【感想】『若草物語』友情神話とどう向き合うか
「私は恋も結婚もしない」
※第一話のあらすじの文章から抜粋した言葉。
これ、心の底から結婚・恋愛が嫌というわけじゃなくて、他人の理想に縛られて生きるのが嫌だという意味だったらめっちゃ分かるなあ…と。1話を観ながら思っていた。
恋愛(交際)・結婚という選択をすることで勝手に恋愛・結婚の型みたいなものに押し込められているように感じていて、まだお互いに知人の段階では一人の人間として自分の価値観がちゃんと尊重されるのに、付き合った瞬間に「〇〇の彼女・彼氏」としてふさわしい行動をやんわりと強いられるようになるのが、かなり違和感。「恋人の友達の前では恋人を立てる」とか「特別な日のデート代は特定の人がお金を出すもの」とか「子供が好きでないとだめ」とか、いつの間にかそういう行動規範を守らなきゃいけないことになってる。そして規範を破ったときに謎に外野が批判してきたりして、恋愛って面倒だなと思ってしまう。
現段階で、多くの人が思う恋愛のデフォルトがそれなのよ。「恋愛したい」って言ったらそういうふうに受け取られる。だから、そういう行動規範は認めないという意味で「恋も結婚もしない(興味ない)」という立場を取ってしまう。
あと、誤解されがちなのが、恋愛・結婚しない宣言は、殻にこもって誰とも親密にならずに生涯孤独で過ごします。という意味ではないんだよね。本当に分かり合える人たちと親密な絆を築いていきたいということで、涼が理想とする友情神話の核はここにあると思う。
どんなに強がっても一人では生きていけないから、お互いに支えあって生きていくことが大事だと思っているし、自分を支えてくれる存在も絶対に必要。でも、それは結婚することでしか叶えられないわけじゃなくて、友達だって、家族や恋人と同じように絆を育むことができるはずなんだよね。
もし将来、誰かと一緒になったとしても、恋人・夫婦という関係に甘えずに、お互いがお互いの価値を尊重して、家庭的だから、稼ぎがあるからじゃなくて、あなただから好きだよって言い合える関係性でいられるのであれば、本当は関係性の形がなんであろうとかまわないのだけど、現時点ではそれがなかなか難しい。
友情神話を体現させたいと思っていても、身近にそれを体現している人もいなければ、それをテーマにした表現創作物も少ないように思う。(あったとしてもBL作品として扱われている。)モデルが少ないから不安が募って、だいたいは衿のような人生を辿ることになるのかなと。
涼はたまたま頑固な性格だったから、あの年齢まで信念を曲げないでいることができたけど、だいたいはそうはいかないよね。学生の立場と社会人の立場は違うし、大人になるということは、醜く、がめつくなるということで、そうしなければ生きていけない(食べていけない)現実がある。そのなかで、衿が涼の説く正しさと、自分の中の正しさのなかに違いが生じるのは如実な問題だよなと思った。衿は芸能界の厳しい現実に打ちのめされたけど、どこの業界にいても私たちは若さを失うし、仲の良かった友達も仕事や結婚で離れていくから、理想や信念が変わって当たり前なんだよね。
理想を体現できないけど、理想を持つ人に寄り添って安全圏から応援する衿は、今の自分に一番近い存在だと思いながら、後半はドラマを観ていた。
涼と律はドラマの中で恋愛・結婚に向かわない人間関係のモデルを示してくれた。涼と律の関係性は、ほとんど律の我慢で成立しているものだから、間もなく壊れてしまうんだろうなという印象を持ってしまった。身近な人は涼を受け入れてくれているし、相手が律ならハッピーエンドでいいじゃんと私は思ったけど、象徴としての美学の体現者になるために、涼は断らなくちゃいけなかったのかなあ。
結末は正直納得いくものではなかったけれど、共感されないモヤモヤを掬い上げてくれるような場面が何度かあって、楽しませてもらった。
この先同様のテーマのドラマが出てきてくれたらうれしいと個人的に思う。