【Q2.小岩井駅から小岩井農場まで歩く】1.小岩井農場への道
(前回の記事はこちらです)
田沢湖線で小岩井駅まで
高い旅費を費やして岩手県まで来たからには、何か観光っぽいことをしたい。盛岡近辺で、どこか良さそうなところはないか? 岩手で最も有名な観光地、小岩井農場に行ってみることにした。
調べると、盛岡駅前から小岩井農場行きのバスが出ている。明日は五月三日。祝日だ。休日ダイヤを見ると、一番早い便は九時〇五分に駅前のバスターミナルを出発し、九時三五分に着く。途中で小岩井駅前を経由する。
ごく普通の時間帯に走る、ごく普通のダイヤだが、何か物足りない。『JTB小さな時刻表』の田沢湖線の頁をめくると、七時四二分盛岡発、雫石行きの普通電車がある。七時五五分に小岩井駅に着く。小岩井駅から小岩井農場までは約六キロ。歩けない距離ではない。徒歩で約一時間半かかると見込んでも、バスよりは少し速く着くのではないか? その方が時間を有意義に使え、何より面白そうだ。
予定より早く目が覚める。五月の岩手の朝は、やや肌寒いが、今日も好天で良い気分だ。盛岡駅西口の跨線橋を渡っていると、北側から田沢湖線の上り普通列車が入線してくる。おそらくは七時二八分盛岡着の列車だ。盛岡で折り返して、これから自分が乗る、七時四二分盛岡発の列車になるのだろう。
定刻に発車。昨日訪れた前潟駅から、更に東に進む。北側の車窓には、常に岩手山の山容が有るが、列車が進むのに従い、少しずつその位置を後方にずらしていく。途中駅、大釜にて、列車交換のために待機している上りのこまちとすれ違う。田沢湖線は単線なので、ミニ新幹線と雖も、すれ違いのために対向車を待つ必要があるためだ。
七時五五分、小岩井駅着。この列車の終点、雫石の一つ手前の駅だ。発車する車両を撮影し、駅名標を撮り、レトロ風味漂う跨線橋を渡る。建造物自体は、かなり古い物のように見えるが、清潔な感じがする。
駅スタンプがある。押す。田沢湖線の元となった鉄道、橋場線の開通百年を記念したスタンプだ。中央には、トランクを持ったロングコートに山高帽の、いかにもモダニズムっぽい服装の男が描かれている。明示されていないが、明らかに宮澤賢治を意識した意匠だろう。駅舎内には、やはりSuica導入を告知する掲示物が大々的に貼られている。
駅前には、賢治の碑文がある。賢治もかつて、出来たばかりのこの駅から、出来たばかりの小岩井農場まで歩いたのだという。その時の様子を、長編詩に残しているという。
賢治が通ったのと同じ道を、今から自分も歩くのだと思うと、気分が高揚してくる。やる気が出てくる。駅前の地図を確認する。
小岩井駅から小岩井農場まで歩く
田沢湖線の線路に沿って、しばらく東に歩く。理髪店以外の商業施設は見なかったように思う。途中、通過するこまちの車両を撮影したり、線路を跨ぐ橋上に立ち、景色を眺めたりする。時間を使ってしまった。
十字路を北に曲がり、小岩井農場に向けて歩き始める。沿道には、菜の花畑が長く続いている。鮮やかだ。しばらくすると花が尽き、森に入った。
なだらかな起伏の一本道がどこまでも続く。信号が無いので、車道を走る自動車は速度を緩めることなく激しく疾走していく。次々に追い抜かれる。車の走行音は存外に大きく、殺風景で威圧感がある。森が終わると再び牧草地だ。
体調は極めて佳良であるが、足が痛い。今履いている靴が、長時間の歩行に余り向いていないためだ。確かこの靴は、コロナウイルスが流行り始めた最初の頃の自粛期間に、武蔵小金井イトーヨーカードーのABCマートで買ったと記憶している。驚くような安売りをしていた。造り自体は堅牢で、デザインも気に入っているが、とにかくソールが硬すぎて、長時間のウォーキングや旅行には用いるべきではないと再確認する。牧草地から再び森。
進行方向に、自分以外の歩行者はほとんど見ない。一回だけ、逆方向に向かって歩くウォーキングの人を見かけた。おそらく地元住人だ。自動車の数は、両方向とも多い。小岩井農場の客の九割以上は、車を用いるのだろう。自転車やバイクは稀に通る。
自分に植物学の素養があれば、森の木々や牧草地の草花の植相を観察して、何かしらの有益な知見を得られるのになと思う。今風の言い方をすれば、僕の観察眼の解像度は低い。履いている靴は安物で、構えているアクションカメラは高円寺のハードオフで買った、おそらくはメイドインチャイナの中古品だ。それでも、今はこの道を只管前に進む。
令和五年の五月に自分が見ている、この沿道の植物達の植生は、大正時代に賢治が見ていた植物と同じだろうか?
畜舎が見えてくるが、これは見学用の施設ではない。
農場までの距離表示を見て、やる気を出す。着実にゴールに近づいている。起床時から何も食べていないので、空腹だ。
まきば園入口直前の、最後の森を抜ける時に、どこからともなく桜の花びらが、自分に向かって舞い降りてきた。周囲を見回しても、桜の木はどこにも見当たらない。しかし路面を良く見ると、少ないながらも桜の花びらが貼りついている。不思議だ。天が自分を祝福してくれているのだと思うことにした。
遂に辿り着く。小岩井農場まきば園、九時二八分着。無数の自家用車に追い抜かれたが、盛岡からの路線バスよりは僅かに早く着いた。報われた。
自由意思によって自身に課した試練、自らの選択による苦行を達成することは、人の心を爽やかなものとし、健やかなものとする。それは精神に個としての尊厳を取り戻す過程であり、世界に対峙する固有の存在としての自我を再確認する行為である。誰もが、誇り高く純粋でありうる。
どこでも良いから座りたい。何でも良いから何か喰いたい。賢治も同じ思いであっただろうか。
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