気にかけている。
来週リハビリをはじめることができるようになるために、1本残っているペンローズドレインを抜く必要がある。そのためにも浸出液が少なくならなければならない。そのために自分ができること。
左の手首から先は、横たわっているかぎりはむくみも少なくなるが、坐位・立位になり腕をぶら下げると、すぐに血液の環流が悪くなりむくむ。」
3.3(術後33日目)
「昨日Star(仮名)医師から『左の手や前腕のむくみをとるために、指をよく動かすように』と指示される。
実際に動かしてみると、動きにくいところがいろいろあるのがわかる。浸出液を気にしていたが、動かすこととはあまり関係ないようだ。昨日と今日は少ない。」
3.4(術後34日目)
「朝採血。
午前リハビリ。むくみで手指の屈曲がしづらい。手首・肘関節はそれほどでもない。
午後シャワー。
ガーゼ交換の際、左腕にあった最後の管が抜かれる。
身体につながれていた管がすべてなくなった。
からだに必要なものを管で入れ、不要なものを管で出すという、手術後不可欠であった管がすべてなくなったということ。」
3.5(術後5週間目)
「ガーゼ交換の際、装具のクッションが除かれる。腕を肩から三角巾(実際は装具)で吊ったのと同じ状態になる。
手術以来、スタッフによる2時間ごとの確認など患肢の血管保護が重要であったが、その必要もなくなったということ。
極めて身軽、ただしやや肩関節が不安定かつやや不安。」
3.6(術後36日目)
「今日から鎮痛剤ロキソニン・胃保護のムコスタ・胃のムカツキの薬をやめてみることになる。症状が出れば頓服することに。内服薬は朝夕食後の抗生剤のみになる。これで胃の調子・食欲がよくなるか。」
3.7(術後37日目)
「昨日Star医師に肩関節の安定性について質問したところ、『筋肉が巻いてくると安定してくる』と。安心と自信を得る。
装具のクッションを除いてから身軽にはなったが、保護されている感じが薄れ、安定性を心配していた。
リハビリでは指・手首・肘の関節の可動域を改善するものだが、どうしても肩関節を刺激してしまう。生活の中でも肢位や動きによって肩周辺に一時的な痛みを感じることがある。その程度の刺激や痛みは問題ないようだが。
むくみはなかなか改善しない。
ここまで必要があれば看護師等に頼んでいたスポーツドリンクの開栓、今日はじめて自力でできた。
Star医師に今月中旬には退院したい旨(妻の職場復帰に関連して)をお願いする。
ポイントはリハビリのようで、指が肩につくぐらい肘を曲げられるかだと言う。
そもそも自力での肘関節の屈曲は考えていなかった。上腕二頭筋は切除してしまっているはずだが、他の筋肉で屈曲はできるはずだということか。外来でリハビリできる適当な施設があるか、Hill(仮名)医師と相談してみるとのこと。」
3.8(術後38日目)
「左腕のガーゼ・包帯がとれ、1ヶ所だけ防水テープが貼られた。装具で腕を吊る状態は変わらないが、肘から先が動きやすくなり(肩関節も連動して動き、不安定だが)、血液・リンパ等の環流がよくなりむくみが改善しやすくなるか。
横臥状態で装具をゆるめ肘関節を動かしてみる。
ガーゼ・包帯がとれた上腕の手術痕を見る。直接触れてみる。
触れるのは、骨そのものなのか、骨のように堅くなった筋肉なのか。
5週間に亘って安静状態で逼塞し耐えてきた上腕である。また、その上腕の流れが貧しいために環流できずにむくんできた前碗であり手である。これから少しずつ蘇っていく、蘇らせていく、ただし慌てずに。
Star医師から22日の退院を提示される。リハビリ期間が十分でないため、退院後HS病院へ外来で通うことになる、とも。」
3.9(術後39日目)
「今日は処置もリハビリもないので、装具をゆるめ、自分で左腕をしきりに動かす。
現在の医療処置は朝夕の抗生剤1錠ずつと30分のリハビリ。
『日にち薬』の自然治癒と自力でのリハビリがプラスされる。
