3/27(金)愚直
おはようございます!こんにちは!こんばんは!
写真は入院中の私です。笑
今回は「大学二年生編」を書いていきたいと思います。
前回の続きなので、まだ読んでない方は下の記事からご覧ください!
入院
検査が終わり、すぐ入院することになりました。
大学一年生の10月末だったと記憶しています。
手術をお願いしたのは、埼玉県の病院です。名医がいると言う理由で紹介してもらいました。かなり怖い先生でしたが、、、笑
手術当日は、ひどい眠気に襲われていました。
理由はわかりませんがとにかく眠たかったです。
ドラマに出てくるストレッチャーで手術室に運ばれ、手術台に運ばれました。
手術台に乗せられ最初に部分麻酔を脊髄に打ちました。
経験者から、脊髄に打ち込むときは本当に痛いから気をつけてと脅されていたので、かなりビビっていました。
横向きになり、背を丸め、そして恐怖のあまりつい力んでしまうような空間。
思い出すだけでも嫌です。笑
「はい、じゃあ行くよー♪」…なんと緊張感のない麻酔科医。。。
しかし、私が本当に大丈夫か、この人、、、?と疑問に思っている間に麻酔科医が「はい、終わり♪」というのです。
僕は「えっ?」と聞き返してしまいました。
なんと刺された感覚すらも感じずに麻酔が完了したのです。笑
今思うと、あんな眠気で記憶が曖昧なのかもしれないですが、、、笑
そして、身体は手術台に部位ごと(腕、脚、胴)に固定され、動かせるのは首のみになりました。
しばらくトイレに行けないのでチ○管を通すのですが、たくさんの助手(女性)な前でメンタル公開処刑され、「膝はもういいから俺を殺してくれ!!!」と思ったことは確実に覚えています。笑
手術
ついに手術が始まります。執刀医が麻酔が聞いているかの確認をします。
「どう?感覚はない?」
「まだ、微妙にあります!」
「そろそろ大丈夫そうだな!」
「え?(話聞いてたか、この人、、、)」
と、勝手に話が進み手術が始まりました。ここから地獄が始まりました。
ACLは靭帯の再建手術なので、基本的には太腿の裏から靭帯をとり、膝に移植します。私は競技の性質上、右太腿(ハムストリングス)から靭帯を取り、左膝に移植しました。
靭帯を取るときは膝から内視鏡で取ったのですが、手術のメインが左膝だったせいか麻酔があまり効いていませんでした、、、
右脚の術中の痛みはイメージで例えると、太腿の裏を拳で思いっきりグリグリされているような痛みです。生々しい音も痛みを増長させていたのかもしれませんが、
動くことができないので手を握り締め、歯を食いしばっていました。笑
口で伝えれば?と思う方もいると思いますが、術中なので今更伝えてもどうしようもなく早く終わってくれと願うしかありませんでした。
どれほどの時間がったのかわかりませんが、やっと靭帯が取り出せたようで右足の鈍痛はなくなりました。
左膝に移ると痛みは一切なく、ここからは眠ってしまいました。
麻酔の効果もありかなり眠っていました。目が覚めるとベッドの上で寝ていて、副作用の発熱と頭痛、体の向きを少しも動かすことができないくらいの膝の痛み、チ○管の違和感。。。いろんな感覚に襲われました。
ボーッとしているのに痛みがくる。わけがわからなかったです。笑
夜中、麻酔の効果も完全にきれさらに痛みが増してきたので、ナースコールで痛み止めをお願いしました。当然、飲み薬か、点滴のようなものでくると思っていたので、早急にお願いしました。しかし、待ち受けていたのは座薬でした。座る薬と書いて座薬(適当)。足を動かすことはおろか、上体を起こし座ることすらできない状態です。
真っ暗な4人部屋の病室。看護婦さんに座薬をぶち込まれました。入院してから二度目のメンタル処刑と殺してくれと思った初夜でした。
膝
最初の一週間は本当に地獄でした。
膝がぴくりとも動かなかった(動かせない)ので、寝返りを打つことさできません。長い時間横になっていると腰が痛くなる感覚が分かりますか?あの腰痛レベルが1なら、この時の腰痛レベルは35くらいでした。リクライニングで上体を起こしてもなんの解決にもなりません。あの痛みも思い出すだけで嫌ですね。笑
膝は自分の意思で自由に動かせないので、本当に俺の脚か?動くようになるのか?と不安が大きかったです。
ひたすら冷やして腫れが引くのを待つしかできない日々は、普段ハードな練習をしていた私にとっては辛いものでした。
兆し
十日くらいが経ち、やっと腫れも引いて余裕ができた私はできることは何か考えた結果、本を読みまくりました。
メンタルトレーニングの本、栄養学、トレーニング、他競技の著書、英語の勉強など様々な勉強をしました。
大学で参加していたメンタルトレーニング研究会の復習もできて、自分と向き合うことができました。
この時私は競技人生に大きく影響を与えるものを手に入れました。
それは、練習以外でも練習できると言うことです。
みなさん、仕事や部活を実際に取り組むことができなくなると不安になることありませんか?
