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#213 [視覚芸術] 人体を写実的に表現をした最後の彫刻家

第31週 第3日(水)視覚芸術「オーギュスト・ロダン」

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。

今日は視覚芸術「オーギュスト・ロダン」です。

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本の要約

■オーギュスト・ロダン(1840~1917)
パリの美術学校プティット・エコールで1854年から1857年までデッサンを学んだ。その後エコール・デ・ボザールを受験するも不合格となり、やむなく職人、陶器の絵付師、宝石細工師などをして生計を立てていた。

・1864年
アルベール=エルネスト・カリエ=ベルーズの工房に入り、同年「鼻のつぶれた男」を完成させた。

・1870年
カリエ=ベルーズに従ってブリュッセルへ行き、工房を構えた。

・1875年
イタリア旅行ではじめてミケランジェロやドナテッロなどの古典古代の彫刻に触れた。それを受けて制作したのが「青銅時代」だ。本物の人体から型をとって作ったと勘違いされるほど精巧に作られていた。

・1880年
フランス政府から、装飾美術館の門扉を青銅で作って欲しいとの依頼を受けた。「天国の門」のインスピレーションから「地獄の門」の制作を目指したが、未完のまま亡くなった。

・1884年
カレー市民の依頼で「カレーの市民」を制作したが、市民を英雄ではなく犠牲者として表現しているとして批判された。

・1908年
パリのビロン邸に移住し、ロダンの死ぬ前年の1916年に、将来ロダン美術館にすることが決定された。1919年に改装された同館は、今も多くのロダンの作品を収蔵している美術館である。

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「考える人」(1902年)

画像1

未完のまま終わってしまった「地獄の門」は、この門のために180体以上の人間を鋳造した。門の頂点に置かれる予定だった言われているのが「考える人」だ。この考える人はロダン自身だったと言われている。

大規模プロジェクトが未完のままに終わってしまったのが悔やまれますね。

完成したらどんな傑作になっていたのだろう。

ロダン美術館

フランスのパリ7区にある美術館。生前は住まいとして、アトリエとして使っていた建物。ロダンの死後、フランス政府がビロン館を買い取り、美術館として残した。フランス政府と生前も死後もずっと友好な関係を築けていた証拠とも思える。

現在でも、彫刻6600点、デッサン7000点、その他ロダンが収集した絵画や彫刻が収められている。
前述の「地獄の門」もあるらしい。未完とはいえ、超傑作になり得た作品が飾られているなんて一生に1回は見に行ってみたい。



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