人は人、受け止め方次第で良い人も悪い人に?
悪人は、この世にいない
これが私の極論
罪を憎んで人を憎まず!
時代劇を観て幼少期を過ごしていた影響もあるかと
看護学校で学び、複数年経験してから産婦人科医院に勤めた経験がさらにその思いを強めました
赤ちゃん、生まれたての赤ちゃんを観たる日々
みんな真っさらのこころ
悪人なんて居ない
その後の環境の影響や経験と持って生まれた性分との兼ね合いで受け止め方や考え方が変化し行動が起こり、そしてまた思考が変化した結果、といった繰り返し
ここで言いたいことは、そこを深めるのではなく、そうして今に至った人と人との出会いで交わす言葉や見える行動からの互いの印象こと
一瞬不快と感じる言葉を投げかけられても言い方や表情、その会話以前の関わりから判断して処理することで自分を穏やかに維持しています
基本的に自分と反り合うか合わないか?で交流する距離を考えています
どの職場でも、個々に観ていくと良い人ばかり
不思議と集団となると変化し、仕事に支障をきたす行動を始める人が見え隠れ
どうしてそんな行動になってしまうのか?本当に不思議でならない
なぜそうなるのか?
自分の行動や言動は、自分に向かって行うことは不可能
そこなのかなぁと
果たして自分が言われたら?自分がされたら?
傷つかないのだろうか?怒り湧かないのだろうか?気づかない人が多いような
とても真面目で繊細なこころの持ち主に私からは見えても、他の人から見えるのは上から目線で威圧してくるイヤな存在ということは多々
表面の印象で判断する人は、相手の本質が見えてないことから時には恐れたり、時には騙されたりといったことに陥るのかと
親切にしてくれる=優しい人、ではない
冷たくキツイ対応=怖い危険な人、ではない
動作が遅い、反応が鈍い=やる気ない人、ではない
過剰反応しないで、ひと呼吸おいて観てみませんか?
残念な行動や言動に感じる人たちも集団の中で自分の身を守りながら居るのでは?
私は、反り合わない人とも共存しようと自分の身を守りながら居ることをしています
互いに少しでも居心地よく円滑に事が回るようにと
表現の仕方は人それぞれ
少なくとも働く為に職場に存在しているはず
私は仕事をする為に職場へと向かいます
人が居るところは、生命の現場
どの生命も大切なもの
傷つけてイイ生命なんてない
お互いに思いやり合える環境に身を置きたいものです
(*´꒳`*)