上司や同僚が働いているのにとか、ライバルはこの瞬間も一生懸命練習しているだとか。
私自身、怪我が多かったのでよく練習ができず不安になることが多くありました。
その不安から焦りが生じ、中途半端に復帰して他の怪我をするなど中途半端になってしまったのです。
その結果、思うような成績が得られなかったのかもしれません。
柔道なら柔道の練習、仕事なら例えばデスクワークだけが自分のやらなければいけないことだと思ってしまいがちです。
もちろん、そこに集中して時間を割かなければいけない時もありますが。
ただ、それだけでは視野が狭くなってしまうと思うのです。
つまり「一つのことに集中しすぎ=他に隠れているヒントに気づけない」と言うことです。
そして、その視野の狭さが伸び代を少なくしてしまうことに気づいたのです。
私の場合だと、
「柔道の練習ができない→勉強→柔道につながる」
と最終的に自分の力になってきたのです。
メンタルトレーニング⇨試合本番で最高のパフォーマンスを発揮するために。
栄養⇨減量、増量などの体重管理や体の調子を整えるために。
トレーニング⇨柔道で使える筋肉をつけるために。
英語⇨海外・国際大会に行けたときのために。
と、全部つながっていることに気づいたのです。こういうことって必要なことだとわかっているけど、いざ取り組もうと思うと時間がない(半分は言い訳)となかなか取り組めないものです。
仕事でもそうじゃないでしょうか?ずっとパソコンに向かっているだけではいいアイデアは浮かんでこないと思います。
余裕があるからこそできること気付けることってたくさんあるのです。
これは指導者になった今も大切にしていることです。
だから、日曜日は可能な限り休みにして自分がやりたいことをしてリフレッシュできるようにしています。
今回のコロナで休校になったときには、
「政府が自粛を要請したことによって、君たちのやりたいことにも影響がでました。高校生は春高、中学生は近柔が中止。それは健康が最優先だから仕方のないこと。私が言いたいことは、良くも悪くも私たちの生活と政治は絡んでいると言うことです。」と言う言葉を部員にかけました。
私も政治は難しいもの、わからないものと無関心だったのですが、それではダメだと今更になって気づいたのです。なにせ、政治が私たちの生活と直結していると言う実感がなかったからです。そのまま進んだ結果今更気づくことになるのですが、、、
生徒たちにも分かりやすく絡んだことによって、興味を持つきっかけになるのではないかと思い、このように声かけをしました。
「柔道から政治」これも視野の一つ、考え方の一つではないでしょうか。
どれほど響いたかは分かりませんが、誰かにヒットしてくれればと思います。
と、だらだらと長くなってしましましたが、これが練習以外でも練習ができると言うことです。練習だけが全てではない。心の持ち方・考え方一つで人生は大きく変わると言うことです。当時は競技や学生生活に、現在は仕事に当てはめることができる貴重な考えを手に入れることができたと思います。
このように考えているので、「1日練習休んだら取り返すのに3日かかる」みたいななんの根拠もない根性論は苦手(3日ってなんで?など)です。根性論を否定するわけではないですが。
最後に!!
入院中も頑張ることができたのは、勉強のおかげ(たくさんの人に支えられたのは言うまでもなく。)だと思います。勉強の重要性にも気づけました。
こう言うことも生徒にしっかり伝えてきたいなと思います。
最終的に三週間入院し、感染症のリスクが少なくなり多少歩けるようになったところで退院することができました。
「大学二年生編」と謳っておきながら、内容は大学一年生編です。笑
次回は退院後からの内容を書いていきたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
最後に、スキ・フォローよろしくお願いします!!
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