見出し画像

#239 [歴史] 南北戦争の終焉の地

第35週 第1日(月)歴史「アポマトックス・コートハウス」

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。

今日は歴史「アポマトックス・コートハウス」です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本の要約

1861年に始まった南北戦争は、アメリカ史上最も多くの死傷者を出した戦争である。55万人以上の兵士が戦死し、数十万人が負傷した。
激突する両軍を率いた北軍の司令官ユリシーズ・s・グラントと南軍司令官ロバート・E・リーは、両陣営の勇猛果敢と悲劇を体現する人物となった。

■ユリシーズ・s・グラント(1822~1885)
製革業者の息子としてオハイオ州に生まれ、ウェスト・ポイント陸軍士官学校を最下位に近い成績で卒業した。南北戦争でグラントが頭角を現すまでは、父親でさえ息子に失望していた。アルコール依存症だったグラントだが、いかなる犠牲を払っても勝利するのだという固い決意によって、エイブラハム・リンカーンの信頼を勝ち取り、1864年リンカーンから北軍全体の四季を任された。

■ロバート・E・リー(1807~1870)
グラントとは対象的に、ヴァージニア州の裕福で立派な一族の出身だった。ウェスト・ポイント陸軍士官学校を次席で卒業し、名誉を重んじ、誓ったことを必ず守った。陸軍では抜群の功績を上げ、アメリカ・メキシコ戦争にはグラントとともに従軍した。南部諸州の離脱には反対だったが、故郷のヴァージニア州が連邦を離れると、新たな南部連合のために働くのは自分の名誉に関わる義務だと思った。

グラントはヴァージニア州の町アポマトックス・コートハウスにある小さな農家へ向かった。中で待っていたのは、敵将であるリーだ。4年に及んだ戦闘の末ついにリーは秘性した南軍に余力は残っていないと判断した。四方を北軍に囲まれて、南軍は包囲を突破できずにいた。礼儀正しく握手を交わしたあと、りーは降伏文書に署名した。南北戦争が終結した瞬間だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アポマトックス・コートハウス

南北戦争最終盤の1865年4月9日にアポマトックス・コートハウスの戦いが行われた場所であり、同日集落内にあるウィルマー・マクリーンの家で、南軍のロバート・E・リー将軍が北軍のユリシーズ・グラント将軍に降伏した。リーの降伏は、事実上南北戦争を終わらせることになった。この場所は「アポマトックス・コートハウス国立歴史公園」として記念されている。

同じ学校の天才と落ちこぼれが戦うことになる

学年も同じだったら完全にドラマなんだけどな。
でも、同じ学校出身で、正反対の生活をしていた人物が戦うことになるなんて。しかも勝利するのが落ちこぼれの方だから数奇な運命だなぁと思う。

南北戦争の重要度

アメリカ史上もっとも被害者をだした戦争であっても、日本の学校ではそれほど大きく学ばなかった気がする。


いいなと思ったら応援しよう!