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#297 [視覚芸術] 芸術運動フォーヴィスムの生みの親

第43週 第3日(水)視覚芸術「アンリ・マティス」

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。

今日は視覚芸術「アンリ・マティス」です。

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本の要約

■アンリ・マティス(1869~1954)
自然主義に対して色彩の持つ美しさと心理学的力を称賛した芸術運動フォーヴィスムの生みの親の一人だ。

マティスはフランスのぽカルディー地方に生まれた。中産階級の両親を持ち、1889年には法学の学位をとった。あるとき絵の才能があることに気づいて画家になろうと決心したマティスは、パリへ移って私立美術学校アカデミー・ジュリアンに入学し、アカデミックな画家ウィリアム=アドルフ・ブグローの下で学んだ。

1890年代末に短期間のコルシカ島に滞在した後、マティスはパリに戻り、古い伝統と縁を切りたいと願う若い芸術家グループのリーダーになった。このグループは広大な展覧会サロンに従来とは全く異なる絵画を出品して一大センセーションを巻き起こした。批評家は、彼らをフォーヴ(野獣)とよんだ。

1920年代にマティスは地中海に面したリヴィエラ海岸のニースに移り、以後、人生の大半を同地で過ごした。最晩年の作品の一つに、南フランスの町ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂のステンドグラスや壁画などの装飾がある。

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「生きる喜び」(1906年)

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マティスがフォーヴと呼ばれているようになったきっかけの作品。鮮やかな色彩と空間の歪みは当時の鑑賞者から避難を浴びた。

しかし、ピカソはこの絵を見てショックを受けるやいなや、この作品を目標にして「アヴィニョンの娘」を制作したという。

わかるひとにはわかる。

マティスの目標と信念

マティスは自分の目標を説明している。
「構図とは、画家が自分の感情を表現するため、さまざまな要素を自分の思いのままに装飾的に配置する技術のことだ」と断言している。

また、自分の芸術を、喜びを引き起こし、「体がつかれたときにゆっくり休める優れた肘掛け椅子のようなもの」にしたいと考えていた。

マティスは自分自身の作品を、片意地を張ったものではなく、心落ち着かせて見てほしいと願ったものでもあったのか。

マティスの独創的な数々の作品は、以下サイトに紹介されていたので暇なときに見てみよう。


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