Star医師から外出の許可が出る。タクシーで自宅に帰ってもよいと。退院時期の相談をしたので配慮してくれたのだと思う。
拘束が解かれていく。
残っている拘束と言えば、左腕が吊られていること。思う存分左肩を動かすことはできない。
今になって思い起こせば、術後1週間は酷い拘束状態だった。ほとんどどんな自由もなかった。身動きをとることすら許されていなかった。考えるだけでもぞっとする。その時はそのことを考えること、意識することを無意識に避けていた。
ただひたすら時間が過ぎていくのを待った。時間を経過させることだけが拘束を一つずつ解いていく手段だった。経過する時間の中で身体自身が治癒していく。それだけを頼りにしていた。自分が何を考えるかとは関係なく、治癒していく。考えることは無駄だった。」
3.10(術後40日目)
「これまでは、1ヶ月が過ぎ、5週間が過ぎ、というように、日数が過ぎるという感じだった。退院のメドがついた今は、その日が近づいてくるという感じになる。あるいは、こちらから向かうものがあらわれたという感じか。
昨日に続いて『拘束』ということについて考える。
手術直後の拘束状態。
まず姿勢を動かせない。動かせるのは首から上と右腕と左脚。寝返りもうてない。
ベッドの傾斜を変えられない。したがって視界はほとんど天井のみ。視界の端に、わずかに窓。その窓から向こうに、更にわずかに空が覗いていたか。水平上のものは視界に入らない。
口から身体に入れるものはわずかな食事と水分。胃の強いムカツキがあり、食事の時間が近づいてくるのがつらかった。
身体に入れるもう一つの方法が輸液。首につながった管から24時間ずっと多くのものが入れられた。自分でわかっているものは抗生剤・鎮痛剤・栄養分・肝臓補助の……。
身体から出すもの、排尿は管で、排便はベッド上に横臥したまま介助されて。
これらの拘束が一つ一つ解かれてきて、今がある。」
3.11(術後41日目)
「左腕がガーゼ・包帯から解放されてゆっくりと溶け始めている。
肘を動かす。
筋肉に力を入れてみる。
外から触れてみる。
軽くゆすってみる。
凍らせたジュースが表面から溶け出すように。固体状からゲル状に、そして少し液体状に。
少しずつめぐるものが増えていくような。」
3.12(術後6週間目)
「昨夜左腕を少し高くして眠ると、むくみがましになった。昼間も肢位に気をつけようと思う。
左肘を右手で抑えて、肘屈曲を自力で行う。伸展時はできるだけ十分伸びるように心がけながら。
Star医師から、装具は一生付け続けることになる、と言われる。肩関節は一本の針金と腱で吊られているだけとも。
『一生』という言葉がこたえた。」
3.13(術後43日目)
「数日前から左腕のテープを貼った部分の少し上に水膨れができている。少し気になっていたが、注射器で中の液体を抜いてもらう。
リハビリはあまり無理をしないこと。ここのところ自分の努力でどうにかしようとしすぎていたかもしれない。身体の力が修復するのにペースを合わさないといけない。
部屋を移動。4人部屋に。今までの個室が贅沢すぎたのだが。
南向き。でも他人の気配は気になる。あと1週間余り。
今日手術した人が部屋に戻ってきた。
主治医のStar医師から、退院を早めて20日にすると。その翌日リハビリのための病院に通院する。その日が主治医の勤務日なので、立ち会いの元、打ち合わせをすることに。」
3.14(術後44日目)
「数えてみると今日は入院から47日目。退院の20日は53日目になる。
上腕の筋肉を(筋膜やリンパを対象に)マッサージすると少しずつ楽になるような気がする。慌ててはいけないが。
朝、たぶん手術の中心的存在だったHill(仮名)医師が回診に。
左腕の機能が予想以上に残っていることを心の中で感謝する。医師も初めて(?)微笑んで喜んでくれる。
手術で接合した部分は肩(上腕)を回旋しすぎると折れてしまうと。
