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とりあえず死なない

こんにちは。不可逆です。

これから、シリーズでなんとなく繋がりのある文章を書いてみようと思って、「死なないマガジン」というタイトルをつけてみました。

といってもあんまり縛りをきつくすると継続が難しくなるので、「少しでも死なずに生きのびるための話をする」というテーマをゆるく決めるだけにしておいて、その日思いついたことを書いていこうと思います。

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そもそもなんで「死なないマガジン」なのか。正直に言うと、ぱっと思いつきで決めただけなんですが、なんとなく込めたかった意図みたいなのはあります。うまく伝わるかわかりませんが、それについて書いてみます。

「生きる」という積極的な決意って、ハードルが高いじゃないですか。生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。とハムレットさんも言っていたと思いますが、私は現に今すでに生きているわけで、自ら望んだわけでもなく与えられた命を、積極的に引き受けるか、それができないのなら今すぐ死ぬか、という二択をいきなり突きつけられたらあまりにも理不尽です。

だから、生きる、という積極的な決意よりも一歩手前の、(とりあえず)死なない、という段階を大事にしたほうがいいと思うのです。

どんな人でも、長い人生の中で、精神がどん底に落ちるときがあります。そんなとき、この二択を自分に突きつけてしまうことがあります。生きる意味を見失った結果、「生きるべき」と断言することができず、「死ぬべき」という結論に手を伸ばしてしまう可能性がないとはいえません。

だから、消極的な選択、とりあえず「死なない」ことを大事にしておこう。それをみんなで合言葉にしよう。そんな意味がこのタイトルには込められているのかもしれません。おお、私、なかなかそれっぽいこと言っているのではないでしょうか。

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また別の観点から書いてみます。

私は普段、基本的に希死念慮とかありません。タナトフォビアでもありません。普通に、いつか死ぬんだなって思っているだけです。でも、死ぬことについて考えている時間は割と多い方ではないかと思います。

なぜかというと、私も、あなたも、いつかは死んでしまうんだな、ということに思いを巡らすとき、愛がそこから生まれてくると思っているからです。

メメント・モリという言葉があります。死を想え、死を忘れるな、という意味です。

いつか死ぬことを想うとき、自分の足場が崩れ去って、どこまでも落ちてゆくような虚無感に襲われます。死ぬことが初めから決まっているのなら、なんで私は生まれてきたの? と、終わりのない自問自答に閉じ込められそうになります。

けれど、自分がいつか死ぬということを自覚したとき初めて、他の人もみな同じ運命を背負って生まれてきているのだと気づきます。だれもが同じ、悲しい旅路を歩いている。そのことだけが唯一、私の胸にあたたかい力をくれる真実です。

「死なないマガジン」という名前は、死を忘れないための名前です。

死の可能性が常にあることを忘れない。「死なない」とわざわざ否定形で表明することによって、死を隠蔽するのではなく、見て見ぬふりするのでもなく、常に死と隣り合わせであることを再確認するのです。

否定形であっても、「死なない」と書くときその文字列には「死」が含まれています。(死という字って、例えば「必死」とかの熟語に含まれているだけでも、目に入ると少しギョッとしますよね。)そうやってメメント・モリを実践するということ。死を想うたび、他者を慈しむ心と、優しさを知ることができます。

そうやって生きていくべきだと思っているんです。たぶんこれは偏った考え方だという自覚はあるんですが、でも私は、みんなメメント・モリをした方がいいと結構本気で思っています。そのための実践としての「死なないマガジン」です。

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初回ということで、タイトルに込めた意味について書いてみました。今日のところはこんな感じで、どうでしょうか。今後はもう少し役に立つことを書いていきたいですね。

仕事の話とかも書きたいです。どうやってうまくラクをすればいいか、とか。私の友達も労働に苦しめられていたり、鬱と付き合いながら働いている人が多くて(もちろん私の観測範囲にも偏りがあるのだろうけれど)、冗談抜きで「どうやって生き延びるか」の話をしなければならない状況です。

社会全体が豊かになっていかない中で、どうやって自分だけが儲けるかって考えても虚しいじゃないですか。この気持ち、わかりますか? これがわかる人に向けて私は書いています。

悲観的にはならずに、でも積極的にもならずに、私たちは消極的に、死なない、って言っていくんです。

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