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ヴェールの向こう側
街中でヴェールを着けた女性を見る度に、イスラムの事って知らないな、と頭によぎる。
見掛けるのは、多くは留学生、稀に夫や子供を連れた既婚女性。
テレビでは、イスラム女性の権利が悲痛に叫ばれているが、本人たちはどう考え、どんな現実を生きているのだろうか。
常から長い間頭の隅にあった疑問に答えてくれる漫画に出会った。ジャンル的に詳しく言えば、バンドデシネ、ヨーロッパで刊行される芸術系の漫画だ。
『ペルセポリス』。ギリシア語で〝ペルシアの都〟を意味する言葉で、『イランの少女マルジ』・『マルジ、故郷に帰る』と題が副えられた2巻本である。
作者は、1969年、イランのラシュトで比較的裕福な家に生まれた、マルジャン・サトラピという女性。愛称はマルジ。切り絵のような独特のタッチで、コミカルかつ淡々と彼女の半生が語られる。本作はイラン初の漫画でもある。
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本文に入る前の導入3頁の歴史紹介だけでも、知らないことだらけだった。
イランは、古代名ペルシア。642年のアラブ侵入を機に、国教をゾロアスター教からイスラム教へと改宗を余儀なくされる。イスラム原理主義のシーア派とは、敗者としてのイスラム教が始まりで、歴史中ずっとペルシア王朝の再興を悲願としているが、幾度も挫かれる。中世には、トルコ系・モンゴル系と、西から東からの侵略支配。近代では、英米の傀儡政権とともに大戦を過ごし、石油権益の紛争の只中に立たされる。
ユーラシア大陸の真ん中で天然資源が豊富、という地政学的事情から落ち着くことが許されない様だ。
イラン、としたのは、中近東には他にも様々な民族・宗教・政治的事情を抱えた国があり、隣国同士の対立も多々ある。イスラム圏は一口には語れないからだ。今日は、本の紹介に寄せて、イラン目線の話になる。
読んでみて、まず思ったのは、人も、国も、驚くほど私たちと変わらないんだな、という事である。
マルジが経験する、内紛イスラーム革命・侵略を受けたイランイラク戦争・隣国イラクとクウェート間の湾岸戦争……。
革命時期には、本気で挑んだ革命家が投獄・処刑。マルジ一家はそれを傍目に目撃しながら生き延びた。戦中のありようは、日本の第二次大戦と重なる。爆撃・避難・プロパガンダのラジオ放送。湾岸戦争の頃は一応日常を取り戻し、言葉通り対岸の火事、先の戦争でイラクに味方したクウェートが逆に攻め込まれていい気味だとさえ思っている。
争いが日常化すると、生きるのに必死だが、死や抑圧にも慣れ、そうして揉まれるのがイラン人の宿命だと諦観の哲学とともに過ごす。マルジの両親も進歩的ではあるが、次第に自国で幸せを実現する活力を失い、マルジにはこの土地で同じ道を歩ませたくないと、次世代の自由に希望を繋ぐようになる。
マルジ自身もただの女の子だ。
経歴としては、両親の教育方針により、幼少の頃は男女混合のフランス系の学校。革命後ヴェールの義務と共に女子校へ。戦争中は教育の制限を受けぬよう、亡命も兼ねて単身オーストリアのキリスト教系学校(生活はフランス語)で十代を過ごす。戦後帰郷し、戒律のためヌードデッサンもままならないような美術大学に進む。
イラン時代のローティーンでは、イギリスのロックやヘヴィメタに憧れ、可愛いアクセサリが好き。チェ・ゲバラやアタチュルクがヒーローで、男の子の友達と革命ごっこ。オーストリア時代のハイティーンでは、第二次性徴に戸惑い、恋人ができ、マリファナを吸い(やっちゃダメですよ!)、ウェイトレスのバイト、恋人との別れ。イラン人としてのアイデンティティの模索。帰国後、進学・結婚するもやがて離婚。自由のためパリへ移住……。
