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哲学入門書から学んだ事【何故私達は“ワンネス”という事を理解し難いのか】

前回に引き続き、東洋哲学について書かれた入門書
【史上最強の哲学入門書〜東洋の哲人たち〜】についての話です。

インド哲学においては、真理や“私とは”って事について書かれています。
ヤージュニャヴァルキヤや釈迦は、真理について理解し(悟り)それについて、なんやかんやとみんなに伝えるんだけど、東洋哲学においては、知識として知る事と体感として知る事は違うから、“真理(悟り)”とはこういうものですよー。
って、言葉で伝えるわけじゃなくて、こんな場合はさみたいに、例え話をして伝えていこうとしてたみたいで。

で、紆余曲折あり、中国哲学者である荘子は、さらに踏み込んで、悟りを開いた後、どうなるかって事まで、文献として書いていて。
多分、もしかしたら、(中国哲学の章まで読んだ私は)荘子の文献は、東洋哲学の“真理”について集約された文献なんじゃないかって思ってるわけですが(笑)


ここまで読んでいて、何故ワンネスを理解し難いのかって事を、私なりに考察してたみました。
考察…。うん、まぁ考察か。理解ってわけじゃないものね🤔


何故私達が、ワンネスを理解し難いか。

それは、言葉を使い、名前を付け、「これは〇〇である」と、物事を分別しているから。そして分別という概念があるから。

あなたは私であり、私もまたあなたである

と、高次元達は言う。

地球にも、神にも、草花にも、隣に住む美代子ちゃんにも。全てに私がいて、私にもまた全てが在る。

わかったような分からないような。

何故わからないのか。それは、私と私以外という境界線があるから。

私という境界線が、ワンネスを理解するうえで、難解にしている。

皮一枚によって、私と外を隔てている。


皮一枚でしか隔てられていない上、水分がふんだんに含まれている。
女性の皆様はよくご存知の通り、肌のハリ・ツヤに欠かせないのは、水分量で、それを補うために多くの人達はスキンケアを入念にするわけです。美容に疎めの私ですら、なるべくスキンケアしています(笑)

さて話を戻し。

つまりは、皮一枚で隔てて、境界線を敷いている気でいるけど、きっとミクロでみれば、私も私以外も、そこにあるのは、水分。もっとミクロで見れば、量子。その量子のゆらぎでしかないんじゃないかな。

あれ?なんだっけ?

そうそう。つまり、私達がワンネスを理解し難い、大きな原因は、この“分別”にあるんじゃないかなって、本を読んで思ったのでした。


それにしても。

高次元の話とか、自分が体験してきた感覚的なもの。

それを伝えてみたいって思っても、ロジカルに整然と文章に出来なかったのだけど、哲学書を読み進める内、


それそれ!そういうことなのよ!!


って、言葉を使って伝える術を身につける事ができる。

本って、ありがたいなって思うと同時に、作者である飲茶さんの知識と理解力に恐れ慄いている今(笑)

まぁ、これに関しては、前回も書いているけど(笑)

みつろう氏の対談もそうだけど、彼自身の話も聴いてみたいな。
そんでもって、今は図書館で借りてるけど、返す頃には、ちゃんと自分のモノとして家において、いつでも読み返すようにしておきたい!!

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