軟骨肉腫日録[転移篇]3 退院まで
10月24日
昨夜は痛みでよく眠れませんでした。
昨夜の前半は横になると痛む部位があり、この状態のままでは眠れないと起き上がり、ベッドの端に座ると痛みませんでした。
もうこのまま起きていようかと思いました。
痛む場所は手術創とは限らないと思っています。手術創以外の場所が痛む。手術創の周囲の筋肉が硬くなっていて、そこに触れるとビクッとするぐらい痛む。手術創がヒリヒリだとすると、ジンジンしたりビリビリしたりという感じに。
その部位が交感神経優位になっているのかもしれないと考えました。そこに触れるとビリビリしたりジンジンしたりするけれど、そこにそっと触れたりストレッチしたりして慣れさせていくと、その痛みは半減していくようでした。
原因は何か。
たとえば、鎮痛剤の影響、あるいは手術中長時間同じ体位で圧迫した、あるいは切除に際してどうしても小さい神経をいっしょに切ってしまった、などを想像したりしますが、今さらどう考えてもしかたがありません。
考えてみれば、前回の手術では、術後2ヶ月入院していたので、術後の管理を病院のスタッフに任せていました。今回感じているようなことはその間に解消されていたのだと思います。今回は1週間ほどで退院することになるから、退院前から自分の身体の状態について意識的です。
今朝になってMoon(仮名)先生が来られて、最後のチューブ・胸郭ドレーンが抜かれました。これで身体には何もついていません。
手術後3日目の朝というのはずいぶん早いのではと思います。うれしいことはうれしいですが、手術創が完全に治っているわけではないので慎重にと思います。一方で、十分に動かすことも大切ですし。
10月25日
ほぼ一週間ぶりにシャワーを浴びることができました。前回のシャワーは手術前日の、入院した日でした。
手術創を鏡に映して確認しました。
少し反省しています。身体にメスを入れるということについて。
変な言い方をしますが、わたし自身は生き延びるために身体にメスをいれたわけですが、身体はそれをどう受け止めればいいかわからないのだと思います。それが生理的な反応としては、ビクッとしたり、激痛が走ったりするという交感神経の興奮した状態としてあらわれていると考えていいのかもしれません。
ここ数日で、身体に起こったことを身体が受け入れられる状態になるよう、もう少し考えないといけないと反省した次第です。
入院担当のドクターから今朝「今日のレントゲンと血液検査で問題がなかったら…」という一言がありました。
10月26日
血液検査で肝機能が弱っているという結果が出ました。
退院は延期です。
内服薬の影響だろうと、最後に残っていた胃薬も中止になり、代わりに肝機能を保護する薬剤が注射されました。
「これは何の薬かなぁ、ミクロファーゲンとかいう薬があったなぁ」と思っているうちに、前回の手術・入院の時も同じような状態・処置になったのを思い出しました。
10月27日
今日は木曜日。1週間前の木曜日に入院しました。
4人部屋に入っています。患者さんの出入りが早いです。1週間前にいた人はだれもいません。
わたしよりも症状の重い人がほとんどです。
わたしと同じ日に入ってきたKさんは70歳。話の好きな人です。看護師さんにもよく話しかけていました。今回の手術は大動脈瘤。脳へ向かう血管が分岐するところの、しかも裏側にあるとのこと。膀胱がんの定期検査で見つかったそうです。専門でない医師が見つけてくれたことになります。
その人は、2日前に手術室へ向かいました。そのままICU、HCUへ移って行ったようで、この部屋へは戻ってきませんでした。
わたしの1日後に入ってこられたNさんは52歳。人間ドッグの検査が終わって、他に何かありませんかと問われ、「そういえば、先日胸が苦しくなって」と答え、少し調べてみると、医師の顔色が変わったと。その会話がなければ、気づかれていなかったことになります。
冠動脈が5本悪くなっていて、他の部分から5本の血管を調達し、取り換えるとのことでした。そのためには、胸骨を縦半分に割り、肋骨を左右に開くということでした。
3日前に手術に向かわれましたが、やはりICU、HCUへ移って行ったようです。
二人がいなくなった後へは、いずれも外来から直接入院してこられた方がお二人。入ってこられた時点ではとても苦しそうでしたが、緊急の処置がされた後、症状はそれぞれ落ち着かれたようです。
というわけで、今回のわたしは、比較すると、きわめて軽い患者のようです。
昨日から昼食・夕食は病院食を勘弁してもらっています。
