大人になった今だからこそ夢を叶えたい!ずっと夢を持ち続けるということ
「いつかアルトサックスを吹きたい!」
それが小学校からの私の夢。
結婚してから、自営業、主婦業、子育てに毎日頑張っている私。
「そんな自分へのご褒美に!」と、やっと買ったアルトサックス。
そして、それは今では私の大切な相棒となりました。
♦ジャズバンド部に入った小学生時代
私の地域ではジャズが有名です。
この頃は、ジャズの音色があちらこちらに流れていて、コンサートや路上ライブも盛んに開催されていた時代。
私の小学校のジャズバンド部の先生も、地域のジャズバンドのメンバーとして活躍されていました。
「憧れのサックスを吹いてみたい!」
私も小学5年生の時に入部しました。
でも、先に入っていた同級生に、サックスはとても人気があり、メンバーはすでに決まっていました。
残念ながら、私がサックスを希望することはできませんでした。
私は空いている楽器の中で、「クラリネット」を選びました。
私は、一生懸命練習しましたが、あまり上手に吹くことが出来なかったのです。
不思議なのですが、練習すれば練習するほど、私の音は綺麗に出なくなってしまうのです。
今思うと、これが「スランプ」というものだったのでしょうか?
「〇〇さんに、ひとつだけ確認したいことがあるんだ。」
ある日の放課後、私は先生に呼ばれました。
「なんだろう。私怒られるようなことしたかな?」
と内心ビクビクしながら職員室に行きました。
先生の表情は、怒っているどころかとても優しく穏やかな表情でした。
「絶対にクラリネットじゃないとダメな理由とかある?他の楽器にうつる気はない?」
と先生は優しく言って下さいました。
私はこのとき、「サックスがやりたい!」と素直に言えばよかったのです。
でも、クラリネットが未だに綺麗に吹けないことが、とてもくやしかった私。
先生に頑張りを認めてもらっていない気がして、私の口からとっさに出た答えは
「絶対に嫌です。クラリネット以外考えられない。必ずできるようにしてみせます。」
だったのです。
そう、完全な私の頑固な意地だけで出たつまらない言葉。
「そうか。頑張れよ。」
と先生は優しく言って下さいました。
それからもやはり思うように音がでなくて、結局「ユーフォニアム」に変わることになったのです。
それからは、金管楽器の楽しさにひかれていきました。
それから月日が経ち、小学校の6年間が終わろうとしていました。
卒業を迎えた日。
先生が優しく教えて下さいました。
「実はあのとき、アルトサックスをやらせてあげようと思っていたんだ。あなたは、きっとサックスの方が向くと思っていたから。」
先生は、さらに優しく話し続けます。
「でも、あのときすごい勢いで断られたから、その思いを尊重してあげたかったんだ。だからそれ以上何も言えなかったけど・・・ね。」
私は少し拍子抜けしてしまいました。
「でも音楽って、とってもいいなって思えたから、私は後悔していません。」
私はとびっきりの笑顔で先生に答えていました。
「今度こそは絶対にサックス吹きたい!」
私の心の中に、いっそうサックスに対する強い感情が芽生えてきました。
♦それでもなかなか、チャンスが巡ってこない高校時代
中学生のときは、「演劇部」
私の人生、どんどん音楽から離れてしまうことに。
絵を描くのも好きだった私、高校では「美術部」に入りました。
「楽器をやったことがあるなら、吹奏楽部に入らない?」
あるとき、吹奏楽部に所属している友人から、誘われました。
私は、「美術部」と「吹奏楽部」を兼部することになりました。
初めに、美術部に顔を出してから吹奏楽部へという毎日。
この日から、多忙なスケジュールをこなしていくことになります。
「そう、もしかしたら、今度こそサックスが吹けるかも!」と期待を胸に・・・。
ところが、入部した途端に先生と皆から相談されてしまうのです。
実は、チューバを吹ける人がいなくて、できればやって欲しいとのこと。
チューバはとても大きな楽器。
それだけ、肺活量も必要なのです。
私は部のメンバーでも小柄な方なので断ろうとしました。
すると、
「そういわず、一度だけでいいから吹いてみてくれないかな。それで無理そうだったら違う楽器にするから。」
と先生と皆があまりにも頼んでくるので、断りきれない状況になってしまいました。
