#31 またの名をアヤソフィア
第5週 第3日(水)視覚芸術「ハギア・ソフィア」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は視覚芸術「ハギア・ソフィア」です。
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本の要約
ハギア・ソフィアはコンスタンティノープル(元イスタンブール)でビザンツ帝国皇帝ユスティニアヌス一世の直々の命令によりキリスト教の大聖堂として建設された建物。
設計者は建築家ではなく数学者であったミレトスのイシドロス、トラレスのアンテミオスで、532年~537年の間に建設された。
大聖堂のドームは高さが現在約55メートル、四隅にドームを支えるペンデンディヴがあり、ドームの重量を4本の柱に均等に分散させている。
ドームの基部には窓が40あり、そこから内部に光が差し込むため、ドームは重さがないように感じられ、まるで礼拝する人々の頭上で浮いているように見える。
ギリシア語で「聖なる知恵の教会」を意味する。
長年にわてあって自身により大きな被害を受けてきた。もともとはビザンツ帝国の個人用教会だったが、1453年にオスマン帝国がコンスタンティノープルを攻略した後、モスクに作り変えられた。
イスラム教では肖像画は禁じられているので、聖像を描いたモザイク画はすべて漆喰で上塗りされた。4本のミナレットが増築され、アラビア文字の装飾が施された。
1935年、トルコ大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの下で建物は非宗教化され、現在のイスタンブールで必見の観光スポットになっている。
現在では基礎部分の補強や上塗りされた漆喰が次々と取り除かれている。
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イスタンブールってどこ?
イスタンブールはトルコ最大の都市であり、経済・文化・歴史の中心地。同都市はトルコ北西部に位置し、マルマラ海と黒海を結ぶ世界でも最も混雑する航路の一つであるボスポラス海峡を挟んで大陸間に跨った都市である。
ヨーロッパでもありアジアでもある歴史的に重要な都市。
ハギア・ソフィアまたはアヤソフィア
ハギア・ソフィア(アヤソフィア)のような教会堂建築は、ギリシアやトルコなど、かつての東ローマ帝国(ビザンティン帝国、ビザンツ帝国)領内の各地に数多く残されているが、単にアヤソフィアと言った場合、イスタンブールのアヤソフィアを指すことが一般的らしい。
ペンデンディヴとは
ペンデンティヴのイメージが沸かないのでググる。
穹隅(きゅうぐう)またはペンデンティブ(pendentive)は、球形のドームを正方形の部屋の上に置いたり、楕円形ドームを長方形の部屋の上に置いたりするための建築構造。穹隅は球面の三角形状の部分で、下のほうが1点に先細りになっていて、上に行くにしたがって広がり、球形または楕円形のドームの底辺を支える基礎を提供する。したがって石造りの建築ではドームの重量が穹隅にかかり、それが下の部屋の4つの角に集中し、そこに支柱を置いて支えることになる。
すごい!!この構造で建物を支えることができるのか。
確かにこの設計は数学者っぽい感じがする。なんとも言えない幾何学模様にも感じるし、均等に支えられた美しい形だと思う。
すごいなぁ。
現在はなんと再びモスクになっていた。
近代ではこれまで、博物館として利用され、世界各地から大勢の観光客が訪れていたアヤソフィアだが、2020年7月10日、トルコ政府は、アヤソフィアをモスクにすることを発表。
この決定には政治的な理由や複雑な歴史が絡み合う。
トルコ建国の父として知られ、宗教と距離を置く「世俗主義」を国是とするアタチュルク初代大統領のもと、キリスト教の聖堂でも、イスラム教のモスクでもない博物館に変えた。おかげで観光客は増え、世界的に有名な都市となった。
しかし、トルコ国民の多数を占めるイスラム教徒の一部には、アヤソフィアをモスクに戻してほしいという強い思いがあった。
そういった人々を支持層としてきたのが、現在のエルドアン大統領。
イスラム教の価値観を重視する政策に推進してきたエルドアン大統領は7月10日、再びモスクに戻ることを発表。
トルコ国民からは歓喜で溢れかえる一方で、国際社会からは批判の声が相次いでいる。
とはいえ今でも誰でも訪問は可能とのこと。
国民と世界の人とで価値観はだいぶ違うアヤソフィアだが、今でも観光は可能だという。
やはり宗教が絡むと難しい問題になっていくるなぁ。
でも、こんな美しい建築物は一生に一度は見ておくべきものだと私は思う。
近年になってもモスク化が決まるように、いつ何が起こるかわからない世の中。見れるものは今のうちに見に行ったほうがいいのかもしれない。