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パートの私と2児の母である私
子育てと両立して仕事したい。
それが私の兼ねてからの考え。
実際に子育てを「専業主婦」として
経験してみるとあまりに孤独で
簡単に鬱になりそうな環境に、
別のコミュニティが必要だとも感じていた。
仕事をすることで自分の働きぶりを認められ、
対価が発生する。
家庭では得られないひとつの喜びだ。
「子どもの急な発熱、園の行事、すべてプライベートを優先してほしい。仕事のために自分を使わなくていいから、プライベートを豊かにするために働きたいというくらいラフな志望動機で入って欲しい。」
こんな風に言ってくれる上司、なかなかいない。
とてもありがたかった。
だが、なんせ人がいない。
日を経つ毎に、人が辞めていく。
次第に雇ってくれた恩を返すため、子供が熱を出した時は母に頼り、夫にも有給消化をお願いして出勤するようにした。そのうち週3日勤務だった私は、いつしか週5勤務になっていることが当たり前になった。
母の季節労働が始まり、子供たちが次々に体調を崩す日がとうとうやってきた。しかもよりによって、夫が出張の日。
絶対に休まなきゃいけない状況に申し訳なさが勝っていた気持ちも、休んでみてこれまでを後悔した。
目の前にはだるそうに甘えてくる娘。
鼻水を垂らしながら抱っこをせがむ息子。
母である私を真っ直ぐ頼る姿に、
私は今まで何を優先してたんだ?とどうしようもなく自分を責める気持ちになった。
体調不良な中でも、
私と過ごせることを喜んでいる子が目の前にいる。
いつの間にか仕事のための自分が出来上がっていて、プライベートを優先させる私が消えていたことに気づいた。
職場における私は、本来なら
代わりが幾らでもある人員
家庭における私は
誰にも代わりが効かないママ
家計に余力をもう少し持たせたい、
家庭以外のコミュニティを作りたい。
その願いは、状況に応じてセーブしながら
バランスを保って維持するはずだったのに
いつしか間違えた方向に。
この過ちは、「母である私×仕事」だけでなく
「父である夫×仕事」でも起こりうるはずだ。
今では、子の発熱や私の体調不良に
休みを即決してくれる夫がいるけど、
子供の生まれたてはそうではなかった。
なぜ変わったか。
多分、私が文句を言い続けたから。
それが全てかはわからないが、
それもひとつであることは明白。
おそらく状況に応じて、仕事という迫り来るプレッシャーとのバランスを何年もかけて丸く丸くおさめていったその賜物なのだろう。
仕事に復帰し始めて、
見失ってしまった自分の感覚に絶望した。
コントロールするのってこんなにも難しかったか。
文句を言い続けて変わってくれた夫は
今では見習うべき存在だと感じたし、
おそらくとても葛藤したんだろうと理解し
申し訳ない気持ちにもなった。
そしてとてもありがたい気持ちでいっぱいに。