#147 [宗教] イエスの死の原因は宗教への反乱。
第21週 第7日(日)宗教「イエスの礎刑」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は宗教「イエスの礎刑」です。
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本の要約
紀元30年ころ、ナザレのイエスは、ユダヤ人の宗教界が腐敗していると感じて激怒していた。エルサレムの神殿では、両替人や商人が、最も神聖であるべき場所で店を開いていた。過越祭の期間に弟子を引き連れて神殿に乗り込んだイエスは、商売人たちの机や台をひっくり返して、人々の目の前で騒動を起こした。
これに対して、ユダヤ人の最高法院サンヘドリンの大司祭ヨセフ・カイアファは、髪を冒涜した罪でイエスを逮捕して磔刑を言い渡した。カイアファがイエスを逮捕できたのは、使徒の一人イスカリオテのユダがイエスを裏切ったからだ。
イエスは、牢から処刑場であるゴルゴタの丘まで、十字架(重さは40キロ以上あったらしい)を自分で運んでいかなくてはならなかった。これについては、実際に運んだのは横棒だけだったはずだ。縦棒は処刑場の地面に固定されていたである。イエスが十字架にかけられているあいだ、アリマタヤのヨセフが近づき、最後の晩餐でイエスが使った杯で、滴り落ちるイエスの血を受けた。この杯は、聖杯と呼ばれている。イエスが死ぬと、ヨセフはイエスの遺体をおろし、自分の墓に埋葬した。
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楽しくなさそうな晩餐
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、とても明るい雰囲気には見えないなと思っていた。
その理由がこれだったのか。過越祭をぐちゃぐちゃにした後の晩餐だったからだ。
そもそもなんで晩餐を開いていたのか。
それも過越祭をめちゃくちゃにしてやった打ち上げのようなものだったのかもしれない。普段から使徒たちを囲んで食事をとったりしないだろう。
つまり、イエスにとってもあの「最後の晩餐」は大事なものだったんだ。
磔刑(たっけい)
磔の刑のこと。ローマ帝国時代ではよくある処刑方法だったらしい。何千人もの人が磔刑にされてきたが、その遺体は現在で1体ほどしか見つかっていない。たいていは十字架にかけられたまま腐敗したから。
遺体は埋められることなく永遠と十字架にかけられていく。こわっ。
腐敗した遺体ってどうするのか。誰かが処理するのか。それとも自然と消えてなくなるのかな。