#201 [音楽] 印象派の音楽版と言われるほど豊かな音を表現した作曲家
第29週 第5日(金)音楽「フェーリクス・メンデルスゾーン」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は音楽「フェーリクス・メンデルスゾーン」です。
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本の要約
ユダヤ人の裕福な銀行家の父と、芸術的才能を持った母親の間に生まれたフェーリクス・メンデルスゾーン(1809~1847)は、若い頃はカール・ツェルターに師事して学んだ。バッハの熱烈な信奉者であり、20代前半でバッハの「マタイの受難曲」を指揮して好評を博した。
この公演をきっかけに、ヨーロッパ大陸ではバッハの作品が再評価されたと言われている。
数年間、メンデルスゾーンは演奏会と音楽教授で多忙を極める日々を送り続けた。1846年にオラトリオ「エリヤ」を初演したときには、身も心も疲れ果てていた。そんな中、最愛の姉ファニーが亡くなったと知らされ、その後すぐに脳内出血で倒れた。この一件があってから、作曲意欲はなくなり、翌年に亡くなった。
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交響曲「スコットランド」(1830~1842)
メンデルスゾーンが旅行でスコットランドを訪れ、その印象に触発されて作った交響曲。メンデルスゾーンが完成させた最後の交響曲である。
「夏の夜の夢」(1826年)
自然的なテーマを扱った作品。印象派の絵画の音楽版といっていいほど、豊かな象徴性に満ち、自然の音と幻想的な音の両方を巧みに表現している。
結婚と死去
メンデルスゾーンは27歳のときに結婚し、5人の子供に恵まれたが、38歳のときに亡くなっている。そしてメンデルスゾーンの死後の6年後、妻のセシル・シャルロット・ソフィ・ジャンルノーも36歳という若さで後を追った。
天才の生き方は文字通り命を燃やして生きているのだな痛感させられる。
天才音楽家が若くして亡くなっているのは自分の情熱を惜しみなく、そして誰よりも多く働いていた証拠だとわかる。