前回の入院でもそうでしたが、病院食が食べられません。体重が2日間で2㎏ほど減り(排便なども関係していると思いますが)、食べられるものをしっかり食べようと思い、院内のコンビニへ行って食べられそうなものを買ってきます。前回は歩行できない期間が長かったので、妻に差し入れしてもらっていたのでした。
チューブが抜けてから階段歩行を始めました。
1階から3階までのスタッフ用の階段を歩きます。3階まで上がり、エスカレーターで1階まで下ります。最初は3階に着くと胸が激しく動き、立ち止まりました。今は少し息苦しいままエスカレーターへ向かいます。スタート地点に戻る頃には呼吸も落ち着いています。
心肺機能というものが少しわかったような気がしました。手術の説明の時に見せていただいた心臓と肺の血管の画像がヒントになりました。心肺とは行燈のようなものだと思います。肺は空気を溜めておく器、心臓と血管はその中でガス交換をする。肺を切除するということは第一義的に肺活量(肺の容積)が減少するということですが、問題は肺の血管でのガス交換です。3階へ到着すると心臓と血管がドクドクしてガス交換を急ぎます。思う存分動いているのを感じると、ある意味快くもあります。
10月28日
手術したのは1週間前になります。
今日は午前中に体調が悪く、軽いめまいと倦怠感がありました。
昼食の調達に地階のコンビニへエレベーターで行くのですが、もっと体調が悪くなると大変だなぁという感じです。
その後引き込まれるような眠気が何度かあり、その度ごとに寝汗をかきました。特に不快というものではなく、そのままにしていると午後4時からのシャワーの時刻にはすっきりしました。
後から考えると、今日の体調の悪さは、昨日・今日とパソコンや読書で後頭部・後頚部をこらせてしまったからではないかと思い後当たりました。
夜になって、入院担当のドクターから「B型肝炎の既往があるようだ」という話がありました。そう言えば、10年前にB型肝炎のワクチンをしました。その免疫が残っているのでしょうか。肝炎には感染していないと思うのですが。
ともかく、月曜日に内科のドクターに診てもらってから考えようということでした。
意外な長期戦になります。
10月29日
午前階段上りを再開。5セット。昨日は中止していました。
読書もパソコンの作業も気持ちよく進みました。
午後、妻と娘が見舞い。娘は3回目。学校の帰り。
10月30日
昨夕は夕食後テレビをつけたまま、歯も磨かずに寝入ってしまいました。
10時、2時と一時的に目が覚めましたが、4時まで継続的に眠ることができました。
今から振り返ると、28日の午前が転換期だったように思います。前夜の睡眠不足のせいもあったと思いますが、軽いめまいと落ち込むような眠気と寝汗。午後にシャワーを浴びるとすっきりしました。
手術の緊張や気づいていなかった興奮、麻酔や鎮痛剤の名残など。そこから一皮剥けたような感じです。退院までの頭の中での勝手な勘定合わせなどとは無関係に、転換するべき時には身体自身が転換するのだなぁと実感します。
10月31日
今朝の血液検査で肝機能の数値が下がってきたので、明日の退院が決まりました。
やっとという気持ちもありますが、あっという間だったという気持ちもあります。入院から退院日の明日までで13日間ということになります。
この1週間近くはチューブもとれ薬もなくなり、一見入院が必要でないような状態だったわけですが、それはそれで必要だったのかもしれないと思います。条件がそろったからすぐに退院して自宅での生活というよりは、目には見えないけれど回復がまだ十分でないという部分もあったはずで、結果として必要な期間だったのだと思います。
入院中に読み終わったり読んでいる途中の本が何冊かありますが、その中の『治療のための精神分析ノート』(神田橋條治)に「自然治癒力=退行」という考え方があります。
「退行の状態は自然治癒力を解放する。と言うより、生体の危機状態に際し活動を志向している自然治癒力が退行を導くと言う方が正しいだろう。」
あまり一般的な話にしてはいけないと思いますが、例えば風邪引きで高熱にうなされている時、からだがぐっしょりになるほど寝汗をかくような状態。数日間、仕事や学校を休み、社会的な場所から遠ざかる。これには社会的な退行の匂いがあり、ねぐらに棲む獣になったような気がして、これはこれで悪くない。
今回の10日余りの入院全体がわたしにとっては退行だったのではないかという気もします。そろそろ目を覚ます頃なのでしょうか。
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