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【Q12.山形新幹線E8系に乗りたい】6.清河八郎記念館訪問

(前回の記事はこちらです)


余目を出発


 早朝に目が覚める。既に明るい。盛んに雀が囀っている。農繁期、春分から夏至を中間点として秋分に至る期間の、この日照時間の長さが山形を米どころとし、またフルーツ王国としているのではないかと愚考する。
 座敷童は、僕の前には姿を現さなかった。

 早朝の散歩に、ガスタンクを見に行く。歩くとそこそこの距離がある。中学校のすぐ隣に立つその球体の周囲を一周し、余目での想い出づくりをした。
 チェックアウト時に出てきた、老女将と少し雑談。昨日の若女将は、この老女将の娘さんとのことだ。若女将は、今朝一番の飛行機で、東京まで飛んだと言う。
 この辺りの人間が東京へ行く時は、飛行機か夜行バスを使うことが多く、鉄道は余り使わない。使うとしても、新潟まで出て、上越新幹線に乗ることになると教えてくれた。この地域の人々の最寄りは、庄内空港である。

 雑談の流れで、二階の部屋を見せてくれる。羽越本線が良く見える。鉄道写真の撮影が目的で、この部屋を指定して泊まる客もいるという。
 もう一人の宿泊客である、オッサンと三人でコーヒーを飲む。今日は清河八郎記念館を見た後、新庄から新幹線で帰る予定だと言うと、オッサンはしきりに感心して、褒めてくれる。それは良いのだが、記念館まで俺の車に乗って行けと、しきりに勧誘してくる。親切のつもりかもしれないが、こちらは陸羽西線の代行バスに乗りたいので、有難迷惑である。強引な勧誘を断るのに苦労した。

 クラッセを覗き、少し土産物を買う。この二階の休憩スペースも、中々のトレインビュースポットだ。
 9時25分、余目駅前発。 

 昨日と同じ、田園地帯を走る。広大な田園の向こうに風力発電機が回り、その背後に出羽の山地が続く。清川駅代行バス停に近づくと、国道から外れて市街地に入る。9時53分、代行バス停にて下車。ここの代行バス停は、本来の清川駅の目の前だ。
 清河八郎記念館まで歩く。途中、何とも変わったロケーションの神社を見かける。参道が陸羽西線のレールを跨ぎ、その向こうに境内があるのだ。気になる。

清河八郎記念館・歓喜寺


 記念館の窓口には、オバちゃん係員。自分が、今日最初の来館者だと言う。天井が高い。ワンフロアに広い展示室が一つあるだけのシンプルな構造で、別の階や別の展示室があったりはしない。

 「清河八郎」は、後に自ら名乗った姓名で、元の名は斎藤元司。出身地は「清川」だが、活動家としての名乗りは「清河」だ。肖像画で描かれた相貌は、四角い顎の厳つい人物だ。
 
 文武両道の英才で、江戸に出て私塾を拓いた後に、尊王攘夷運動に身を投じる。倒幕を企てて幕府に追われる身になるも、一度は許され、浪士組(後に分裂して新選組となる組織)を結成。再び幕府に叛く気配を見せたため、最後は幕府の放った刺客により暗殺された。暗殺されたのは麻布であるという。
 波乱に満ちた生涯であり、歴史にその名を残してはいるが、何かを成し遂げたという訳でもないようだ。吉田松陰のように、弟子が大成し、教育者としての功績が後世に評価されているという訳でもない。
 このような人物が、大河ドラマの主役に成りうるだろうか? 高知県における坂本龍馬のように、観光資源として地元経済に商売の種を提供出来るか? 正直微妙な気がするが、そこは脚本家の能力次第かもしれない。

 個人的に印象に残ったのは、清河の系図の下の方に、仏文学者・斎藤磯雄の名前を見つけたことだ。少しテンションが上がる。(帰宅後、書棚にある斎藤の詩集『近代フランス詩集』の解説文を確かめると、確かに従祖父は清河八郎であると記述があった。)

 物販コーナーには、清河の紀行文『西遊草』岩波文庫が平積みになっている。長い間品切れであったものが、近年再版がかかったという。清河が、母親を伴って西日本を旅した際の旅行記だ。「親孝行で、可愛い人です」と係員のオバちゃんは言っていた。
 書籍としては、他に、地元の郷土史家の方が著した研究書が並ぶ。

 付近にある清河神社を参拝し、戊辰戦争の戦場になった森の中を歩く。広い。新庄方向から攻めてきた官軍を、庄内藩はこの森で迎え撃ったという。最上川に近い国道沿いまで歩くと、船見番所の再現建築物がある。この辺りは、江戸時代まで船の関所が置かれていた交通の要衝だ。『奥の細道』において芭蕉が上陸した地であり、碑文が建っている。

 建物の中は、土産物屋、飲食店、展示スペースとなっているが、余りゆっくりしている時間は無い。記念スタンプがあるので、押す。

 駅に戻る途中、往路で見かけた寺にも参拝する。陸羽西線の、遮断機の無い狭い踏切を跨いで進む。異空間っぽさ、時空のはざまっぽさがあり、少し冒険感がある。
 歓喜寺という曹洞宗の寺であった。境内まで登ると、若い女性がしゃがみ込んで草むしりをしている。その周りを、幼児がヨチヨチと歩いている。
 墓地には、清河八郎の墓がある。手を合わせる。

 若い女性が私に気付き、挨拶してくる。この寺の、副住職であるとのことだ。寺の建物内にも入れてくれると言うので、靴を脱いで上がり、少し見せてもらう。畳の上には上がれないが、赤い絨毯が敷かれた廊下から、仏教美術を何点か拝む。副住職の厚意に感謝しつつ、時間が限られていたため、きちんと鑑賞できなかったことを申し訳なく思う。 
 清川駅まで戻る。11時48分、代行バスにて清川駅発。


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青条
詩的散文・物語性の無い散文を創作・公開しています。何か心に残るものがありましたら、サポート頂けると嬉しいです。

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