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アンバランスでも死なない
こんにちは。今日もびっくりするくらい暑かったですね。こんな日でも私は外で過ごすのが好きなので、喫茶店の風のよく通るテラス席で、やかましいくらいに鳴り止まない風鈴の音を聴きながらこの文章を書いていました。
noteをはじめて1週間が過ぎました。思っていたよりずっと多くのコメントやいいねをしていただいて、驚きましたし、とても嬉しく、継続の励みになっています。
しかし毎日文章を書くというのは思ったよりも苦しく、いつかは必然的にネタ切れという問題も発生するわけで……そうなったときに停滞しないよう、軽い気持ちで続けていける場所にしていきたいと思っています。
さて、今回はコンプレックス商材の話をしたいと思います。
コンプレックス商材とは、身体的特徴(例えばニキビ、ムダ毛、一重まぶたなど)をネガティブに捉え、それを治さなければならないという不安を煽って需要を作り出し、購入してもらおうとする商品のことです。なぜコンプレックス商材はなくならないのか、なぜ人はそれを求めてしまうのか、という問題について考えていきたいと思います。
コンプレックス商材がなぜ悪か
まず、整形や美容などにお金をかけることは悪いことなのか、という疑問があると思います。
なりたい理想像があって、それに近づけるために整形や美容にお金をかけることは悪いことだとは思いません。
問題は、コンプレックス商材が宣伝広告を通じて、消費者に新たなコンプレックスを植え付けていることです。
だから、一番言いたいことは、その「理想」が誰かに植え付けられたものでないか、一度立ち止まってみてほしい、ということなのです。
歯並びが悪いことに気づいた話
幼いころ、小学校の教室でおしゃべりをしていたとき、どういう流れか覚えていませんが、歯並びの話になりました。
私は深く考えることもなく、「私は普通に歯並びいいよ!」と元気よく答えました。
家に帰ってから鏡の前で口を開けてみて、びっくりしました。思っていたよりもぜんぜん歯並びが悪かったのです。すごく悪い、というほどではありませんが、左右対称ではなく歪んでいて、ところどころに調子っぱずれな方向を向いている歯がありました。
そのときのショックをすごく覚えています。自分の口の中をみるのがはじめてだったわけではありません。ただ、私はそれまで、自分の歯並びが良いか、悪いか、という観点で自分の口の中を見たことがなかったのです。
歯並びの良し悪しという観点が持ち込まれると、急に自分の歯並びがすごく不気味な、気持ち悪いものに見えてくるのです。そして、他の人からもそう見えているのではないか、私の歯並びは他人を不快な気持ちにさせているのではないか、と不安な気持ちでいっぱいになってきます。
「失楽園」との構造の類似性
さて、唐突ですが、旧約聖書の『創世記』の中にある「失楽園」のエピソードをご存知でしょうか。アダムとイブが「善悪の果実」を食べ、その報いとして楽園であるエデンから追放されるというお話です。
私の歯並びのエピソードと「失楽園」のエピソードはまったく同じ構造であると言えます。
「失楽園」でアダムとイブは、はじめ善や悪の存在すら知らなかったのに、果実を食べたことによってその存在を知ってしまい、自分が完全な善ではないことに悩む不完全な存在になってしまったのです。
同じように、はじめ私は自分の歯並びが良いとか悪いとかを考えたことすらなかったのに、その基準を知ってしまってからは、自分の歯並びが理想とはかけ離れていることを知ってしまって、不安を感じずにはいられなくなったのでした。
この失楽園メソッドがコンプレックス商材の根幹にあります。ごく一部の人しか(あるいはほとんど誰も)到達できないような「理想」を提示することで、誰もがそれに対して劣等感を覚え、その理想に近づくための商品を必要に感じるようになるのです。
「みなさん、理想はこういう体ですよ。みなさんの体はそれとはかけ離れていますよね? 大丈夫ですか?」
「最低でもこういう家に住んで、こういう車を買って、休日はこういう場所に出かけなきゃ、理想の生活とは言えませんよね。旦那さんの給料は最低でもこれくらいですよね。みなさんは大丈夫ですか?」
といった具合に。そしてこれは、何もないところに需要を生み出すマーケティング方法です。誰も今まで気にしていなかったようなことを指摘して、「気にしないとまずいですよ!」と劣等コンプレックスを刺激すれば、新しい需要が発生するのです。美容だけでなく、健康、ライフスタイル、あらゆるところにこの失楽園メソッドは潜んでいます。
失楽園メソッドの問題点
もちろん世の中に流通する多くの商品が、今までなにもなかったところに需要を見出すことによって生まれていて、それ自体は悪いことではありません。それでは、失楽園メソッドの何が問題なのでしょうか。
それは、このメソッドが提示する「理想」が本質的に空っぽであることです。このマーケティング方法の手順は、以下のとおりです。
誰も気にしていなかったようなことに関する新しい「価値基準」を提示する
消費者がその基準において、理想とはかけ離れていることを示す
そのギャップを埋めるための商品を提示する(この商品を買えば、理想が手に入ります!)
さて、ここで消費者が購入しているのはなんなのでしょうか。答えは、ほんの一瞬だけ「理想」通りになれたという快感です。
しかしそれは長続きしません。また別の広告が、「あなたにはこれが足りませんよ」「これを買わないと理想に近づけませんよ」と誘惑し続けるからです。そしてまた、新しい価値基準を植え付けられ、新しいコンプレックスを埋めるために商品を購入する、その繰り返しです。
察しがつくと思いますが、この行動には依存性があります。快感を得るような行動はどのような行為であれ、同じことを繰り返すごとに得られる快感が減っていくので、同じ快感を得るためにはより強い刺激が必要になっていきます。失楽園メソッドに依存してしまうと、次第に消費行動がヒートアップしていくのです。整形依存などの人が多い理由もここにあります。
とにかく、広告はあなたに商品を売るためだったら何でもするんです。それだけは覚えておいてください。
アンバランスな正しさ
たとえ整形クリニックがこのような失楽園式マーケティングをやめたとしても、個人が発信するSNSの情報などを通じて、整形という文化は続いていくでしょう。それは全然悪いことではないと思います。
どの商材もそうで、そういう選択肢があること自体は悪いことではありません。でも、その広告に不必要に刺激されてコンプレックスを感じないように、耐性をつけることも必要です。
理想に近づこうとすることが悪いのではなく、その理想が、誰かがあなたに商品を売るために植え付けたものではないか、立ち止まって考えてみましょう、という話です。
一番問題なのは、安易にたった一つの「理想」のようなものがあると錯覚させることです。ライフスタイルもムダ毛処理も、十人十色の選択があっていいはずなのです。そういう広告の「理想」に騙されないことが肝心です。
安易に提示される「理想」像に気持ちを揺るがされないためにも、まず、どんな人間も完全ではなくて、だけどそのアンバランスな部分こそが個性であり人間らしさなのだ、という認識をしっかり持っておかなければならないと思います。
アンバランスであることを受け入れるというのは、自分が完全ではないこと、100%正しいわけではないことを認めるという、消極的な正しさです。ちょうど「死なない」という決意が「生きる」とまでは言い切らない、保留に近い弱い決意なのと同じように、それは弱い正しさであると言えるのではないでしょうか。
強い正しさを持てる人なんて映画の中のヒーローだけです。小市民な私たちは、せめて弱い正しさを語ってゆくしかありません。