POPでないPOP。アナログ派や。
左利きの私が、右手で放つ好き勝手な毛筆POP( 店内広告およびメニュー )の
数々。
少し端折って、居酒屋風天 店内に貼りまくっものの一部を御紹介。
特に書にこだわる者では、無いのだが、いざ筆を取ると楽しくなるのは確か。
墨の香りって、結構中毒性があるかも知れない。子供の頃感じなかった、奥ゆかしい何かがそこにあるような。。。
仕事のための、メニュー書きというよりは” お絵描きタイム " 、自信のストレス解放になる時間である。大した字は書かないが、自由に書きたい願望は強い方、そこを抑えてあくまで読みやすいメニューになるよう心がけていた。
瞬時で作品?のようなものが出来上がる速効性、お酒を飲むと調子が上がる汎用性、なんかこの人間に相性がいいような気がしている。
墨汁しか使わない、俄の酔いどれ書家のアーカイブ。
中国人にはサーモンの、刺身が圧倒的人気で一人で何人前も食べる人がいたりしたなぁ。小さい店の割に、いいペースで丸1尾捌いていたので、頭が出る。
刺身同様、頭の焼きも鮮度良く扱いたかったので、大々的に貼っていたわけで。
視覚効果、それがPOPの醍醐味。効果アリ。
こちらは、雰囲気変えて、渋目の路線で。
” アカザ海老 "、あまり聞かないエビかもしれません。
” 斯干比虾 si gan bi xia スガンビーシャ "= ”スキャンピ” と言って洋食ではよく扱われるエビです。ニュージーランド産。
日本料理店ではこぞって、甘海老と牡丹海老を扱うところばかりだったのですが、
牡丹海老の頭が黒くなりがち、鮮度に疑問を持った時にこのエビを選択して使用した時期がありました。殻の割に身が少し小さく感じる点を除けば、甘くてキレイな身は良い食材の一つでした。
定番のメニュー以外のために小筆( 筆ペン )やマジックペン、ボールペンなんかも使用。大筆は右手、小筆は左手でしか扱えませんが。。。
店内POPにとどまらず、あれこれ使い道のある墨の文字。
・新年の休暇時には店頭に大きめの告知。
・書ではないけどトイレ表示のイラストを筆で。
・フローリングの板に酒の銘柄を書いた酒メニュー。 等々。
墨で書いた文字の、筆の入りと終わりに 2、3本小さな線を書き足す( 写真左下 )と文字に 躍動感が出ます。 これは古い日本酒や焼酎のラベルに使用されているフォントの技をパクりました。いや、学びました。(個人的に飲みながら、酒瓶のデザインを見るのが好きだ)
▲ こだわりの浅い私の書道具。消しゴムで簡易落款を作ったり。
思えば、書を愛する人にとっては中国は宝の山なのかもしれないなぁ。地方に旅すれば、その土地の作品をはじめ、骨董屋に紛れて書道具屋なんかも土産物屋の近くにあったりして。
自称、俄( にわか )書家としてはあまり偉そうなことは言えないが、" 書 "とはその書かれた文字の良し悪しよりか、" 誰 " が書いたかが重要だと思っている。
” 書 は人なり "という言葉のように、技術のある字がどうだという以上に書いた人、その人間がその文字に意味や、価値を作るということ。
政治家やスポーツ選手、有名人の書いた下手クソな文字に価値があるように、
書いた人間が何に取り組み、何を成し得たかがその文字の価値になる。
私のたわいもないPOP書き。
中国常州という街に自分の店を作った日本人、自分で料理を作る者が書いたものであるという事が重要で、風天という店において、その価値においてお客さんの目を楽しませるものであったと思っている。
大小、多くの飲食店が割拠する中国。チェーンやフランチャイズでもないのに、かつては皆が画一の自体による広告、メニューや印刷物で構成された店ばかりだった。
個で出している店ですら共産的、画一性がつまらなく見えていた。
” 漢字の国 "である中国こそ、それぞれの人間色が出る手書きのお品書きなんかが大事かもって思ってたわけで。
日本食を勉強して、将来自分で小さな生業を持つ若い子らにそれが伝われば良いなと思っていた。こう書くとカッコええな。いや、ほんまやで。
年齢とともに、更に深い興味が持てそうなら
ヨボヨボになりながら” 書 "を習いに行くかもしれないな。