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中国で食材と戯る。(19) 筍

( 私が中国という国、土地で扱ってきた食材たち )
  ある時は店の為、ある時は自分の食事・好奇心の為。
ある時は、海外からの輸入物、日本からの輸入物、もちろん現地の魚、肉、野菜。
ある時は ”試行と錯誤”、ある時は ”創意と工夫”、そんなこんなで続けてきた、自身の調理と撮影。
仕事であり、趣味であり、日常であった 私のライフワークアーカイブです。

寄稿にあたっての自身のコメント   


〈筍〉  ” 孟宗竹 "-モウソウチク

 中国では ” 冬笋 dong sun ドン スゥン ”が、一般的な呼ばれ方。春のものだと認識していたが名前にある通り、まだ寒い1月、2月にも市場に並び始めていたっけな。 
日本でもお馴染みだが、これこそまさに中国原産、中国の食材である。


 ”竹取物語”というお話が、平安時代に出てきたり、”竹”というもの自体は古来から日本にあったのだと思う。
だがこの食用となる、”孟宗竹” 、江戸時代に薩摩藩が琉球を経由して中国( 当時は清)から輸入したモノの伝播説が有力のようだ。


" 哭竹生笋 ku zhu sheng sun クー ジュー シュン スゥン "

という、中国の故事がある。孟宗竹にまつわる話なので簡単に翻訳したい。

 時代は三国、呉を治める孫権のもと、司空(土地、人民を治める)という大臣職に就いた人物がいる。彼の名は、” 孟 宗 "( 姓が孟、名が宗 )。
とても母親孝行の頭の良い人物だった。だが彼の母親は老衰し、身体を悪くしていた。医者に聞いて、彼は新鮮な筍に治療の効果があること知る。

母親に筍のスープを供したい”。 孟宗は、母親の回復を願うあまり、すぐに寒空へ飛び出して、考えもなくただ筍を求め竹林に入るのである。
 季節は寒い冬、筍など当然まだ生えてはいない。途方に暮れて悲しみのあまり竹に寄りかかるようにして泣いた。
 彼の泣き声は周囲の竹に響き天に届く。その時、奇跡が起きて地が割れ、幾らかの軟らかな筍が生え出たのである。
 孟宗は、喜んでそれらを持ち帰り、筍のスープを母親に飲ませることができた。
スープの効果もあり、母親の容態は大きく回復に向かったらしい。
 孟宗は後に、順調に仕事の成功を収め、司空という大臣の座まで登り詰めた。

 彼は実在の人物で、” 三国志 " をはじめいくつもの歴史書的な文献にエピソードを残し、その人柄にも触れられているようである。

心根の良い者に天は応えてくれるという話、としてこの故事は伝わる。。


 ▼  この回、特に変わった調理はしていない。
自宅で作った炊き込みご飯、居酒屋 風天で作った炊き込みご飯、わっぱ飯の3本立てを写真だけで。


” 鶏と筍の炊き込みご飯 "

下茹で済みの孟宗竹
蓮根、人参も。
スタンバイ。
炊き上がり。
家メシ用


” 鶏と筍の炊き込みご飯 "  ver. 風天

家より良い米を使ってる。


” 筍のわっぱ飯 "   ver. 風天

少しアレンジの筍ご飯。

                         
                               以上

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