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木漏れ日をさわる

目の前にいい感じの木漏れ日があると、さわってみたいと思う。さわる代わりに、いろんな角度から木漏れ日を味わいたい。集めたものを眺めながら、思うことをメモする。


木漏れ日は水

木陰に立つと海の底。言われてみれば、水を感じる。不規則に揺れる光の玉は、見るだけでも涼しげで瑞々しい。日差しが強くなるほど暑さが増すほど、緑の深い木陰は実質オアシスになる。

日本語では信号の色を青と言ったり、葉が青々としていると言う。歴史的なことは知らないけど、感覚的にしっくりくる。「青々としている葉=隅々まで水がいきわたって張りのある葉、生き生ときした葉」だな、と。
葉が鮮やかな緑色であるためには、水が要る。どんな生き物も水が必要だけど、植物は特別に水との結びつきを強く感じてしまう。
だから水の印象が強い青色と、植物の印象が強い緑色が切り離せない。見るからに水の気配があふれた植物と生活していると、この二色を混同して使うのは自然だと思えてくる。

日向だと植物の水分に触れないけど、木陰に入ると葉が濃く香る。空気が潤う。温度が下がる。植物が発する水分に、うっすらと包まれる。光の玉が零れて、ゆらゆら動く。確かに、息ができる水中といえるかもしれない。

うるうるとした光の玉。目からマイナスイオンが摂取できる。青みを帯びたアスファルトの坂には、身体をひっぱる重力だけじゃなく、ちょっと浮力も働いていそう。こちらは海の底というよりは、澄んだ川底だろうか。水中散歩にでかけたくなる。

木漏れ日はスポットライト

木漏れ日と水面について。それから木漏れ日を歩く人が祝福されているように見える、という話。
素敵な発想で、心が洗われる。そっか、天然のスポットライトなんだ、と思った。ぎらぎらと眩しすぎず、ほろほろと降る優しい光。人工的な演出ではなく偶然できるものだから、一層その光景は奇跡的というか、幸運なことが起きる予感を覚えるのかもしれない。

木陰にいる時の涼しい暗がりの安心感。風に吹かれながら、木陰から明るい場所を眺める解放感。そういった本能的な居心地のよさを求めて木陰に集まり、くつろぐ人の行動は外側から見るのも気持ちいい。自然と目を引き、一人また一人とその輪の中に加わる。

神社と公園にイベントの休憩・飲食スペースをつくった話。
神社の木々を屋根にして、木漏れ日に浸りながらごはん食べるとか最高だと思う。神社の木の木肌は、貫禄がありかっこいい。伸び続ける屋根の包容力を感じたい。
椅子と机と遊具の、この未分化な感じ。生活と仕事と遊びが、きっちりと区切られてない感じ。ものすごく考えられているはずなのに、つくりこまれ過ぎない、イベントの大らかな雰囲気が素敵だ。

木漏れ日は夢

踊る、遊ぶ、子供。木漏れ日に、そんな言葉が結び付けられるのもよく見かける。
淡く柔らかい形。無邪気で楽しそうに見える、ランダムな動き。それとも日差しから木に守られていると、幼い時のような安らいだ気分になるからか。木漏れ日は、子供時代の純粋な幸福感がそのまま視覚化されたものみたいに思える。
その幸せな記憶は、思い出と呼べるほど、まとまりのあるものではなく、ひどく断片的だ。鮮烈な感触があるにもかかわらず曖昧で、何のシーンなのかよく分らない。
それが、まだら模様に浮かび上がる木漏れ日と重なる。焦点が合わず、輪郭のぼやけた光の欠片。断片的な記憶と同じで、確かにそこに揺れているのに掴めない。

人によって異なる世界の見方。見方次第で価値が見出される風景や感情があり、それは言葉や写真で共有できる、という話。
建物のトンネルが写った写真では、木漏れ日が暗がりへ流れ込み、トンネルに一瞬だけ別の次元が生まれたように感じた。建物の遠近感から、光が独立して浮遊しているかのように見える。画面の左右で、かなり印象が変わる。
トンネルの木漏れ日を見た感覚は、懐かしいと似てるけど違う。懐かしさより、儚くて臨場感がある気がする。
いい夢から覚めた直後とか、何か素敵な空想が降りてきそうな時に覚える温かい感触。これは何だろうと思う前に、というより、意識をそこに集めようとするほど掻き消える。時間にして数秒で、次の瞬間には、全然別のことを考えていて忘れている。

枝葉の形を残しつつ、植物の存在を間接的に感じる木漏れ日。または、その光をつくる本体である植物から大きく離れて、独自の世界をつくりだす木漏れ日。それらは妙に意識の根源的なところに触れてきて、手が届かない、何か大事そうなものを連想させる。

木漏れ日の音

木漏れ日がタイトルに入ったBGM。音楽の中で木漏れ日に浸ってみる。

ノスタルジックで切ない。戻れないあの日を回想する中で、実際よりも美しく輝く木漏れ日を見ている感じ。
感情が波みたいに押し寄せてくるメロディー。その情緒が何となく、レンズを通した時に写りこむ虹色の反射に似ている。記憶の中の風景が一層鮮やかで眩しくなる。

爽やかな4月か5月を連想する。並木通りの木漏れ日の中を自転車で通るような、それかスキップしてるような軽やかなスピード。
サビっぽいところ。アコースティックギターの連続するリズムで、くるくると舞う木の葉のイメージが浮かぶ。明るく素朴な音が、張りはあるけど硬すぎない若葉の質感みたい。

浮遊感があり神秘的。森の中で、葉を透過した緑色の光に浸って身も心も浄化される感じ。
はっきりとしたメロディー展開ではない、漂う曲調が、木の葉の不規則な揺らめきに似合う。ふわっとした音の玉が近づいたり離れたりするところが、ミスト状の森の空気と木漏れ日が溶けあって肌に染みこんでくる印象。

穏やかな営みを感じる、休日の昼下がりの印象。一人で過ごすより、近しい誰かと一緒にささやかな日常を味わいたい気分になる。
木漏れ日の存在をストレートに感じるわけではないけど、このゆるやかで温かな時間を、木漏れ日が街中でさりげなく支えているのだろうなと思った。

ほんのり和が香る不思議さ。飛び石のように、木漏れ日を踏んで辿っていくと、いつの間にか過去にタイムトラベルしていそう。
木漏れ日の無邪気な揺れを連想する曲調。木琴みたいなまるい音によって緑が深い土の小道と、しゃんしゃんと上品に鳴る鈴で薄いベールのような布のイメージが浮かぶ。

終わりに

最初は、夏の自由研究をやろうとした。いろんな媒体で、もっとたくさんの作品を集めて、皆が木漏れ日をどう捉えているのか分析をできたらと思ったけど、集める段階ですぐに力尽きた。作品にこめられた作り手の意図を考えるのも難しい。ふつうに楽しんでしまい、気づいたらいつもの個人的な感想になった。

木漏れ日の風景を採集したマガジンを公開しました。もしよければご覧ください。

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