親子で走った土曜日のこと
金曜の翌日のできごと
土曜の朝、窓を開けると少しひんやりした空気の中にも金木犀が含まれていた。大きく息を吸う。
前日の夕食中、きょうは保育園でどんなことをしたの?の質問に、相手に被せるように話し出した長男と次男の話をまとめると、10月に予定されている運動会の練習をしたらしい。それがあってか、長男が急に「あした一緒に走ろう」と誘ってくれた。
土曜の昼はまだ暑いし雨もぱらつく微妙な天気だったので、午後のおやつのあとに準備をした。
息子は保育園に行くような普段着のTシャツとハーフパンツだ。私は仕事で履いているスポーツも可能というユニクロの黒のアンクル丈のパンツ、プーマの長袖の運動着に、2年ほど履いている紺のぼろぼろのニューバランス。夫に「どう、イケてる?」と聞いたら「うーん……動きやすそう」という言葉を濁した反応をもらった。
自分でも雑な格好だなと思ったので(でも聞いてみたかった)知り合いに会う確率も高いけど、ほかに服もないしまあいいや。
マンションの階下で準備運動をする。子どもの体操はどこの筋肉にも腱にも効いていないように軽くて心配だ。集合場所の公園まで歩いてくることになっている次男と夫に手を振って出発する。置いていかれたと感じたのか顔をくしゃくしゃにした次男が「おかーさーん」と叫んだ。
角をふたつ曲がるとすぐに大通りに出た。隣の長男のフォームは上下にぴょこぴょこ揺れていて、足音はどたばたと元気が良い。車を見ようと顔は横を向き、くねくねしたコース取りで危なっかしい。何度も「前を見て」と言ったがあまり聞こえていないみたいでずっと喋っている。それに彼はなぜか自転車が横を通るたびに競争しようと急に全力を出す。
公園の外周に入ってすぐ、胸のあたりを押さえて「ここが痛い」と言う長男を「君の肺が突然のことにびっくりしているけど、たくさん空気を吸って大きくなろうとしているところだ」と励ます。「ちょいとここらでひと休み」と幾度も足を止める長男を誘い、ジョグのペースで2キロと少しを走り終えた。長男の額は汗だくだ。
公園で遊んでいると、しばらくして次男と夫がやってきた。私を見つけ笑顔の次男と抱擁を交わす。夫に「走ってきたら」と言われたので、子どもたちを任せ、ひとり公園の外に向かう。
長男といるときよりもスピードを上げてみた。公園では家の周りでは聞かなくなったツクツクボウシがまだ鳴いている。近くの小学校に植えられた金木犀の香りが漂ってくる。コガネグモの巣に水の粒が溜まり、傾いた陽を反射して光っている。
それらをぼんやり感じている私を、均等な筋肉がついたランナーたちがきれいなフォームで追い越していく。
私はまた走っていいんだな。
そんな感慨が湧く。
今の仕事を始めてから長男を産む前までの約5年間、私は走ることを楽しんでいた。服装は適当で、駅前のマルイのセールで買ったプーマのシューズとTシャツに、仕事と同じ金属の時計。大会にも出ず目標もなくただ走りたくて走っていた。2時間走っても疲れを感じなくなったころに長男がお腹にやってきて、走るのをやめた。
久しぶりにひとりで走っていると思い出されるのは、書くことについてだった。
書くことをやってみたくて、1年前にnoteを始めた。私は本を読むのは好きだし早いけど、文章を書くのは遅いし伝え方は回りくどく、SNSはヘタすぎる。そう落ち込んでいたのだけど。
でも走るのだって最初は遅くて苦しくて、けどなぜかやめたくなくて、走っているうちに何も思わなくなったのだった。風と景色に溶けて消えるような気分を好きになった。
もしかして書くのも練習で、そのうち慣れたりするのだろうか。できごとや感情を思うように文字で残せるようになるのだろうか。走ったこと、書いてみようかな。最近下書きもしていないや。そういえば、初めて走ってみたコースって、今走っているこの外周だ。
にしても、これ!このマスクがなかったらもっと空気が吸いやすいのに、もどかしいなあ!
など思いを巡らせているうちに、一周は終了した。
公園でしばらく遊んでから帰る。手を繋いだ長男が「楽しかった!明日も一緒に走ろうね」と言った。「うん、いいよ。でも父さんじゃなくていいの?」(彼の自転車の練習に付き合ったり市民プールに行くのは夫だ)と聞くと「お母さんがオリンピック見て、走りたいなあって言ってたから、お母さんがいいんだよ」と笑う。もう一方の手を掴む次男も「楽しかったね」と言った。
私は自分に制限をかけすぎているのかもしれない。不恰好でももっと楽に構えてやってみてもいいんでないか。
翌日曜も走った。久しぶりに走ったけどジョグだから平気だったなとうかれていた私は、月曜には心地よくもつらい筋肉痛に襲われることになるのだった。
(画像は別の公園のアベリアです。2日間走っていたため金木犀を見かけてもカメラで捉えられず、無念)
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