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『対岸の家事(朱野 帰子 著)』から名前のない労働について想いを馳せる

今回は会社の同僚からお薦めされた書籍『対岸の家事』について少しばかり感想などを。

あらすじ

家族のために「家事をすること」を仕事に選んだ、専業主婦の詩穂。娘とたった二人だけの、途方もなく繰り返される毎日。幸せなはずなのに、自分の選択が正しかったのか迷う彼女のまわりには、性別や立場が違っても、同じく現実に苦しむ人たちがいた。二児を抱え、自分に熱があっても休めない多忙なワーキングマザー。医者の夫との間に子どもができず、姑や患者にプレッシャーをかけられる主婦。外資系企業で働く妻の代わりに、二年間の育休をとり、1歳の娘を育てるエリート公務員。誰にも頼れず、いつしか限界を迎える彼らに、詩穂は優しく寄り添い、自分にできることを考え始める――。

Amazon商品紹介ページより引用

感想

本作、あらすじにて触れていたように主人公とその周りの様々な家庭が抱える家の事についての問題が書かれた作品になるのですが、作中の登場人物たちの、年齢や性別といった属性・親や子、ワーキングマザーや育休パパ、独居老人といった社会的ラベルづけ・その全てに過去からこの先の未来を含むいつかの自分の姿が見える内容で、緩やかな「共有」を感じる作品でした。
「共感」ではなく「共有」としたのは、どの人にも個々の事情が存在し、それは軽々に他者が理解などできるものではなく、どこまでいっても最後はその人ものだという点において、「共感」よりも少し距離のあいた「共有」と表現するに至りました。
※周りの人を助ける主人公自身にも父親との過去のわだかまりがあり、作中同じように親と確執のあった男性が一瞬「俺と同じで毒親育ちの苦労がわかる人なのか?」と期待するのですが、「なんだ僕とは違うじゃないか…」と失望するシーンなどあり、やはり個人の問題はどこまでいってもその人個人の抱える問題であり真の共感などはなし得ないのだと気付かされます。
主人公も知ってか知らずかそれを理解した動きをし、求められれば救いの手を差し伸べますが、問題の解決そのものは当人に委ねる姿勢を貫きます。

話を戻して本作の主軸についてですが、テーマは子育て(介護)や家事という「対価なき労働(金銭的報酬ではなくもっと根源的な存在を認められることがない労働)」とどう向き合うかといったものなのですが、酸素や健康と同じで生まれた頃からあって当たり前なものに対して人は敬意を意識することが難しいんだなと感じました。
特に営みの延長にある衣食住に関しては今成立してるが故に「誰でもできる簡単な事」といった思いになるのでしょうね。
私はまだ自分で色々と家事をしたがる方なので、本書を「うんうん、あるある」的な思いで読みましたが、家の事を親や恋人、配偶者に任せっきりな人にこそ是非とも一読してもらいたいと思いました。

余談ですが、一人暮らしを始めたての頃、実家にあったからという理由で買ったは良いものの一向に減らない”みりん”を見て「ああ、料理って勝手になんとかなるものじゃなくてしっかりスキルのいる仕事なんだな」と実感した日を思い出す一冊でした。

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