#206 [視覚芸術] ピカソに「私たち全員の父」と呼ばれていた芸術家
第30週 第3日(水)視覚芸術「ポール・セザンヌ」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は視覚芸術「ポール・セザンヌ」です。
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本の要約
■ポール・セザンヌ(1839~1906)
後期印象派を代表する主要な芸術家の一人。エクス=アン=プロヴァンスの裕福なフランス人一家に生まれたセザンヌは、当初は故郷近くの学校で法律を学んだ。1861年に法学を捨てて画家になろうと決心し、パリに移るが、美術学校エコール・デ・ポザールの入試に失敗。画塾アカデミー・スュイスで学び始めた。
1874年、セザンヌは印象派に加わり第一回印象派展に「現代のオランピア」を出品した。セザンヌは印象派について、美術館の芸術作品のように、社会に通じるものにしたいと思っていた。そこで独自のスタイルを発展させ、これが後に後期印象派と呼ばれるようなった。
1882年、エクスの家に戻り晩年はテーマ重視より、純粋なフォルムだけに集中するようになった。
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「果物入れ、グラス、りんごのある静物」(1879~1882年)
セザンヌは、自分が思う現実をより正しく捉えた姿を表現するため、フォルムを簡素化し、遠近法をゆがめた。この作品では、果物入れの中心から足を少しずらし、果物が偏って置かれた皿のバランスを脚がうまくとっているかのように描かれている。
「現代のオランピア」(1874年)
1865年のサロンに出品されたマネの「オランピア」をうけて、セザンヌが制作した作品。西洋美術の伝統では、神話に登場する女神を描くことを口実に、女性の裸体が描き続けられていましたが、マネは、現実世界の娼婦を描いているために批判を浴びた。しかし「オランピア」に見られる平面的な描法も、当時類を見ないものであり、セザンヌも大きな影響を受けている。
その他にも多数の作品があるので、セザンヌの世界にもう少し触れてみるのもいいだろう。