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#337 [歴史] 人類史上最悪の化学兵器を生み出した計画
第49週 第1日(月)歴史「マンハッタン計画」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は歴史「マンハッタン計画」です。
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本の要約
1939年8月、著名な科学者アルバート・アインシュタインはアメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ローズヴェルトに短い手紙を送り、ナチ・ドイツがウランから原子爆弾を開発するのではないかと非常に深く憂慮していると伝えた。
アインシュタインは、手紙をローズヴェルトへの警告として出したのだが、それは予期せぬ結果を招いた。ナチ・ドイツがそのような恐ろしい兵器を開発できるのなら、アメリカで先にもっと優れた兵器を作ってしまおうと、ローズヴェルトは決断したのである。このプログラムはマンハッタン計画となった。
マンハッタン計画には、大戦中にもかかわらず最盛期には世界トップクラスの科学者たちが数百人も参加していた。アメリカ政府はこの爆弾に、現在の価値に直して合計役200億ドル相当の資金を投じた。
原子爆弾は、1945年に日本の広島と長崎に投下され、日本の戦争を笹会える主要な工業都市だった両市は壊滅し、12万もの民間人が死亡した。長崎に原爆が落ちて数日後、日本は降伏を決断した。1945年の原爆投下については、今も賛否が分かれている。
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アインシュタインの後悔
原爆を製造可能にする理論の発見者であり、ローズヴェルトに警告したアインシュタインだが、彼は戦後、ローズヴェルトに報告したこと後悔していると語った。
もし、アインシュタインが理論の発見とナチ・ドイツの懸念を言わずにいたら、日本に原爆が落ちることもなかったかもしれない。だとしても、日本の敗戦は時間の問題だったと思う。
そして、今後一生核兵器が使用されないことを願う。