私の『始まる世界』です。
私の世界。私の幸せ。私は幸せなのだろうか?それは何故?
<これでも母さんの募集説明記事より抜粋>
これからの時代を生きる人たちへ
やさしい世界が1ミリずつでも広がりますように
私の世界は「優しい」
それは、私が弱いから。
今まで、一人で生きてきたなんて、とても言えない。それを言わせようとする人がいるんだけど、何をたくらんでいるんだろう。とんでもない。
人は一人では生きられない。どんな人も。
一人暮らししていたって、買い物に行ったり、誰かが来たりする。人と接触しないで暮らすことは無理。
私はどれだけの人に助けられてきたのだろう。目を背けないで、冷静に考えると、生きた分だけ、人に助けられている。
一人だと思った時もあった。でも、それは自分の考え方で、三日ももたなかった。友達から電話がきたり、飲みに行ったり、遊びに行ったり。
そして結局それは、自分の望みがかなえられない、気持ちが満たされない時に「私は一人だ」と考えるのだと思った。そしてそう考える原因に必ず「人」が居る。なので、その人を排除したら、なんでもなく、かなり幸せな自分に気が付く。その人以外には、親切な人が五万と居る。その人に何かの暗示に掛けられているのかと思った。
暗示にかける人の言葉は、良くない感情からきているものが多い。相手を幸せにしようとして言葉を発する人の言語は、後々、気が付いたり、即座に幸福感を味わったりする。私は一人だとは思わない。単純に腹が立ったりするものだ。
極力、不幸にされそうな人を排除していった。自分から去って行った人もいる。暗示の様な振り回すような言葉も、分析したら、発している人に原因がある。その人自身、何かあるのだ。時間がもったいない。ただの人さまの砥石に使われているだけのような存在にはなりたくない。
そうすると、人の為に言動している人だけを選んでいくようになる。
自分の周りには、そんな人だけ集まってくる。
それは、私も、その人たちも、とても、幸せなことなのだ。
そうそう。私はそうやって、幸せになっていった。
一人じゃない。一人の時間は好きだけど。話そうと思えば、いつでも話せる人が居る。
元気かな?と気遣える相手が居る。
そんなに深くないけど、ずっと仲の良い人が居る。
挨拶だけでも、ほんわかした気持ちになれる人が居る。
それは、幸せなことなんだ。
個は全に通じ、全は個に通じるという。
潜在的無意識とか、深い部分で、人は人とつながっていて、深層意識は同じである、とか。心理学や仏教や、そんなお話も好きだ。
結構、そうなんじゃないかと、思っている。
今、私がこうして一人で考えていること。もしか明日、誰かに話したら
「ああ、そうそう。私も昨日、そう思ってた」
って返ってくることがある。不思議だ。潜在的無意識なのだろうか。以心伝心?そうやって、人と人は繋がっているのだろう。
同じ事を考えている人同士で通じ合ってしまうとしたら、やはり、常日頃の考え方や、頭の中身を、綺麗にしておかなくてはいけない。
時々、浄化されるように、頭が痛くなる。
あれは、考え方をお掃除されているのだろうか。
痛みがおさまると、たいてい、スッキリしている。スッキリした頭で考えることは、スッキリした考えな事が多い。
スッキリした考えでいると、次の新しいアイデアが入ってくる。
誰かのお陰で、私は幸せ。今日も明日も、その次の日も。私も誰かの為に、何かをさせていただく。そうやって暮らしていく。
私が幸せなのは、人さまのお陰様だ。感謝を教えてくれた、人さまのお陰様。
第3回THE NEW COOL NOTER賞~「始まる世界」に参加させていただきます。
講評をいただきました。
有難うございます💖
#第3回THE_NEW_COOL_NOTER賞_10月参加
#もうひとりじゃない
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