#205 [文学] 社会意識の高い物語作家として熱烈なファンを獲得したヴィクトリア時代の小説家
第30週 第2日(火)文学「チャールズ・ディケンズ」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は文学「チャールズ・ディケンズ」です。
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本の要約
■チャールズ・ディケンズ(1812~1870)
ディケンズは子供時代、父が公務員として働いていたチャタムとロンドンで過ごした。両親は金遣いが派手で債務者刑務所へ入れられてしまい、当時12歳のディケンズは学校をやめ、靴墨工場で働かざるを得なくなった。このときの経験から、彼は生涯を通じて貧しいものに共感を抱きそれは作品にもよく表れている。ディケンズは、工場をやめることが出来ると、しばらく教育を受けたのち、法律事務所の事務員となり、その後ジャーナリストになった。
■おもな作品
・「ピックウィック・ペーパーズ」(1836年)
処女作。これが月刊誌に連載され、ディケンズはすぐさま有名になった。
・「オリヴァー・ツイスト」(1837~1839年)
路上生活を送る孤児の少年を主人公とした小説。
・「デイヴィッド・コパーフィールド」(1849~1850年)
自伝的小説。この時期の作品はどれも貧困など社会問題への関心を示している。
・「荒涼館」(1852~1853年)
イギリス法制度の無能ぶりを取り上げた作品
・「ハードタイムス」
工業化の暗黒面を描いた作品
・「二都物語」(1859年)
・「大いなる遺産」(1860~1861年)
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ディケンズの私生活
1836年、新聞記者として多忙を極めるなか、編集者の娘であるキャサリン・ホガースと結婚した。2人は10人の子をもうけたが、性格の不一致のため結婚生活はうまくいかなかった。なお、ディケンズはキャサリン・ホガースよりもその妹のキャサリン・メアリを愛していたが、まだ幼かったこともあり、結局その姉と結婚した。メアリは、ディケンズの結婚後もディケンズ夫妻の住まいに同居していた。翌年彼女は急死し、ディケンズにしばらく執筆活動を中断させるほどの打撃を与えた。
なんだがどろどろだな。
作家となったあとには、夫妻で長期のアメリカ旅行に行ったりしているので、仲はそれなりにいいのだろう。だって子供10人だし。
ディケンズ作品もいつか読んでレビューしたい。