この時点で、もうサックスに空きがないことは分かっていました。
「でも、やっぱり違う楽器がいいかな。」
そのとき、私の中に少しずるい感情が生まれてきました。
「そうだ、なるべく軽く吹いて音が出ずらい感じをだそう!」
私は、マウスピースを口につけると、今までで一番少ない息を吹き込みました。
「ブウォーン」
なんということでしょうか。
私はジャズを経験していたからか、一番大きな音が出てしまったのです。
皮肉にも身体は小さいのに肺活量は人一倍だったのです。
「やった!決定だね。みんな!やっとこれでチューバのある曲できるよ。」
皆は大喜びで、約束なので断ることも出来なくなってしまったのです。
「もう、こうなったら、楽しむしかない!」
こうして、またサックスを吹く夢が遠のいてしまうのでした。
♦そして、やっと自分へのご褒美に
そして、短大、社会人となっても音楽にかかわることもなく、仕事といけばなと絵画に没頭する毎日を送ります。
そして、結婚、出産を迎えます。
出産と育児。
これが私が想像していたものとは違い、とても大変なことでした。
7ヶ月で切迫早産。
無事に産まれましたが、今度は寝ない・飲まない・食べないの3拍子。
夜泣きもひどく、3年間は、毎日睡眠時間2時間くらいでした。
自分でも本当によく頑張ったと思います。
このときばかりは、自分で自分を褒めてあげたい気分になりました。
そして、そんな頑張った私に主人が聞いてくれました。
「今まで頑張ったご褒美として何がいい?」
私は、迷わず元気に答えていました。
「アルトサックス!」
♦小学校のときの夢が叶った瞬間
念願のアルトサックスを手にしたときの心躍るようなドキドキした感動は、今でも忘れることが出来ません。
11歳~34歳まで。
随分遠回りした私の夢がやっと叶った瞬間でした。
もちろん、まだ子育ての最中でしたので、習いに行くことは難しく、50冊近くの教本と譜面本を買って独学で練習しました。
この頃は、友人の結婚式が重なり、余興として呼ばれることも多くなりました。
友人が「感動しちゃったよ」と言いながら、涙ぐんでくれたときは、本当に嬉しくなりました。
このとき、私は思いました。
あのとき、夢を捨てないで本当に良かった。
今からでも遅くはないし、人は幾つになっても挑戦できるものなのだなと。
あのとき買ったアルトサックスは、今でも私の大切な相棒となっています。
♦そして、これからも夢に向かって挑戦してきたい!
夢をずっと持ち続けること。
これって実はとても大切なこと。
そして、意外と難しいことなのです。
夢が叶うということを、その夢をいつか仕事に結びつけてしまう。
そうなると、「夢は叶わない」とあきらめてしまうことが増えていきます。
もちろん、好きな夢が叶って、それを仕事にできたらそれはとても素晴らしいことだと思います。
でも、現実はそう上手くはいきません。
夢に向かって順調に進んできたのに、何かのトラブルであきらめなくてはいけなくなるかもしれません。
そういうとき、絶望感の方が大きくなってしまい、もう辛くて見向きもしなくなるかもしれません。
この経験をして、私は気づいたのです。
本当に好きなら、それを仕事にしなくてもいいのだということを。
ずっと、その夢を手元に置いてあげてもいいのだと。
私にも、仕事として叶えたい本当の夢がありました。
それは、音楽に関する夢ではないのですが、なかなか叶えることが出来ませんでした。
でも、私はその夢を今でも持っています。
そして、人生後半になった今でも叶えたいと思っています。
私には、これから社会人になる娘がいます。
その娘には、今好きなことがあるそうです。
私はそんな娘に、いつも言っています。
「社会人になってもその好きなことは捨てないで、今の気持ちを大切にして続けていってほしい!」と。
もし、そのことが叶わなかったとしても、諦めなければ必ずまた何処かでチャンスは巡ってくると私は信じています。
そのときに、また、再挑戦すればいいのです。
私が人生遠回りして夢を叶えたように・・・。
そして、大人になった今だからこそ、やっと叶えられる夢もあるのだと思います。
そんな純粋な子供の頃の夢を、ずっと持ち続けられる人生を送ることが、私の理想の生き方なのです。
そのために、私はこれからもずっと自分の夢に向かって挑戦し続けていきたいと思っています。