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#285 [音楽] チェコからアメリカに渡り国際的に活躍した後期ロマン派作曲家
第41週 第5日(金)音楽「アントニーン・ドヴォルザーク」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は音楽「アントニーン・ドヴォルザーク」です。
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本の要約
■アントニーン・ドヴォルザーク(1841~1904)
チェコ人作曲家で、プラハ国民劇場のオーケストラでヴィオラ奏者となった。1874年に「交響曲第3番」が、オーストリア政府の審査に合格して国家奨学金を受けられることになり、審査員だったヨハネス・ブラームス(1833~1897)からも曲を高く評価された。1891年、プラハ音楽院の作曲家教授のポストを与えられたが、翌年に1万5000ドルという多額の報酬を提示され、ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長に就任した。アメリカ滞在は、辛いことも非常に多かったが、生涯で最も多くの作品を生んだ時期になった。
ドヴォルザークの管弦楽曲は大半がそうだが、交響曲でも、作曲者がロマン主義的な感性を根底に持ちながらも、古典的な形式をしっかり把握したウエで作曲していることがよく分かる。
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「交響曲第9番 新世界より」(1893年)
ドヴァルザークがアメリカの音楽院に滞在したのは3年間。その間に発表した代表作。アメリカの黒人の音楽が故郷ボヘミアの音楽に似ていることに刺激を受け、「新世界から」故郷ボヘミアへ向けて作られた作品だと言われている。
曲の冒頭部分は誰でも知っているフレーズで、重厚で壮大な感じが伝わってくる。
「交響曲第5番」(1875年)
ドヴォルザークが他の作曲家と違っているのは、彼が民謡の旋律を熱心に取り入れた点だ。この曲にはベーメン風に聞こえる旋律がは入っている。
ベーメンとはチェコ西部を指す名称。西部にはドヴォルザークの故郷ボヘミアがあるので、チェコ民謡を忘れず大切にしていることがわかる。