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#85 [歴史] 19歳という若さで処刑された聖処女

第13週 第1日(月)歴史「ジャンヌ・ダルク」

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。

今日は歴史「ジャンヌ・ダルク」です。

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本の要約

ジャンヌ・ダルク(1412~1431)は、17歳で中世のフランス軍を指揮してイングランド軍と戦った少女。見事な勝利を次々と重ねたものの、最後には捕らえられ、異端者と宣告されるとすぐに火刑に処された。

中世ヨーロッパでは、国王たちの間で戦争が絶え間なく行われており、とりわけイングランド王とフランス王とは戦争に明け暮れていた。
実際にジャンヌが活躍した1429年当時、両国は百年戦争の最中だった。
農家の一般庶民だったジャンヌは十代初めに幻視を体験しており、神から、イングランド軍をフランスから追い出せとのお告げを受けたと主張した。
戦争は、支配層による土地の奪い合いという単なるビジネスに過ぎなかった。貴族間の領地争いはやがて国民と国民の衝突に発展していった。
ジャンヌもその一人で、ヨーロッパのナショナリズムの最初の事例となった。

ジャンヌは、1431年に捕らえられると、イングランド軍により異端者との濡れ衣を着せられて処刑された。その後、彼女への異端宣告はローマ教皇によって破棄され、1920年にジャンヌは正式にカトリック教会の聖人になった。

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わずか19歳で処刑された背景

1431年にどうしてイングランド軍に捕らえられてしまったのか。そこには封建と裏切りが横行した世界があった。
ジャンヌは、ブルゴーニュ公国軍というフランス軍の一つに、身代金と引き換えにイングランドに売られたのである。
そのあと、イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって異端審問にかけられ、処刑された。

すべて自国の人間の仕業だったのである。

フランスのために戦った彼女は、同じ愛すべき国の人間から裏切られこの世を去った。火刑に処されたジャンヌは亡くなる直前に何を思ったのだろう。

こんなにはらわた煮えくり返る歴史は今までなかったな。
何がムカつくって、亡くなった25年後に、ジャンヌは無実で殉職したと訂正されたことだ。そして20世紀にはジャンヌを神扱いして讃えている。

なんか、もう気持ち悪いわ。

自分たちの過ちをまるで隠すかのように、ジャンヌを殺したあとで支配層のやつらが勝手に神格化させている。問題を履き違えるな。

百年戦争

フランス王国の王位継承およびイングランド王家がフランスに有する広大な領地をめぐり、フランスの領主たちが二派に分かれて戦った内戦。

正確には1337年~1453年の116年間断続的に続いた戦争だ。

この頃は、国家という概念は薄い時代で、領主たち土地の奪い合いによって領地が別れていたに過ぎなかった。

しかし、戦争を経て次第に国家・国民としてのアイデンティティが形成されるようになった。これがナショナリズムである。

そしてそれは、ジャンヌ・ダルクが成し遂げてきた功績と彼女自身による死によって意識が変わったのは紛れもないだろう。

いつだって国家間の争いには領主の思惑しかない

この惨劇は百年戦争だけの話ではない、と私は思う。

現在でもこれは当てはまる。

環境活動家として有名なグレタ・トゥーンベリという少女は誰でも知っているだろうが、彼女はただ一人で活動しているわけではない。

彼女の裏には中国人権力者が糸を引いているのではないかと、まことしやかに囁かれている。

いち一般人の彼女が大々的に行動できるのは強力なバックがあってこそだ。そこには環境活動という名の権力争いがすでに始まっている。

グレタも権力者の操り人形に過ぎない。まるでジャンヌのように。
グレタの辿る結末がどうか明るいものであってほしい。グレタ自身は純粋に環境について真摯に取り組んでいるだけだと思うから…






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