ごくごく普通の女の人なのだ。ただ、〝ペルセポリス〟のさらされている混迷が常に人生につきまとう。
女性性に関しては、イランではヴェールを厭い、オーストリアでは、ヨーロッパ人のあけすけな性に目を覆い、「私は第三世界から来たのよ!」と悲鳴を上げる。久々の故郷で再会した女友達のアメリカ風のメイクは羨ましいが、イランではただの反抗の印に過ぎない。大学では、マルジャンが、(やがて夫となる)恋人と寝ていると言うと、学友から婚前交渉を揶揄される。
イランの先進的な家庭に生まれた女の子には、安住の地はなく、民族としての誇りの持ち方にも苦労し、女性としてのモラルもどこに居てもしょっちゅう考えなければならない。
ヴェールの向こうにあったのは、よく知る人間であり、その土地の縮図を宿した大いに悩める魂だった。
本から目を離すと、「はて、日本人としてどうしたら?」と思ったのだが、2巻の半ば過ぎ、パラボラアンテナが普及したイランで、テレビ中毒になったマルジが、日本の伝説的朝ドラ『おしん』を見ているシーンが出てきた。「新興国に売れるフィルムとは聞くけど中近東にまで?」とびっくりした。マルジは、おしんがドラマ内で恋人の母親に結婚を反対されているのは、おしんが芸者だから。当局はイスラームのモラルに違反するから職業を美容師として放送している、と語る。これは誤解で、実際におしんは髪結いなのだが。
そこで、「あー、遠っ!」と思ってしまった。向こうの理解がその程度なら、私もこれ以上感情移入すまい、と肩の力を抜いた。
シルクロードの遥か西にある、欧米を含めた彼女たちのいざこざは、極東にある私には、「おーい、大丈夫かー?」という距離感が否めない。直接の知人が居れば別だが、せいぜい思い浮かぶのは、『アラビアンナイト』とか『乙嫁語り』とかだろうか? 『乙嫁語り』は森薫の描く、19世紀末の中央アジア~トルコのお嫁さんたちの風習や生活を描いた漫画だ。イギリス人民族学者スミスを狂言まわしに、シルクロードを辿る。地域によって、女性たちは髪や顔を隠し、ときにほとんど外出しないこともある。ペルシア編では、姉妹妻として2人の美女の絆が描かれる。
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森薫は『乙嫁語り』で、フランスの主催するアングレーム国際漫画祭(漫画界のカンヌ)で世代間賞を受賞。また、マルジャン・サトラピも、『Poulet aux prunes』(鶏のプラム煮 イランのバイオリニストが愛器の喪失とともに昔の恋を追う物語)で、最優秀アルバム賞を受賞している。2人の女性作家には共に、好きなもの・大切なものに対する性別を超えた強い情熱が感じられる。そして、それを表す舞台がイランにあるという点も。
争い合う人間の醜さは一種類、文化の美しさは無限ということだろうか。世界中どこにでも、ペルセポリスに思いを馳せる人はいるのだ。
マルジは、革命も戦争も生き抜いた。失恋から冬のウィーンを彷徨ってひどい気管支炎になったときも、戦後のイランでアイデンティティに悩んで服薬したときも、奇跡的に生き延びた。そして何より、家族、理解ある聡い両親と、ユーモアあふれる祖母に守り育てられ、心を救われた。原理主義者側にも、マルジの率直さを理解するムッラー(イスラム教に精通した聖職者)がいて、大学での彼女を肯定してくれた。
彼女の存在は、現状のイランを悩みぬいた人たちが産み出したもの。
これが、私がヴェールを覗いてわかったことだ。
参考図書
『ペルセポリスⅠ イランの少女マルジ』『ペルセポリスⅡ マルジ、故郷へ帰る』 マルジャン・サトラピ/園田恵子訳(バジリコ)
『乙嫁語り』 森薫(角川書店)
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