皇后はアヘンに溺れた 日本の人工国家「満州国」を支えた闇の資金源
2023年7月11日 10時00分 丘文奈 編集委員・永井靖二
皇后はアヘンに溺れた 日本の人工国家「満州国」を支えた闇の資金源:朝日新聞デジタル (asahi.com)
旧満州国の首都「新京」だった中国吉林省・長春。住宅街を抜けると、分厚い壁に囲まれた建物群が突然現れる。
満州国の皇帝だった溥儀(ふぎ)と、皇后・婉容(えんよう)が暮らした場所だ。
日本の傀儡(かいらい)国家で、日本の敗戦によって13年半で崩壊した満州国は、中国で「偽満州国」と呼ばれる。
この場所は現在、「偽満皇宮博物院」として一般公開され、平日も観光客でにぎわっていた。
映画「ラストエンペラー」のロケにも使われた広大な敷地の一角に、溥儀らが住居として使った「緝熙楼(しゅうきろう)」があった。
1階の数部屋は、溥儀や婉容の写真の展示スペースだ。夫婦が手を取り合う数枚のツーショット。チャイナドレス姿の婉容の耳元にはピアスが光る。顔はふっくらとし、カメラをまっすぐ見つめほほ笑んでいる。
美貌(びぼう)で知られた皇后は、不自由な境遇や夫との関係に悩み、次第に「あるもの」にのみ込まれていく。
2階の婉容の寝室の斜め向かいに、20畳ほどの部屋があった。
じゅうたんも壁紙もピンク色。天井から金色のシャンデリアがつり下がり、中世ヨーロッパの貴族の部屋のようだ。
部屋の奥にソファがあり、すぐ前の机の上に細い管のようなパイプとランプが置かれていた。
「婉容の喫煙室」
部屋の前の解説文にはそう記されてある。この部屋は、婉容が麻薬・アヘンを吸引するために使っていた部屋だ。
ソファに横たわり、ペースト状のアヘンをランプであぶり、立ち上る煙をアヘンパイプで吸う。
【インタビュー】満州に蔓延したアヘン、貧困層が犠牲に 現代の米国にもつながる病根
「自由を奪われ、寂しさと苦しみを紛らわすために、婉容は一日中アヘンを吸った」。解説文にそう記されていた。
婉容は最後には重度のアヘン中毒になり、顔はやせこけ、自力で立てないほど衰弱していたという。誰にも見届けられることなく、39歳でこの世を去った。
だが当時、アヘンにむしばまれたのは、婉容だけではなかった。
上海で「アヘン王」と呼ばれた日本人 極秘文書に残る流通のからくり
2023年7月12日 10時00分 丘文奈 編集委員・永井靖二
上海で「アヘン王」と呼ばれた日本人 極秘文書に残る流通のからくり:朝日新聞デジタル (asahi.com)
夜景で有名な中国・上海の観光スポット「外灘(バンド)」から車で10分ほどで、戦前に日本人が多く住んでいた地区にたどり着く。
ガラス張りのビルと、租界(外国人居留地)があった時代の洋風建築が混在する一帯に、9階建てのマンションがひっそり立っている。
1931年の建築で、丸みのある外観とれんが造りの外壁が特徴だ。
上海は戦前、日本の傀儡(かいらい)国家だった満州国をはじめ、中国大陸各地で蔓延(まんえん)した麻薬・アヘンの流通の中心地となった。
表向きは「中毒者の救済」を掲げ、日本はアヘンで膨大な利益をあげ続けた。そして、利益の一部は関東軍に流れていたことが、近年の研究で分かっている。
かつて「ピアスアパート」という名前だったこのマンションは、アヘン流通の「心臓部」ともいえる場所だった。
ここに「上海のアヘン王」と呼ばれた日本人、里見甫(はじめ)の執務室兼住居があったとされるからだ。
マンションのアーチ型の門をくぐり抜けると、中庭が広がる。2階に上がると、開いた扉から、高齢の女性が台所で料理しているのが見えた。
女性は夫と1949年から70年以上ここに住んでいるといい、部屋の中を案内してくれた。
キッチンのほか6畳ほどの部屋が3部屋。床材やドア枠には高級そうな木材が使われていた。
「昔は社会的に地位がある人しか住めない高級アパートだった。政府のお偉いさんもここに住んでいたな」。奥の部屋にいた女性の夫が少し自慢げに説明した。
「かつて、ここに日本人が住んでいたことを知っているか」
記者が尋ねると、夫は頭を振った。
「外国人? そんな話は聞い…