肩関節に関しては、肘の動きに連動した程度や肢位によるものはそれほど心配ないが、針金と腱でくっついているだけなので激しく動かすと腫れてきたりすると。
自主リハビリとして階段を歩く。昨日は上りで筋肉の衰えを感じ、下りで踏み外しそうになったが、今日は少し慣れる。エレベーターで2階分降り、その分階段を上る。心肺機能の刺激。少しフラッとなる。」
3.15(術後45日目)
「朝起きて左股関節周囲の筋肉痛。ややビッコを引く。昨日階段を歩いたのがキツすぎたかと思ったが、ベッドで脚を組むストレッチをしていてそのままウトウトしてしまったことに思い当たる。
シャワーとレントゲン。
左腕の骨増殖を進めるための超音波治療器を勧められて使い始める。
治療該当部位は、骨の接合部であり、術後管理で皮膚の色をチェックしていた部分。最もナイーブであるためマッサージも控えてきた。
1日使ってみて、骨への効果はもちろんわからないが、筋腱へも効果があるかもしれない感触。治療を実感する機器ではないが、使用後少しほぐれているような気になる。
M医師に治療部位にマークをしてもらったが、骨の接合部に金属が入っていることを知る。
4人部屋で患者の入れ替わりが激しい。
一昨日手術した人。今日手術した若者。手術予定はもう少し先だが今日入院してきた人。
会話の声が大きい。みんな何らか興奮しているのだろう。人間関係が少なくなっていることも関係しているのだろううか。私も含めて。」
3.16(術後46日目)
「夜間トイレの行くのが2回。目覚めて、熟睡感がある。
入院から7週間が終わる。
退院後の生活の予行ということで、今日外泊。
10時前に家に着く。シャワー。衣服の着脱。
病院に比べて自宅は寒い。
試しに、お好み焼きを買いに駅前まで一人で歩いてみる。
ゆっくりと歩く。転倒が恐いこともあるが、なかなか進まない。手術する前は同じ道をいつも小走りだったなぁと思う。
これからはこのスピードで生きていくのだろう。ゆっくり考え、ゆっくり移動し、立ち居もゆっくりと。」
3.17(術後47日目)
「午前、外泊から病院に戻る。
入院50日目。
家での生活は畳の上からの起居なので、各関節を深く屈伸しないといけなかった。 今日になって腹筋・股関節などに筋肉痛。
階段の登り(下りはエレベータ)を3階分3セット。心肺に刺激。」
3.18(術後48日目)
「階段の上り下りを3階分×3セット、午前と午後の2回。下りも歩いて。慎重にすれば大丈夫。
リハビリで肩関節を動かすが、外転・屈曲ともに先週よりもよく動く。作業療法士も驚く。
誤解していたようだが、肩関節は他動的には可動性を確保しておく方がよいようだ。起居などで揺れた時の痛みも感じにくくなった。」
3.19(術後49日目)
「いよいよ明日退院。
元どおりにはならない。
いつごろに、どこまで、回復するのか。『回復した』と判断するのは自分なのか。
どうなるかわからない。どうなるか、それなりに予想できる人はいるのかもしれないが、自分にはわからない。わかっているつもりにもなれない。
ゆっくりと動き、ゆっくりと移動し、ゆっくりと仕事や家事をこなし、ゆっくりと家族の悩み事につきあい、ゆっくりと考えるようになる、おそらく。
階段の上り下りは3階分×3セットと上りのみ5階分×1セット。
Hill医師が立ち寄ってくれる。
骨が完全にくっつくまでは転倒に気をつけるようにと。
肩関節の可動性について質問すると、脇があくぐらいの可動性は確保しておいた方が清拭などのためにもよいと。
残存している筋についてはStar医師に聞いた方がよい、自分は再建の担当だったからと。
Star医師が診察に。
左肩部の水泡。再び注射器で吸い取るが、その場で元のように膨らむ。吸い取った液体の中味をチェックする。血液で膿ではない。化膿しているわけではないということか。ガーゼで押さえるようにガーゼを当て、上から防水シート。これまでよりも大きめ、強めに。
明日、退院。
私は何をするのだろうか?」